どうなる家康 第25回 信康処断と伊奈忠次

作 文聞亭笑一

歴史物語は、事実以外の部分は想像たくましく、どう編集/構成しても良いのですが「やり過ぎ」はいけません。

今回は平和呆けした現代人の感覚を450年のタイムスリップをさせてしまいました。

共通貨幣を造って経済共同体を作る・・・と言いますが、この当時は既に貨幣の共通化はできていました。

日常使用する銅銭は種々雑多ですが、共通ルールは「貫文」です。

要するに重さが銭の価値なのです。

武士の給与が米の量「石」に変わったのは太閤検地から江戸時代にかけてで、それまでは「貫文」が通貨、給与の単位です。

瀬名さんの言う東日本共同経済圏、東日本連合・・・あり得ません。夢のまた夢です。

国連を作れば戦争はなくなる…と、社会党系の政治家の皆さんは「攻めなければ攻められない」と平和憲法を金科玉条の如く掲げますが、夢でしたね。

東西の冷戦、更に各地での南北代理戦争、イスラムとキリストの宗教戦争、そして今度のウクライナを始め、台湾を巡って中米のにらみ合い・・・、理想とはほど遠い現実が展開しています。

ロシアでもワグネルが反乱というのか、ふて腐れを起こしてゴタゴタしています。

信康処断

高天神城で徳川/武田両軍が互いに空砲を撃ち合った・・・あり得ません。

以前にも書きましたが、火薬は実に高価です、それに在庫がありません。

初心者に訓練させるのですら、チビチビと倹約しています。高天神城が落ちなかったのは

① 難攻不落の要塞で、攻略の方法がない

② 武田が定期的に大軍を催して兵糧補給を行った

という理由からです。

この城を落とすには兵糧攻めしか手がないのです。

通説では徳姫が信康と瀬名の怪しい行動を信長に通報し、信長が説明を要求します。

酒井忠次が釈明に安土に行き、結局は罪を認めてしまい・・・信長の命令で信康、瀬名を処刑した・・・と言うことになっています。

山岡荘八も、司馬遼太郎も通説通りでした。

しかし、最近はこの説が否定されて、信玄に倣い、家康自らが決断したと言う説が有力です。

処断すると決めて、それを酒井忠次に報告に行かせた・・・と言う説です

「信玄に倣い」というのは、武田信玄も外交路線の違い、政策の違いで長男・義信を処罰しています。

義元亡き後の今川との外交を「攻め取るチャンス」とする信玄と、「甲駿相の友好維持」を主張する長男との間で政争になり、武田家の分裂を避けるために長男を処罰しました。

家康も・・・これと同じ事を自ら決断しましたね。

路線の相違を整理するためにです。

ドラマのタイトルは「どうする家康」ですが、家康の人生の中でも最大の「どうする!」だったと思います。

そもそも通説とされた原本のうち、「信長公記」「太閤記」は秀吉の政治宣伝が色濃く残ります。

信長は冷酷無比な専制者、それに引替え秀吉は良い人・・・というのが基本トーンです。

そして、江戸期に書かれた松平記は「二代将軍・秀忠(3男)の正当性」を表現するために

長男(信康)は、父や時に流れに逆らい、敵に迎合した悪い奴・・・処罰は当然

次男(秀康)は、本当に家康の子であるか疑わしい・・・という作文、修飾を繰り返しています。

もう一冊、大久保彦左衛門の「三河物語」も、彦左が嫌いな信長を「悪い奴」にしていますね。

いずれにせよ、徳川軍団を守るために信康と瀬名を処断しなくてはならないのですが、家康は最後の最後まで二人を生き延びさせるための工作をしたと思います。

酒井忠次を安土に派遣したのは政治交渉です。

①信康は出家させ、五徳姫と娘二人は安土に戻す・・・

人質(五徳姫)を返上し孫娘を人質に

信康の生殺は、信長の、思うがままに・・・一任する

②瀬名は出家・得度し、尼にする

この提案に乗り気でなかったのが使者の酒井忠次で「中途半端」と危惧していたと思います。

同じ感触の信長と意見が合い、「死罪執行」で合意しています。

家康の未練は家臣団の冷静な判断によって封印され、事は粛々と実行されます。

それは、家康も覚悟していたことでしたが・・・大御所になった後に、息子の昇進や加増を願いに来た酒井忠次に皮肉、愚痴を言います。

「酒井、おぬしでも・・・自分の息子は可愛いか?」

自分の妻と子を死に追いやる・・・現代を生きる我々には考えることすら別世界の出来事ですが、戦争はそういう異常を当たり前にしてしまいます。

ウクライナでも、ロシアでも、そういう異常が当たり前になりつつあります。プーチンの目・・・狂人の目ですね。

信康側近・伊奈忠次

今回のドラマは配役の数をかなり倹約していますね(笑)  信長と家康を直接会話させることによって、間を取り持った人物を抹消し、また上杉謙信の死や、御館の乱といった歴史上の事件にも全く触れていません。

ナレーションすらありません。

視聴者を「岡崎、築山」に閉じ込めることで、視野を狭くしてくれます。

ましてやこの時期、大阪では荒木村重の乱が起き、本願寺攻めの総大将・佐久間信盛は信長から管理能力を叱責され、強く督戦命令を受けていました。

その佐久間が、岡崎の家康のところにやってきて偉そうに裏切り者の処分を督促する・・・??? ありえへ~ん!・・・です。

信康の側近に伊奈忠治が居ました。ドラマには全く出てきません。が、この男、体育会系揃いの徳川家では最高と言えるほどの有能な人材でした。

信康が天下を取っていれば筆頭家老として大活躍をしたであろう人材です。

信康、瀬名の謀叛・・・が動き出していれば、武田勝頼・上杉景勝・徳川信康という「2代目連合」の参謀役として、高坂弾正や直江兼続などと肩を並べていたかもしれません。

事が露見し、出奔します。

信康が「いずれ父が天下を取る。

その時は手伝え」と逃がしたとも言われます。

伊奈忠次は本能寺の変の後の「家康・伊賀越え」の折に家康のピンチを救い、帰参を許されます。

家康が江戸に入ると、関東総奉行となり「利根川東遷」という大土木工事に一生をかけます。

親子三代、東京湾に流れ込んでいた大河・坂東太郎・利根川を現在の河口、銚子へと追います。

元々の利根川は現在の隅田川・大川です。

これをまず、江戸川筋に追い、江戸市中を洪水から救いました。

さらに関宿で鬼怒川に合流させいぇ銚子へ追います。

重機のない時代に人力だけで日本一の大河の流れを変える・・・信じられないほどの技術力です。

技術屋感覚からすれば、伊奈忠治こそ大河ドラマの主役にして欲しい人物です。