どうなる家康 第8回 雨降って
作 文聞亭笑一
いよいよ宗教勢力との戦い、三河一向一揆が始まってしまいました。
政治と宗教はいつの世でも難しい関係にあります。
政治と宗教、人間社会の縦糸と横糸に擬えられますが、上手く組み上がり、円滑に機能しているのが文明社会で、どちらかに偏るほど・・・
未発達、ないし退廃社会となります。
今の日本はどうなのでしょうか。
極あたりまえの倫理観が薄れてきて・・・殺人や強盗などでも、信じられないような残忍な手口が目に付きます。
そして・・・議会に出席しない国会議員が、ネットを使って偉そうな口をききます。
それをまた長々と報道するマスコミも含めて、日本の横糸は千切れに千切れ・・・退廃でしょうかね。
政治は「法」と「力」で社会をリードします。
一方、「情」と「倫理」で指導するのが宗教です。
夏目漱石は小説「草枕」の冒頭で
知に働けば角が立ち、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかくこの世は住みにくい
と嘆きます。
そして
人の世が住みにくければ人でなしの国に行けば良かろう。人でなしの国はもっと住みにくかろう。
と、突っぱねます。
「知」の部分が法律の世界でしょうか、「情」の部分は多分に倫理観、宗教観の要素が強くなります。
「意地」自分らしくありたいという存在感でしょうか、他人からの評価でしょうか・・・縦糸と横糸からなる世の中の仕組みの間でもがき苦しむのはいつの世でも同じでしょうね。
ところで今回の物語には夏目広次という徳川家の事務方の家臣が出てきます。夏目「吉信」というのが本名のようで、広次は通称でしょうか。ドラマでは事務方の責任者のような描き方をしていますが、郡奉行となったのは一向一揆の後です。そして、三方ヶ原の戦いでは家康の身代わりとなって武田軍に突入し、戦死しています。子孫は500石の旗本として明治まで繋がりました。この夏目家の末裔が・・・文豪・夏目漱石です。 さて、今回の大河ドラマは宗教戦争をどう描きますかね。
既得権の治外法権を死守しようとする本願寺勢が、こだわったのは税制でしょうね。
物語当時の税制で中核となる税は奈良朝以来の「5公5民」の農業所得税です。
家康の生きた戦国後期は軍費がかさみますので・・・6公4民程度が標準になっていました。
さらに商工業についても寺社の持つ「座」が営業権を要求します。
これまた相当に高額でした。
ちなみに有史以来の最高税率と言われたのは、秀吉の朝鮮出兵の時の7公3民です。
九州の民は泣きました。
「信長は楽市楽座を行い、商工業を自由化した」と習いましたが、自由化したのは商売の権利だけで、税まで無税にしたわけではありません。
税はしっかりと吸い上げて、その経済力が織田軍快進撃の源になりました。
前回の番組では「経済面の要素」を多分に示唆していましたね。
この点は今までになく、リアルな描き方だと思います。
今回の脚本は無茶もやりますが、正鵠を突いた視点もありますね。
家臣の離反
徳川家の家中にも門徒信者が沢山います。
重臣の石川数正ですら身内のほとんどは門徒衆です。
酒井一門の上野城は一揆方の司令塔になり、部隊長の蜂谷半之丞、渡辺盛綱や、参謀役の本多正信などが詰めています。
戦いは序盤から一揆方が優勢でしたが、家康が出撃すると一揆勢の元家臣たちは前線から手を引いて、家康を直接攻撃しないという変な動きを見せます。
日蓮宗の大久保党などとは激しく戦うのに、領主には手を緩めるという・・・複雑な心理・論理が働いたようです。
領主の政治権力は認める・・・が・・・門徒衆の経済権益も守る・・・だから領主を殺そうとはしないのです。
しかし、一般庶民の門徒衆にとっては、仏敵・家康こそが攻撃対象です。
一進一退の攻防が半年間続きます。城方も門徒方も犠牲が増え、資源は消耗していきますね。
講和にむけて
宗教との戦いで、信長と家康は全く違う対応をします。
信長は「殺してしまえホトトギス」と長島一向一揆では信徒を一堂に集めて焼き殺すという・・・皆殺し作戦を行いました。
石山本願寺にも過酷な力攻めを繰り返し、敵味方に多くの犠牲者を出しています。
比叡山への焼き討ち事件もそうですが、宗教という・・・目に見えぬものに対して恐怖感、嫌悪感を覚えていたのでしょうか。
もしかして信長は精神異常では・・・と疑いたくなるほどに過酷な対処をします。
それもあって信長には「第六天大魔王(仏敵)」の名が付けられました。
それに引替え、家康は常識人・・・凡人でした。
宗教世界への憧憬はありました。
駿府での雪斎禅師の教育や祖母の教えが心の基礎にあります。
一揆勢の代表者である蜂谷半之丞が講和を提案してきます。
講和の条件は三つ、
1, 僧には咎めなし
2, 寺方の武士達の本領は安堵すること
3, 首謀者の助命
なんとも虫がよいというか、素朴な本音というか・・・「疲れたから止めよう」という単純な条件で、双六のゲームで言う「振り出しに戻る」ですかね。
「なかったことにしませんか?」です。
要するに・・・「自分たちの生命と財産を守ってくれたら、抵抗は止める」という事です。
「こん畜生!ふざけんな!」と怒ったのは家康だけで、戦い疲れた大久保党や鳥居党、身内を敵に回して戦っていた酒井、石川、本多などは「もう・・・止めようよ」という厭戦気分でした。
重臣達はこの条件を「すんなり受け入れる」ことを提案します。
・・・今回の「どうする」?
ショウガネェ・・・と停戦。
そこから戦後政治を始めます。
後々の・・・狸親父の第一歩
条件の1と3,僧にも、反乱者にも刑事責任は問いませんが、民事責任を問います。
損害賠償請求をします。
責任を果たせない寺は焼却し、財産没収のうえ、布教の禁止までします。
条件2の寺方武士の身分と財産権は安堵、しかし岡崎城への出仕は認めません。
政治家から引退、浪人させます。
但し、詫びを入れたら旧に復する、徳川家臣団の仲間に戻れる・・・
蜂谷、渡辺、夏目や、ほとんどの寺方武士達は、詫びを入れて戻ってきました。
逃げたのは本多正信など・・・やりすぎ・・・をした数名です。
半年間、身内同士で争って・・・結果は元の木阿弥です。
しかし、この政争を通じて三河侍の結束が強化されました。
雨降って地固まる・・・後々の徳川家臣団の基盤が固まりました。
三河侍、徳川家臣団という武装集団を失った一向宗の僧たちは三河から逃げ出して行きます。
再就職、帰参した武士たちも信教を一向宗(浄土真宗)から浄土宗へ改宗が進めます。
築山殿
政治の流れとは別に、今回私が注目しているのは家康の正妻・瀬名さんです。
瀬名さんを「良い人」として扱った作品は皆無で、気位が高い、陰険、高慢、強欲、淫乱・・・・・・などなど、悪女として扱ったものばかりです。
とりわけ家康物の本家本元の山岡荘八、戦国物の教祖・司馬遼太郎などはひどい書き方をしていますね。
それに「右へ倣え」と他の作家も、脚本家も「悪女」を強調しています。
淀君と瀬名さん・築山殿は悪女の筆頭争いでしょうか(笑)
瀬名さんを悪女として描いた最初の文献は「信長公記」「太閤記」です。
どちらも歴史的信憑性が高いとされる物語ではありますが、この本を書いた、書かせたのは誰かを考えると・・・書かせた人の好き嫌い、自己顕示が鼻につくほどで、登場人物の性格や個性については信用できないところが多いのです。
信長公記の著者は、織田家家臣の太田牛一です。
太閤記の著者は大村幽古・・・ですが、途中で逃亡し、仕上げは太田牛一です。
そして双方とも・・・監修は豊臣秀吉。
秀吉に都合良く書かれた書物です。
とりわけ太閤記に関しては作者・執筆者の大村幽古が、秀吉からのあまりの事実わい曲に耐えかねて「やっちゃぁいられねぇ」と失踪する事件を起こしました。
仕方なく、続きを太田牛一に書かせています。
秀吉にとって、駿河・今川は侍人生の出発点です。
尾張中村の田舎にいては百姓止まり・・・と、東海地方の中心であった駿府へと就活の旅に出ます。
そこで就職したのが軍学者・松下嘉兵衛の家でした。
ここで侍の初等教育を学びます。
・・・というか盗みます。
教育を受ける立場ではありませんから盗み見、盗み聞きで「教養の部品」を手に入れます。
読み・書き・算盤なども・・・今川時代に聞き覚えました。
「秀吉は平仮名しか読めない、書けない」というのは半分事実だったようで、残っている文書には平仮名書が多いですが、織田家の管理職になってからは「無知・文盲」を売り物にした節があって、織田家の台所奉行の時代には読み書き算盤は常人以上のレベルでマスターしていたはずです。
ともかく、秀吉の人生のスタートは駿府でしたが・・・相当虐められたのではないでしょうか。
余所者、猿面、チビ・・・いびられる要素は数多ある上に、才能がありますから小生意気に映ります。
いびられる典型でしょうかね。
秀吉にとって駿河、今川は仇敵、怨念の対象ではなかったかと思います。
信長公記でも、太閤記でも今川義元、氏真親子は愚物、アホ、バカ、マヌケの扱いです。
その駿河から三河にやってきた瀬名さん
その瀬名さんは信長の娘・徳姫の姑です。
嫁を虐めたに違いない・・・となりますね。
信頼度の高い歴史的文献・・・と言っても、事実と事実の隙間に入る話題は小説です。
その内容が為政者への慮りとなるのは当然です。
現代でもモリカケ事件で騒いでいましたよね。
人間社会の当たり前で、騒ぐほどに犠牲者は末端の当事者になります。
いわゆるトカゲの尻尾。
山岡説、司馬説とも三河に来た瀬名さんは岡崎城に入っていません。
岡崎の手前で築山のある屋敷にとどまったとか、とどまった屋敷に築山を備えた今川の風雅を設営させたとか、いかにも嫌な女、婚家を見下す権高い女と描かれますが・・・今度のドラマは違いますね。
今度の大河で描かれている瀬名さんの方が事実に近いのではないか・・・と、期待しつつ成り行きを眺めています。