どうなる家康 第14回 逃げろや逃げろ

作 文聞亭笑一

先週は予告なしの休刊で大変ご迷惑をおかけしました。

その前の13も添付忘れか、通信エラーか、届いていない方からお叱りをいただきました。

申し訳ございません。

今週は「開票速報のため放送がない・・・」との予想通り、物語の進展はありませんでした。

金平糖

前回の放送では金平糖が主役でしたね。

信長の娘・徳姫が金平糖の存在を知っていて、岡崎の田舎でも京土産に金平糖をほしがっていますが、バテレンから信長に金平糖が献上されたのは、1569年です。

そして家康が上洛して将軍に挨拶したのもその年です。

情報の伝わるのが早すぎて意外なのですが、「美味しいもの情報」の伝わり方は別次元なのでしょうか。

ともかく希少価値があり、高価であったのは事実のようで、京の商人・茶屋四郎次郎が八方駆け回って調達した・・・と言うのも「さもありなん」と納得です。

しかし、その金平糖を足利将軍が取り上げて一口で食べてしまうと言うのは・・・やり過ぎですね(笑)

それとも「将軍は世間の相場や値打ちを知らない」とでも言いたかったのでしょうか。

将軍義昭が世間知らずだったのは事実です。

兄が三善、松永一党に殺されてしまうまでは僧侶としての人生でしたから、興福寺から外に出たことがなかった故でもあります。

将軍になってから始めた文書作戦・・・なんとなくネットだけで28万票を集めたガーシーに似ています。

これが信長の怒りを買います。

将軍だから自分の思い通りになる・・・と考える義昭

誰のおかげで将軍になれたのか・・・俺の言うことを聞け、と考える信長

金平糖は砂糖の甘さですが、信長と義昭の間には海水の塩辛さが流れ込んできています。

このあと金平糖が歴史に登場するのは昭和に入ってからです。

日本陸軍は携帯食として乾パンを標準装備にしましたが、それだけでは味気がない、カロリー不足なので金平糖を混ぜました。

当初は白一色だったのですが、関東軍(満州)から「白色では氷のようで寒いイメージ」とクレームが付き、カラフルな色合いに代えたようです。

乾パン・・・非常食・・・これのお世話になる事件は歓迎しませんね。

朝倉攻め

天下布武を目指す信長にとって、京の近隣・・・いわゆる近畿を固め、対抗勢力が将軍や朝廷などの権威と結びつかないようにすることが重要なのですが、それと逆の動きをするのが将軍・義昭です。

武田、上杉、毛利などにレター作戦を仕掛けます。

将軍「教書」「御内書」の文意は「上洛して吾を支えよ」と言うことで、将軍の下に戦国大名達が集まり、トップダウン型合議制で将軍の意思のままに政治を行うという言う構図でしょうか。

3代目・足利義満の頃の、室町幕府全盛の頃の政治体制を夢見ていたのでしょう。

その義昭が真っ先に上洛して欲しかったのが、興福寺から脱走した後世話になった朝倉でした。

が、朝倉は動きません。

呼び出しているのは名目・建前は義昭ですが、京を支配しているのは信長です。

朝倉にとって、上洛すると言うことは信長の軍門に従うと云うことにもなりかねませんから・・・動きません。

お手並み拝見・・・と斜に構えます。

また、上杉や武田などの動静も睨んで慎重に構えます。

近江の浅井との情報交換もしているでしょう。

信長が掲げたのは「将軍の意に逆らう=反乱」というのが朝倉攻めの大義です。

が、プーチンの「自国防衛のためにウクライナに侵攻する」と同様な言いがかりであることはミエミエです。

京の近隣から反対勢力を排除する、その最初の目標が越前朝倉と言うだけのことです。

小豆袋

信長軍は京から琵琶湖の西岸を進軍し、海津から若狭に進出し、朝倉勢の前線基地である手筒山、金ケ崎の城を落とします。

軍記物には「苦もなく撃破した」とありますが、朝倉、浅井連合軍の計略で、織田勢を越前の山中深くに誘い込む目的だったでしょう。

織田軍の先鋒部隊は越前平野の玄関口である木の芽峠に達していました。

ここでお市からの小豆袋が届きます。

この袋は普通の袋ではありません。

シャツの袖のような筒状の布地の両端を縛って袋にしていました。

普通ではない袋・・・ナンジャコリャ??・・・!!

浅井の寝返り・・・挟み撃ち・・・袋のネズミ,ヤバ・・・信長の決断の早さは見事でした。

自分だけでも生き延びる・・・真っ先になって退却、いや戦場からの逃避を始めます。

殿(しん)軍(がり)に残されたのは秀吉の部隊と、連絡を受けるのが遅れた家康の部隊です。

北陸道の本道は浅井軍に封鎖されていますから、通過できません。

敦賀から若狭に入り朽木に向かう鯖街道の山道を敗走します。

3万人の大脱走です。

組織だった軍事行動ではありません、我先に、命からがら・・・

太閤記、信長公記などの軍記物に、秀吉の殿軍の活躍は描かれますが、織田軍3万人の逃げるルートや、逃げる姿の記述は全く残っていません。

記録に残すゆとりすらない、恐怖の逃避行だったのでしょうか。

ただ「越前崩れで何人が討ち取られた」という記録もないところを見ると、大多数の兵士達は逃げ切ったと思われます。

命からがらですから兵糧、弾薬は置き去りでしょう。

それは、そのまま、浅井・朝倉軍の兵糧・弾薬になります。織田軍の物的損害は多大でした。

家康の「今週のどうする?」は「金ケ崎の退き口」と呼ばれる退却戦で、「どうやって逃げるか」の決断を迫られる場面でしょうか。

浅井家の立場

信長の妹婿でありながら、朝倉と組んで裏切った浅井長政・・・その胸中はどうだったのでしょうか。

通説では「朝倉家への義理」が「信長の新奇性の魅力」を上回った・・・と言うことになっていますが、今回の脚本はどう描きますかねぇ。

信長の危うさ・・・リスクへの不安 後に毛利の参謀・安国寺恵瓊が「信長はいずれ高転びに転ぶ」と予言しましたが、浅井長政もそういう不安感にさいなまされていたのではないでしょうか。

そして浅井家中、とりわけ父親の久政は、自分の代の時に朝倉家の後ろ盾で京極家から北近江を下克上した恩義があります。

この決断・・・どうする長政だったでしょうね。