どうなる家康 第28回 下克上とテロと

作 文聞亭笑一

いやはや・・・驚き、桃の木、山椒の木  本能寺の変を「家康主犯説」で描きますか!

以前から歴史推理の中に「秀吉主犯説」に並んで「家康主犯説」もありましたが、いずれも推理小説の常道である「そのことによって誰が得になるか」という点からの推理です。

その意味から言うと家康にとってはそれほどの得ではありませんし、僅か50人ばかりの非武装集団で実行するのは無謀です。

下克上というのは「上位者を倒すことによって多くの支持者を得る」というのが前提です。

家康が実行犯だとして、この時点で家康を支持する者はいません。

家康は単なるテロリストとして抹殺されてしまいます。

最近のマスコミのテロリストへの対応が「どこか怪しい」のですが、安倍総理を暗殺した山上とか言う殺人犯を英雄視するような論調もあります。

だからこそ模倣犯が現れ、和歌山で岸田総理が狙われました。

netには「プーチンがテロで暗殺されれば良い」というような意見もありますが、相手が誰であれ暗殺、テロはダメです。推奨してはいけませんよね。

本能寺の変を企んだのは誰か、諸説が渦巻き「日本史上のミステリー」として多くの作家がその謎に挑戦しています。

はっきりしているのは「実行犯は明智光秀」と言うことだけで、光秀の共犯者というか、黒幕というか・・・光秀に犯行を決心させた人物が特定できません。

秀吉が書かせた「信長公記」や「太閤記」では・・・精神的に追い込まれた光秀の精神異常、前途を悲観した単独犯行と言うことにしていますが、朝廷や秀吉本人が絡んでいた可能性を否定できません。

本能寺の情報を持った毛利への使者を捕らえたのではなく、秀吉への使者だった?

その後、秀吉は明智を征伐し、柴田との政争にも勝った後、「将軍」を希望しますが実現できず、藤原一門の養子に入って、関白の名で朝廷政治の下請けをする形態になりました。

朝廷を悪者にはできません。主犯は誰か、わかっていても公表できませんし、朝廷、公家を美化しておかないと豊臣家の値打ちが下がります。

稀代の商売人・宣伝上手の秀吉は朝廷の関与を隠しました。

事件当日、家康も京都にいなかった、安土でもなく、京でもない堺、これまた七不思議です。

「何かある」を知って、待避していた・・・と言う推理も成り立ちます。

服部半蔵など伊賀者に実行を任せた・・・のでしょうか。

それも無茶です、無謀です。

今回の物語では、そこらをどう説明しますかね。

計画を断念して逃げた、それなら堺は逃げ道とは反対側です。

今回の古沢脚本・・・無理が多すぎますね。アニメ的です。

ときはいま あめがしたたる さつきかな

光秀が信長討伐を決意したと言われる連歌の発句を、すべて平仮名で書いてみました。

これに漢字を当てはめると・・・色々な解釈が成り立ちます。

時は今 雨が滴る 五月かな

鬱陶しい梅雨時だ、俺にも面白くないことが続く・・・さぁ今日は憂さ晴らしの連歌会だ

土岐は今 天が下たる 爽つ気かな

土岐源氏の末流である自分が、いよいよ天下に旗を立てる。

なんとも爽快ではないか。

物は言い様などと言いますが、漢字を一文字替えるだけで・・・歌や俳句の意味は変身してしまいます。

私が地域の郷土史で紹介する太田道灌伝説の歌

七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだに なきぞかなしき

山吹には実がならない・・・という事実と みのを、蓑と解釈して

我が家は貧しくてお貸しできる雨合羽がありません・・・と説明するのが小学生相手バージョン

「みの」を「身の」と理解して「夫がいます。お腹に子がいます」というのが大人向けです。

要するに女狩に行って、断られたという話になります。

戦国武将の巻狩りや鷹狩りには、そういう目的も多かったようですからね。

山吹の花・・・春の里山を黄色に染める、至極一般的な植物ですが、七重八重に咲く山吹には実がなりません。

しかし、一重の山吹には・・・実がなります。

(らんまん・万太郎的な観察)

堺遊覧

商業都市・港堺、家康にとっては別天地だったと思います。

家康の支配地である駿河・遠江・三河にも市は立っていたでしょうがスケールが違います。

市の規模だけなら京でも実感していますが、国際貿易港である堺では、中国や西欧からの品々があふれていたでしょう。

家康一行は海外旅行、修学旅行的な気分に浸っていたと思います。

そんなところに、今回は信長の妹・お市を登場させるようですね。

互いに「初恋の人」という設定ですが・・・無茶です(笑)

 家康が織田の人質になったのは6歳の時、お市は幼児です。

 更にこの当時・天正十年、お市と3人の娘達が過ごしていた場所は伊勢の安濃津城、気軽に堺に出てくる立場ではありません。

家康は堺奉行の松井有閑、案内役の長谷川秀一に誘われて信長の茶頭達と「茶道」を体験します。

家康は信長が愛した「茶道という芸術」を全く否定しました。

わび、さびを否定したのではなく、釜や茶器、掛け軸などの名品と言われる物に巨万の値が付く事に「虚の文化」を見ました。

信長、秀吉の趣味で花開いた安土桃山文化・・・家康にとっては贅沢三昧、無駄の象徴だったかもしれません。

家康は本多忠勝、榊原康政など部下に「茶道などと言う悪しき文化に染まるな」と説教していたと言います。

敵か、味方か

「光秀が本能寺で信長を襲撃し、討ち取ったらしい」という情報は瞬く間に近畿一円に広がります。

その情報伝達スピードは通常よりも数段速かったと思います。

なぜなら・・・魔王信長は民衆からも嫌われていたと思います。

信長の恐怖政治、強権政治は庶民から見ても不安なのです。

さしずめ・・・現代ならば「プーチン死す」でしょうか。

世界中で歓迎されそうなニュースです。

光秀にとって、家康は敵か、味方か。家康から見て光秀は・・・??? まさにどうする家康

光秀は敵だ・・・と判断したのが家康でした。

近畿圏、光秀支配権から逃げる道を選びます。

光秀は味方だ・・・と判断したのが穴山梅雪でした。

梅雪は京へと向い、落ち武者狩にやられます。

光秀が「徳川は敵か味方か」についてどう判断していたかはわかりませんが、明智軍の末端兵士達は「織田の関係者はすべて敵」と緊張していたと思います。

自分たちが「正道」を行っているという自信がなかったと思います。

自分以外はすべて敵、犯罪者の心理ではなかったでしょうか。

明智軍内部での混乱

そもそも・・・明智軍の兵士達は「敵は本能寺にあり」をどう理解していたのでしょうか?

明智軍の中級武士・本城惣右衛門覚書には「敵は家康様と覚え・・・」斎藤利三の息子の後に従って本能寺に進んでいった・・・と書かれています。

老の坂に着くまでは「山崎経由で西国街道を中国筋へ」と聞かされていましたから、「本能寺?ハテ」「そうか、家康が京にいたな」と連想したようです。

それとは別に、明智軍内部では家康を本能寺で暗殺し、家康の領国である三河、遠江、駿河へ攻め入るという計画があったとも言います。

これを信長に進言した光秀が蹴倒されたとも・・・。

こちらは明智軍内部でもかなり下層部まで知れていたようですね。

その計画は

まず京で家康を暗殺する。

間を置かず細川藤孝、筒井順慶の部隊が岡崎、浜松を攻略して徳川家を抹殺してしまう・・・と言う物でした。

この話はロイス・フロイスの日本史にも「伝聞」として記録されていますが・・・あまり信用できません。

ただ、本能寺で信長を暗殺するという計画は、明智軍団の与力衆(細川・筒井・高山・中川)にとっては相談もなく行われた唐突な事件で、態度を決めかねました。

細川家の場合、藤孝は信長から光秀の部下に位置づけられていますが、元々は室町幕府管領の家柄です。

更に言えば藤孝は朝廷の「古今伝授」歌の道で天皇の先生でもあります。

関白・近衛前久などとも親密ですし、朝廷から何某かの下相談があった可能性が高いですね。

「明智に信長をやらせる。様子を見てな、都が戦乱にならんよう、うまく立ち回ってや」

近衛からこんな内示が出ていた可能性があります。

だから、明智から協力要請があっても「急に言われても・・・」などと困った振りをし、藤孝が出家してしまうことで明智軍への参加を断ります。

息子の忠興も明智の娘、妻のガラシャ夫人を幽閉して静観します。

細川と並んで、明智軍の双璧である大和の筒井順慶は最後まで迷います。

結局は天下分け目の山崎合戦で淀川の対岸、洞ヶ峠まで出てきますが、明智・羽柴のいずれにも付かず日和見します。

日和見することを「風見鶏」とか、「洞ヶ峠」とか言います。

その語源になりました。

さらに、明智軍団には高槻の高山右近、茨木の中川瀬兵衛という客将がいましたが、こちらは積極的に羽柴軍団の要請に応じて明智方から離脱し、山崎合戦では羽柴軍の先鋒として大活躍します。

こういうところが・・・明智光秀の人間力の弱点だったのでしょう。

本来であれば、明智軍の先鋒として戦うべき味方がすべて敵に回ってしまいました。

中川、高山にも朝廷ないし細川から「明智の味方は止めておけ」という闇指令が流れた可能性もあります。

「明智のやったことは主殺しだ。

大義名分が立たぬ」などと・・・秀吉の歴史書や江戸期の書物は書きますが、それは「忠義」という儒教教育が進んだ江戸期になって出てきた理念です。

得に秀吉は「弔い合戦」と大義名分の旗を押し立て、それがまた自分が中心となって織田家を動かし、更に政権を簒奪していく旗印にしました。

まだまだ・・・下克上が当たり前の、戦国のまっただ中です。

綺麗事などで人は動きません。

どっちが得か?! 耳目を最高感度に上げて「勝ち馬に乗る」事を考えます。

山崎の合戦は、そういう欲と欲のぶつかり合いです。

事前の多数派工作で勝負が決まりました。

信長の恐怖政治から、秀吉の金権政治へと、世間は転換していきます。