流れるままに(第44回)

文聞亭 笑一(市川 笑一)作

原作をベースに、この「流れる…」を綴っていたのですが、ここにきて大河ドラマの流れが緩やかになってしまいました。それもそうですね、原作通りで行けば、あと2,3回で物語が終わってしまいます。まだ6週も残っていますから、どこかで引き延ばし作戦をしなくてはなりません。今年は原作者も、脚本家も同一作家ですから、そこらあたりの匙加減は自由自在と言ったところでしょうか。おかげで、追いかけている方は四苦八苦です。

「流れる…」は先週号で淀君と秀頼を殺して(?)しまいましたので、主役である浅井三姉妹の周辺の出来事を紹介してみたいと思います。

秀頼の忘れ形見  (佐藤雅美 戦国女人抄より)

秀頼と千姫には子供はできなかったのですが、側室に産ませた子が二人いました。

8歳の長男国松と、7歳の女の子(氏名不詳)です。戦国のならいで、兄の国松は京の河原で処刑されてしまいましたが、女の子の方は千姫の願いがかなって処刑をまぬがれました。先週号で触れたとおり、鎌倉の尼寺・東慶寺に入れられ、生涯不犯…つまり、子どもを産まぬように監視されて過ごすことになりました。

この東慶寺は鎌倉以来の名刹です。江戸期の鎌倉界隈の寺社領規模でいえば、鎌倉八幡宮、円覚寺に次いで第三位で、建長寺や鎌倉大仏で有名な長谷観音などよりも大きな寺でした。

駆け込み寺として足利幕府以来の保護があり、夫と離婚したい女性が掛け込んだことから、縁切り寺とも言われました。江戸に幕府が開かれてから、身分の上下を問わず、虐待を受けた多くの女性が掛け込んだようで、幕府もそれを保護するために500石の寺領を与えていました。500人分の主食の量ですね。

関東には他にももう一つ駆け込み寺がありました。徳川家が発祥の地と偽装した上州世良田得川村の満徳寺です。ここには大阪城から逃げ帰った千姫の侍女が、千姫の身替りとして入っています。千姫が本多家に嫁ぐにあたって、秀頼との縁を切ったのです。

この寺に入り、秀頼の娘は天秀尼と名乗ります。家柄ばかりでなく、頭脳明晰であったようで、天秀尼は天皇から授けられる紫衣の高僧になりました。

その天秀尼と問題を起こしたのが豊臣家の子飼いであった加藤嘉明の息子です。反抗した部下が逃げ出したのを追いかけて、この寺に逃げ込んだ妻子を引き渡せと要求します。幕府が公認した男子禁制の寺に踏み込むような乱暴を働き、天秀尼の逆鱗に触れ、会津40万石を没収されてしまいました。加藤嘉明は尾張以来の豊臣の子飼いで、秀吉に愛され、伊予松山10万石から関ヶ原で家康に付いて20万石、さらに大坂の陣で会津40万石と、豊臣を裏切った代償で得た財産を、恩人秀吉の孫と喧嘩して失ってしまったのです。バカ息子ですねぇ。親が恥を忍んで必死に蓄えた財産を、家臣との喧嘩で失ってしまいました。只でさえ睨まれている外様、豊臣恩顧と言われた大名家は三代もたずに潰れていきます。この家は家臣たちの必死の嘆願で、石見吉永で1万石をもらい、なんとか延命しました。

福島家に嫁いだ満天姫

関ヶ原前夜に家康が起こした私婚事件があります。伊達のいろは姫を息子の輝忠にもらい、蜂須賀、福島には養女を嫁に出すという約束でした。この約束は三成の反対で一旦反故になりますが、三成追放後すぐに復活して実行されました。

関ヶ原の手柄で、一気に安芸50万石に出世した福島正則の長男に嫁いだのが満天姫です。

家康の異父弟である松平(久松)隠岐守の娘です。家康には兄弟がいませんでしたが、久松家には家康の母が再婚していましたから、久松家は兄弟同様に大切にされ、加藤嘉明が会津に転封した後の松山20万石に入り、明治まで続いています。代々松平隠岐を名乗りましたが、東京三田の屋敷跡は驚くほどの広さでした。御三家、御三卿に次ぐ幕府の名門です。家康が福島正則を大切にしていた、一つの証かもしれません。

ところが、福島正則は長男も、その嫁も大切にしません。自分に実子が生まれると養子である長男をいじめ倒し、座敷牢で餓死させてしまいます。まるで秀吉が養子の秀次を排除したのを真似るような手口で、そこまで見習うことはあるまいに…と、思うほどの仕業です。その上、長男の嫁を、そのまま実子の嫁にしてしまうのですから無茶苦茶でした。

これまた…江を3回も結婚させた秀吉の手口に似ています。

福島正則は大坂の陣では、家康に内緒で兵糧米を大阪城に差し入れしています。それもあって出陣を許されず、加藤嘉明、細川忠興と共に江戸に残されました。が、最も家康に嫌われたのは、家康の腹心であった伊奈昭綱に言いがかりをつけて、切腹させたことですね。下士同士の喧嘩の責任を取らせたのですが、家康にとっては最高の民政官・関東総奉行を、正則に殺されたに等しい脅迫的行為でした。

秀忠の代になってからも、福島家は幕府の仮想敵国として目を付けられ、些細な失敗を咎められて広島50万石から川中島4万石に、そして改易されてしまいます。

満天姫にとっては夫を奪われ、そして浪人生活と、江とは反対の道を歩まされました。

珠姫

江は秀忠との間に5人の娘を生みますが、その次女が珠姫です。3歳で前田家に嫁入りして夫である前田利常と兄妹の様に育ちます。初潮があってから夫婦生活に入りますが、江と同様に、生む機械の如く子供を宿し、15歳から24歳で亡くなるまでの間に3男5女を出産します。10年間に8人ですから殆ど休む暇がなかったほどでした。避妊知識のなかった時代ですから、愛し合えば結果ができるのは当たり前ですが、利常と珠姫ほど仲の良かった夫婦はこの時代では珍しいことでした。秀忠同様に、利常は側室を持たず、珠姫一辺倒だったようですね。

珠姫が早死にしたのは多産が原因ではなく、江が付けてきた侍女頭の乳母が原因であったと、作家の中村彰彦は小説「我に千里の思いあり」の中で推理しています。夫婦仲の良いのに嫉妬して、珠姫への嫌がらせを執拗に続け、ストレスをかけ続けていたというのです。珠姫の死後、そのことが判明し、秀忠、江夫妻は前田家を随分丁重に扱ったようです。

流れるままに 関係図