どうなる家康 第29回 伊賀越え

作 文聞亭笑一

先週の本能寺の映像は・・・笑ってしまいました。

出鱈目も ここまでヤルと愉快なり 本能寺の変 異聞の異聞

「家康犯人説」が無いことはないのですが、実行犯が明智光秀ですから黒幕ではあり得ません。

それと、光秀が「供応の失敗を責められて蹴倒された」とする記録は明らかに後世の作り話です。

更に言えば、この記録を残したのが宣教師のルイス・フロイスで、キリスト教の支援者である信長が討たれてしまった事への無念さから、犯人の光秀を悪人に仕立てています。

第三者の意見、外国人の記録だから正しい・・・などという人もありますが、ロイス・フロイスはこの後の対日布教の失敗を言訳するために、本能寺の事件を綴っています。

信長全盛期に彼は

「信長はキリスト教を日本の正教に認め、唐入りして中国本土まで布教を支援するだろう」

などと信長十字軍のような、いい加減な報告書を書いています。信用できませんね。

伊賀越え

堺からの伊賀越えは家康にとって最大のピンチだった・・・とも言われます。

堺から紀伊半島の山中を抜けて伊勢に出て、そこから船で三河に逃げる・・・見つかって、軍を差し向けられ、追跡されたらオシマイです。

家康一行は道案内の長谷川秀一、茶屋を加えても50人程度の小集団ですし、甲冑や火縄銃など軍備はありません。

観光旅行の帰り道なのです。だだ、救いは馬の数と、茶屋が持参した金子でした。

徳川軍団の主要人物は皆従っていますから騎乗です。

機動力を使えるのと、戦慣れした個人能力の高さが頼りです。

前回放送の終盤で家康が一人になって百姓達と取っ組み合いをしていましたが、あんなシーンはあり得ません。

家康の周りががら空きになるなど、負け戦でもあり得ないことです。

家康の逃避行を整理してみます。

堺を出発したときの家康一行は34名、それに穴山梅雪の一行が10人ほど、茶屋の手代達が4,5人で約50人です。

河内で穴山梅雪が分かれます。

生駒から近江に抜ける途中で一揆勢に襲われますが本多平八郎の大暴れと、伊奈鉄砲隊の応援で追い払い、近江の小川城で休憩(一泊)

一行が近江国小川城からどの道を通って伊賀国柘植に抜けたのか、定かにわかっていません。

家康一行は自分たちがどこにいるのか、それすらわからず、茶屋四郎次郎や服部半蔵の案内のままに従っていただけでしょう。

ともかく・・・東に向かいます。

① 信楽を通ったという説、

② 多羅尾から御斎峠越えという説、

③ 神山から桜峠越えという説

・・・どれが本当かわかりませんが、ともかく柘植に出て、そこから伊勢の白子浜に出て

・・・伊勢湾を横切り知多半島に上陸したと言うことになっています。

この逃避行の護衛に駆けつけたのが伊奈忠次とその配下の鉄砲隊です。

忠次は切腹した信康の腹心でしたが、事件の折に逃亡して堺に潜伏していました。

この一件で帰参を許され、家康の関東移封後は関東総奉行として徳川家の内政面の総責任者になっていきます。

前回、伊奈忠治と書きましたが、忠治は利根川を銚子に追った3代目、初代は忠次でした。

本多正信

今回の脚本で不思議なのは家康の腹心・本多正信が未だに登場してこないことです。

本多正信は三河一向一揆の折に家康に反逆し、一揆鎮圧後は逃げ出して流浪していました。

信長の第一次朝倉攻めの際に浅井長政に裏切られて、家康隊は必死で逃げます。

その折りに正信が率いる鉄砲隊が家康の窮地を救い、帰参(再雇用)を許されています。

まさか、今回の伊賀越えに本多正信を登場させないでしょうね。

正信は浜松城で留守居をしています。

しかし、次回の予告編にちらりと映ったのは本多正信役のマツヤマケンイチでした。

伊奈忠次の代わりに本多正信を使うとは・・・俳優のギャラを節約するためでしょうか(笑)

それに、伊賀の忍者集団が襲撃してくると言うことにするようですが、伊賀の忍者達は服部半蔵が「徳川家で召し抱える」事を条件に事前工作してありました。

また、茶屋四郎次郎が通行料をばらまいて地域の豪族達を買収していました。

伊賀越えは「家康最大のビンチ」などと言われますが、それは後世の英雄伝説を作るためで、堺からの帰路を明智の追っ手から逃れるために、伊賀越えは最も安全な道筋でもありました。

その理由は信長が行った伊賀征伐です。

信長は忍者という特殊技能者を嫌っていました。

体質的に合わないというのか、生理的に嫌悪感を覚えるのか、それとも自身の伊賀越えの時に狙撃された恐怖感からか・・・ともかく、信長の伊賀攻めというのは比叡山焼き討ち、伊勢長島本願寺火攻めと並ぶ3大虐殺の一つです。

そしてこの虐殺を実行したのは信長の近畿軍団、即ち明智軍団でした。

ですから、仮に明智軍が家康を追跡するために伊賀に入ったら、恨み、辛みの仇討ちの標的になります。

どこから手裏剣の雨が降ってくるか、わかりません。

家康一行を討つより身の安全が確保できません。

最も安全な道筋なのに、なぜ最大のピンチだったのか。

家康の心理的な不安感がピークに達していましたね。不安感と言うより恐怖感です。

1,伊賀衆は家康を信長の協力者と観ているのではないか・・・伊賀攻めに賛成した?

2,服部半蔵が集めた伊賀衆が恩賞ほしさに寝返るのではないか

3,茶屋の賄賂作戦が通用しないのではないか

目の前の不安、恐怖もありますが・・・信長亡き後の天下はどうなるのか、明智以下の織田軍団の部隊長クラスや、信長の息子達、それに全国各地の列強とどう対峙していくのか・・・全く先が見えません。

朝廷は明智に将軍職を与えるのか?

今回のドラマでは既に「天下を取る」と決意しているように描こうとしますが、果たして「天下」を意識し始めたのはいつか。

私はもっと後だと思いますね。

ところで、主犯の近衛前久はどう考えていましたかね。

「よし、よし。目の前のたん瘤は取り除いた。

さて、後釜をどうするか・・・。いや、どうなるかだな。しばし様子見じゃ」

本能寺の変から山崎の合戦までの期間、朝廷は明智光秀の各種要請にのらり、くらり、何も答えていません。

ヤルだけやらして様子見です。

下手に動くと自分が主犯であることがバレます。

このこと「朝廷の犯罪」を徹底的に隠そうとしたのが明治政府でした。歴史を改竄します。