どうなる家康 第6回 鵜殿一族

作 文聞亭笑一

いやはや・・・とんだ展開になってきました。妻子を救出するために忍びによる救出作戦とは・・・

そういう作戦が「あった」・・・と言う史実はありませんし、「なかった」という史実もありません。

だから嘘でも、デタラメでもないのですが・・・新説ですねぇ。

ともかく瀬名達は軟禁状態で監視下にあったことは間違いありません。

前回に本多正信を登場させたのは次回か、次々回に発生する三河一向一揆への伏線でしょうか。

正信は一揆勢に加わって家康に反抗し、三河から出奔します。顔見せ・・・でしょうかね。

このシリーズも前回#05が完全なフライングで、鵜殿長照の本拠地・上之郷城攻めから、人質交換の話が今週にずれ込んでしまいました。

今週は書くことがありません(笑)

お田鶴の方

お田鶴の方・・・鵜殿長照の妹で、今川義元の妹の子、姪っ子です。

氏真には従妹です。

今川義元が「氏真の嫁に・・・」と英才教育したのは鶴姫と亀姫でしたが、駿河、相模、甲斐の三国同盟の結果、今川家には相模の北条から早川殿が嫁入りしました。

太守の正室候補を外れた鶴姫・瀬名は同盟国三河の松平元康の嫁に、亀姫・田鶴は遠江浜松の飯尾長龍の嫁になります。

そのお田鶴が瀬名救出作戦に諜報役として出て来ましたね。

いやはや・・・使える者は何でも使うと言う今回の脚本はお見事でもあります。

時代考証で映倫カットできません(笑)。

お田鶴が「忍者による家康妻子救出作戦を妨害した」というのも・・・劇画的で面白いですね。

そしてこれまた顔見せ興行的でもあります。

何回か後の物語で、家康は浜松城を攻めますが、その時の女城主がお田鶴の方なのです。

浜松攻めの「どうする・・・」の伏線でしょうかね。

上之郷城の落城

鵜殿長照の居城、上之郷城は岡崎のすぐ近く、蒲郡です。

岡崎と駿府の距離は直線距離でも100kmを越えます。

現代人は新幹線や高速道路を走る感覚で距離を捉えますが、歩く、走る、騎馬でと考えると 100kmは相当長い距離です。

「忍者達が人質を盗んで帰る」という想定の荒唐無稽さがおわかりいただけると思います。

そう、舟を使うと言っていましたね。

駿府から三河湾まで、名にし負う遠州灘を越える船旅です。

素人にできることではありません。

忍者は海には弱いのです。

それにしても鵜殿長照の立ち位置は難しいですね。

敵対している松平勢の直近の位置です。

東三河の井伊、浜松の飯尾などは今川方ですが、今川本隊が応援に駆けつけるには2、3日掛かります。

しかも・・・決断が遅い氏真ですから、更に遅れます。

そのことを計算に入れた家康の上の郷城奇襲、短期決戦は見事な戦略でした。

鵜殿兄弟

人質交換の相手にされた鵜殿長照の息子二人はどうなったのでしょうか。

戦国物語にはほとんど登場しませんのでWikipediaで調べてみました。

歴史物語では脇役は使い捨てです。

都合の良いところにだけ登場して、後はポイ。

兄の氏長は吉田城(豊橋)の主将・大原氏と共に松平の東進を阻止しようとしますが、押され押されて駿府へと後退します。

今川の没落が決定的になると徳川に臣従し、姉川、長篠などの戦いに従軍しています。

関東に移ってからは1800石の旗本として、家康の名代として大阪に派遣されたり、占領地の代官などを務めたりしています。

弟・氏次は今川滅亡後、長らく浪人していましたが豊臣政権の頃に松平家忠に仕え、関ヶ原合戦の前哨戦・伏見城の戦いで討死しています。

改名、改姓

人質交換で妻子を取り返したのは1562年・・・桶狭間合戦の2年後です。

この時点で、家康は念願の「独立」を達成しました。

そして独立宣言のようなものが改名です。

筆者は、面倒なので主役の名前を「家康」で書いてきましたが、家康が家康になったのは1563年でした。

松平元康・・・これが、ここまでの家康の正式な名前なのですが、「元康」の「元」は元服の時に今川義元から与えられた名前です。

義元の「元」をいただく・・・つまり、義元に従属する証、臣下の礼を取ることになります。

独立の証、今川義元の「元」を捨てる事で、近隣の勢力に対して「独立宣言」をしたことになります。

「元」の代わりに「家」を持ってきましたが何故でしょうか? 

家康本人に聞かないとわかりません。

・・・が、「信」でも「長」でもありません。

このことは清洲同盟と言われるものが従属関係の契約ではなく、対等の同盟であることを表しています。

とはいえ、息子には信康という字を与えています。信長に頭が上がらなかった実態を示しますね。

この年、家康の長男・竹千代と、信長の長女・徳姫の婚約が決まっています。

竹千代が5歳の時ですから気の早い話ですが、それだけ結束、絆を固める必要性に迫られていたと言うことでもあります。

信長は西へ、家康は東へ、後顧の憂いを断ちたかったのです。

サテ今週の「どうする?」は何が出てくるのでしょうか? 

家族を取り返して万々歳、東三河の平定も順調に進んでいます。

名前も変えて独立宣言もしました。順風満帆・・・ですが信長からの幼子の婚約に迷うのでしょうか?

 瀬名さんが反対するかもしれません。

それに岡崎での瀬名さんの居場所について、トラブルがあるかもしれません。

瀬名さんの通称「築山殿」には諸説あります。

概ね、瀬名さんには批判的ですが・・・。

浜松攻めでお田鶴の方と対決します。

 山岡荘八に依れば「かつての恋人」迷いが出ますかね?

それとも三河一向一揆の勃発でしょうか。

本多正信が一向宗と組んで反政府運動を始めます。