どうなる家康 第35回 付録 九州征伐

作 文聞亭笑一

大河ドラマも落ちぶれたもので・・・ラグビーの初戦とかち合って・・・翌週に回されました。

10%ソコソコの視聴率では当然かも知れませんが、時代の代わりを感じさせます。

「一週間休める」と喜ぶべきなのかも知れませんが、休むと再稼働がしんどいので・・・余談を綴ります。

秀吉が「家康討伐」から「懐柔」に戦略変更したわけ

小牧・長久手合戦の時に、家康が仕組んだ「秀吉包囲網」は信雄の和睦以後に秀吉の各個撃破作戦によって壊滅状態になりました。

北陸方面、越中の佐々成政は、秀吉と組んだ上杉に挟撃されて降伏

南海道・紀州の雑賀、根来も数の力に負けて降伏

四国の長宗我部も孤軍となって降伏

さらに、家康が支配する信濃の大半が、秀吉の誘いによって寝返っていました。

川中島を中心とする北三郡  上杉が秀吉方に付く

佐久、小県(上田)など東信濃 真田昌幸が秀吉方に寝返る

筑摩(松本)、安曇の中信濃 小笠原が秀吉方に寝返る

木曽、伊那の一部 木曽義昌が秀吉方へ

こうなると・・・信濃の7割方は家康陣営ではなくなり、残るは諏訪郡と伊那、佐久の一部だけになっていました。

秀吉が家康の領国へ攻め込むルートも、信玄の時と同様に天竜川方面から南下するルートになります。

東西に長い家康陣営の中央に楔を打ち込む戦法でしょうね。

こういう状況を見越して、数正は和睦を主張したのでしょう。

突然の大地震とその災害で・・・「戦などしている場合ではない」と和睦に転じたと言うことになっていますが、どうやら・・・そればかりではないようです。

経済・文化の重要地域である九州がきな臭くなってきて、さして経済力の無い、農村地帯の  家康の領国などより九州の優先度が増しました。

家康はなだめておいて・・・九州を攻めます。

九州の重要性

信長・秀吉の時代を安土桃山時代とも言いますが、豊織政権とも言います。

この政権が重視していたのは商工業による経済発展で、とりわけ外国貿易による富に強い関心がありました。

信長の時代は堺を中心とした貿易が中心でしたが、秀吉は堺だけでなく、大阪、そして博多や長崎での貿易、さらには琉球を通じた貿易まで版図に含めていました。

国内の統一もさることながら国際関係も念頭に置いています。

室町時代の九州は

前三国(豊前、筑前、肥前)を小弐家が

後三国(豊後、筑後、肥後)を大友家が

奥三国(日向、大隅、薩摩)を島津家が、

守護大名として治めてきました。

しかし、戦国期に入ると新興勢力が次々に現れて下克上、さらには海峡を越えて大内家や、その後を継いだ毛利家などが進出してきます。

いずれも博多、松浦、長崎などの良港を通じた国際貿易の富が目当てです。

さらには、ザビエル以後に進出してきたキリスト教の宣教師達が一つの政治勢力を形成します。

信長はキリスト教には寛容でしたが、それを「日本与しやすし」と誤解した宣教師達が九州地域で威嚇外交を始めました。

大砲を積んだ大型船を港に入れて、自分たちの要求や、西洋文化や風習を押し通してきます。

秀吉が危惧したのは、島津が九州を統一し独立国のように振る舞うこと、それにキリシタンや宣教師達が組んで独立、領土の外国化を狙うことだったと思います。

現に肥前ではキリシタン達が税金除け(節税?)として土地の教会への寄進が進んでいました。

古代からある寺社領の感覚で、戦国領主より安い税率を享受しようという魂胆でしたが・・・租借地化する危険を知りません。

九州征伐後の秀吉の政策

一言で言えば「貿易の富を秀吉が独占すること」です。

自由貿易というか、商人や大名達が勝手バラバラにやっていた外国貿易を、政権の管理下に納め、税を得ることです。

安土桃山時代、とりわけ秀吉の天下では「豪華絢爛」な金ぴか文化、芸術の花が咲きました。

この資金を佐渡、石見、生野などの金山開発の成果とする意見もありますが、産出される金銀を使っての貿易の大拡大と、その税収が政権にふんだんに流れ込んだことが、国内産業に豊富な資金を提供します。

商工業経済の大発展・・・秀吉の最大の成果です。

九州平定後、秀吉は6つの政策を実行します。

①キリスト教禁止令

コヨリエと言う布教の責任者が軍艦を使った政治要求を始めます

幕末のペリーの戦国版でしょうか。秀吉はこれに激怒します。

布教禁止はしますが・・・弾圧まではしません。

南蛮貿易は続けます。

②長崎の教会領を没収する 教会領という存在を認めない(教会は寺社ではない)

 日本国内に外国領ができることに強い警戒感を持っていましたね

③琉球、朝鮮国への帰属要求

  後の朝鮮出兵に繋がっていく要求を出しています。

④生糸貿易の政権独占 

生糸、養蚕はこの頃から重要輸出品になっていたんですね。国家管理です。

⑤博多の都市改造計画

何かと小うるさい堺商人から、貿易の中心を博多に移そうと考えていた?

後に、千利休との対立を含め、「堺 対 博多」の経済戦争の幕開けでもあり、朝鮮出兵も博多支援の狙いが見え隠れします。

⑥足利義昭に将軍位を返上させる

 秀吉は公家として「関白」になりましたが、武家の棟梁「征夷大将軍」の位階は足利義昭が握ったまま離しません。

形式的ではありますが秀吉配下の大名達は「朝廷の臣下」という立場と「将軍の旗下」という二つの立場があります。

都合良く使い分けることもできますから反逆、反乱の要因でもあります。

秀吉は帰路の鞆で義昭と膝詰めし、将軍位を返上させます。

「准后」という高い位階を与え貴族にしてしまいます。

この辺りも・・・秀吉ならではの説得力・・・ですね。