どうなる家康 第38回 朝鮮の役

作 文聞亭笑一

始めチョロチョロ 中パッパ 赤子泣いてもふた取るな・・・中学生の頃にキャンプ飯を炊くのに、飯盒炊さんのコツを教わりました。

今回の大河・・・前半は随分とゆっくりと時が流れましたが、ここへ来て高速回転を始めました。

小田原が落ちて、家康に転勤命令が出たのは1590年

ここから家康の町造り・・・現在の首都・東京の基盤を作る壮大なプロジェクトが始まるのですが、それには目もくれず朝鮮の役の物語へと話を展開するようです。

厭離穢土 欣求浄土

家康が三河の領主として創業したときに掲げた旗印です。

「厭離穢土」 穢土とは・・・汚れたる土地、そういう場所を離れて浄土・理想郷へ  と解釈すれば穢土と江戸・・・発音が同じです。

そして当時の江戸は言葉通りの穢土でした。

家康が関東の拠点として江戸を選んだのには

1,秀吉の指図説

2,家康が自ら選んだという説

があります。

ドラマでは秀吉説を採っていますが、家康が秀吉から関東移封の内示後に服部半蔵に調査させて自ら選らんだと思われます。

江戸・・・大河の出口・・・船運の要衝です。

秀吉の選んだ大阪が淀川・・・船運の要衝であるように、商業の拠点を作るには海と川は不可欠でした。

伊奈忠次

先週の番組の終わりに「ちょっとだけよ」と出てきました。

東京都がこの人の銅像を残していないことが不思議なくらい「東京の父」大江戸都市計画のプロジェクトリーダーとして活躍しました。

東京の今日あるは関東総奉行・伊奈忠次の功績なのです。

伊奈忠次・・・以前にもこのシリーズで二度触れました。

岡崎の出身で家康の長男・信康の側近、参謀として、岡崎の治世で活躍しています。

信康が処刑された後、三河から出奔して堺で外国の知識を学び、家康の伊賀越えの際にその護衛をして帰参を許され、駿河など新領土の民政分野で活躍してきました。

とりわけ、土木分野での知識と人脈を整備しました。

信玄堤・・・に代表される甲斐の治水技術、今川義元・雪斎以来の駿河の測量技術・・・こういう物を組織化してきました。

これが、この技術が花開いたのが・・・江戸城、城下町の建設なのです。

まずは、江戸を穢土にしている坂東太郎・利根川を東へと追います。

当初は現・江戸川筋へ、そして、最終的には関宿で鬼怒川と同流させて銚子へと追います。

日本一の大河を東京湾から追い出す・・・夢のような話をやってしまったのが伊奈忠次という男です。

NHKも大河ドラマと銘打つならば、いつかは伊奈忠次・・・伊奈家三代を主役に取り上げてほしいものです。

そして、「神田の山を削って日比谷入り江を埋め立てる」という・・・とんでもない工事に取りかかります。

現在の日比谷公園・・・17世紀はあそこまで海が来ていました。

埋め立て・・・徳川の下級武士団には仕事ができました。

やることがあれば、不満は出ません。

朝鮮征伐

秀吉が・・・突然言い出したのか、それとも腹案を披瀝したのか・・・朝鮮征伐を言い始めます。

中国、朝鮮にとっては迷惑な話で、日本にとっても???の残る政策なのですが・・・権力者が始めてしまいます。

プーチンのウクライナ侵攻と同じで傍から見ると「何で?」と理解に苦しみます。

それもあって、歴史家、小説家が推論を立てます。それを列挙してみます。

1,秀長を失い、鶴松まで失った秀吉の虚無感、逆上・精神発作

  通説では、これが真っ先に来ます。

秀吉の耄碌が始まった・・・という精神病理学説

  しかし・・・そこまで耄碌はしていませんよね

 開戦は1592年 秀吉が死ぬのは1598年

2,功名心・・・本朝の歴史に名を残す

  秀吉は関白です。民臣の最高位・・・これ以上の上位職はありません。

  歴史に名を残したい・・・と思います。

  「戦国の動乱を鎮めた」では、もしかすると信長に功を奪われる恐れがあります。

  事実、京雀は「頑張ったのは信長、秀吉はその余録」という評価をしていました。

  「信長ができなかったことをする!」

  自己実現の欲

3,国民の目を外に転じる

 戦国は終わりましたが、火種は残ります。

 降伏したとは言え、戦国大名達は「隙あらば・・・」と虎視眈々と秀吉政権のミスを狙います。

 油断なりません。

 現代でも同じ・・・国民の目を外に向け、国内の矛盾から目隠しします。

4,日本国の領土拡大。

  秀吉は日本国のリーダーとして君臨しますが、その日本国は随分とちっぽけな島国です。

  猿山の猿大将ではならぬ。朝鮮を併合し国土を広げる、更にその先も・・・と欲を出す。

5,貿易の拡大と商業利権の確保

  この当時の東アジアの海外貿易は明国が許認可権を持っています。

  秀吉はこれを無視して、日本式か貿易法規を作りたかった。

  明国を宗主国として冊封を受けるという国際序列が気に入らない。

  「貿易自由化」これを、まず朝鮮に打診したところ、にべもなく断られた。この野郎!

6,子飼いの家臣に与える土地がない

  秀吉政治の基本は飴と鞭、日本全国を従えて飴がなくなった。 飴になる領土を増やす

7,東アジア大帝国への夢想

  信長の意志を継ぐ・・・とも言われる説ですが、秀吉は信長ほど夢想家ではない、現実派

8,キリシタン排除

  このままではいずれ、アジア各国はキリシタンに蹂躙される。

  その前に俺が・・・救う

  戦時中の大東亜共栄圏構想と同じ発想・・・事実、この説は戦前に流行った。

9,元寇への復讐説

10,朝鮮本来属国説・・・天孫降臨に始まる国粋主義、日本は特別な国・神国

天才的政治家である秀吉が・・・と考える文聞亭は、5番目の「商業利権説」を取ります。

明国の支配から脱した自由貿易を提案しましたが、無視された・・・というより馬鹿にされた。

この当時の秀吉の側近は小西行長、宗義智、博多の島屋など明・朝鮮との貿易利権を持つ連中で固めています。

そのまとめ役が石田三成  貿易戦争→ゴタゴタ→侵略戦争に発展