どうなる家康 第48回 大団円

作 文聞亭笑一

前週で大阪城が落城し、秀頼や茶々が自決し、一件落着するかと思っていましたが・・・夏の陣まで至らず、秀頼による「エイエイオー!」まででした。

夏の陣というのは豊臣家と、関ヶ原の残党達の玉砕的特攻で、昭和の戦時下で「大和魂」のモデルとして美化されてしまいました。

そういう物語に仕立てたのも、明治の薩長を中心とする関ヶ原負け組の美意識でしょうね。

徳川、江戸幕府への反感のなせる業かも知れません。

大阪人の司馬遼太郎は大阪落城を書きません。

徳川がよほど嫌いだったようで、現在の阪神タイガースのファン気質に通じます。

その意味で・・・今年はタイガースが優勝して良かったですね。

法治国家へ

家康の愛読書、幕府設立の教科書として吾妻鏡が使われたと言われています。

幕府の所在地も京都や、京に近い近畿圏を避けて関東に持ってきたのも源頼朝の前例を下敷きにしたようです。

更に言えば出自への劣等感・・・源氏を名乗るものの、根拠に乏しく、同族?の佐竹などから馬鹿にされていましたから「頼朝」「吾妻鏡」を看板にして、関東に政権中枢を移しました。

常陸・佐竹50万石を秋田に飛ばし、石高も決めずに左遷したのがその劣等感の表れでしょう。

家康の政権は政治権力と経済力を分離したことが、長期政権の基盤になりました。

幕府と藩、幕藩体制というのは地方自治と中央集権を兼ね合わせた合衆国のような体制です。

現代のような中途半端な地方自治ではなく、独立国家にも似た自治権を与えます。

家康は大名、旗本といった部下に地方自治権を与えます。

大名には藩、旗本には知行です。

大名を三つに分けて親藩、譜代、外様に3分類します。

親藩・・・徳川御三家、松平など一族  政権中枢として将軍予備軍

譜代・・・三河以来の家来筋 10万石以下と経済力を制限するが、政権の中枢を担う、官僚

外様・・・前田100万石を筆頭に経済規模を与えるが、政治に参画させない。

これらのことや、武家社会のルールを決めたのが武家諸法度でした。

公家諸法度

天皇にまで「法律」を押しつけたのが家康です。

というか、天皇という絶対権力者の威を使って政治に参画してきた公家・・・藤原一族を封じ込めるために、第一条 天皇は・・・ で始まる法律を作ります。

「世を乱してきたのは公家ども・・・」という家康の思いでしょうか。

明智光秀を使嗾して信長を討たせ、その明智を討った豊臣秀吉を公家に引きずり込んで公家社会を復活させ、武家を部下として見下ろす・・・こういう魑魅魍魎のような政治団体を押さえつける、暗躍させないための法律をつくります。

公家諸法度の第一条は「天皇」

天皇は学問に専心すべし

政治に口出しするな。

学問とは文化、伝統、教養、神道、芸術など

第2条以下では公家の序列について詳しく、事細かに規定しています。

中でも摂政、関白などは摂関家以外に任命してはならぬと・・・豊臣家のような例を禁じています。

更に、朝廷の勝手な位打ちを封じるべく「武家公家は徳川家のみ」と人事権を封じます。

更に念が入っているのは僧侶への位の授与です。

任免は幕府に相談せよと人事権を封じます。

紫衣の衣・・・天皇の勅許による仏教界最高の名誉ですが、これも「勝手にするな」と封じます。

ここまで念を入れるということは信長、秀吉の治世を観てきた家康の知恵だと思います。

武家政権と公家政権・・・実力と権威・・・こんな二重構造が世を乱すのだと見切っていたのでしょう。

長子相続

家康が天下国家を思案しているというというのに、秀忠とお江が徳川家3代目の相続でトラブルを起こします。

乳母に預けて育てた長男の竹千代・家光。

手元で育てた次男の忠長。

将軍家でお家騒動の芽が蠢きます。

家康にとっては青天の霹靂のような事件でした。

「長子相続」の大原則を打ち立てます。

要するに年功序列を基本とし、実力主義ではない・・・という日本社会の原則ができました。

実力主義が戦国乱世を生んだ・・・と言うのが家康の諦観だったのでしょう。

二代将軍に選んだ秀忠は家康の息子の中では優秀な方ではありません。

越前の松平秀康、大坂夏の陣で叱られた松平忠輝などの方が優秀だったようですが、一事不再理・・・決めたことは変えぬというのも家康らしいやり方です。

家康が創業し、秀忠が繋ぎ、家光が完成させたのが徳川藩幕政治・・・260年でした。

天麩羅を食って死す

どうする・どうなる家康の最終回です。

家康が健康オタクで、晩年は薬研を曳きながら自家製の薬造りをしていたという話は有名です。家康がせっせと作っていた薬は「万病円」と言われ、これは寄生虫を除去するための下剤だったと言われます。

家康にとりついた寄生虫は条虫・・・俗にサナダムシと呼ばれます。

その形状が・・・真田昌幸・幸村が高野山で内職に作っていた真田紐に似ていることや、家康を3度にわたって破った真田家の執念と相まって名付けられたともいいます。

最近はダイエットのためと称してわざわざ寄生させる人もいるようですが、これが寄生すると間違いなく痩せ細ります。

人体に寄生する寄生虫の中では最もたちの悪い奴ですね。

ただ、サナダムシ説は真田と掛け合わせた講談調の臭いもあって???でもあります。

死因は胃癌と言われますから巣くっていたのはピロリ菌でしょうか。

ピロリと胃癌の相関性はかなり高いようですね。

私もピロリ退治をやってから胸焼けのような症状が全くなくなりました。

食欲不振だった家康が、鯛の天麩羅という初めての味に喜んで食べ過ぎた。

胃炎を起こして、胃癌の症状を悪化させたと、最近の学者は言っています。

多分、そうでしょうね。

今年の大河は兎年にちなんだのか、家康を「兎」に矮小化して「どうする」「どうする」と冷やかしてきましたが、家康はしたたかです。

兎でも狸でもありません。

秀吉が猿で、信長が豹なら、鈍重な家康は河馬か犀・・・いや、象にしておきましょう。

戦国を治めて、この国を法治国家にし、争いを収めた偉業は評価すべきです。

既成概念と異なる展開に・・・ちょっと疲れた一年でした。

皆様のおつきあいに感謝します。