流れるままに(第34回)

文聞亭 笑一(市川 笑一)作

耄碌している…と誰しも思っていても、やっぱり秀吉の権威は絶大でした。絶対君主というのは、宗教的権威を併せ持ちます。フセイン、カダフィー、金正日…いずれも、逆らえば殺られる的な恐怖感を漂わせます。家康にしても、秀吉の老衰は重々承知していながら、死ぬまで待とうホトトギス…しか、打ち手はありませんでした。

その意味で、創業者というのは絶大なる影響力を持ちます。二代目、三代目とは全く違うカリスマなのです。肩書きは同じ「社長」であっても、創業者と二代目、三代目では、まるで違う見方をされます。二代目には、本人の能力人望にかかわりなく「ボンボン」というレッテルが貼られ、「努力しないで権力を得た人」という先入観が付きまといます。そこが二代目、三代目の難しいところで、「守成」という秀忠の行き方が、一つの模範解答にもなる所以です。「売り家と 唐様で書く 三代目」というのは、現代でも通用する格言で、そうなることがやたらに多いのです。

これを、事業継承者の実力と批判するのは大間違いで、誰がやっても同じです。周りが、好奇心に溢れた野次馬の目で見ているのですから、何をしたところで創業者と比較され、比較されたら劣るのは当然です。秀吉の後…、偉大すぎる秀吉を越えることなど出来ません。時を待つのが正しい方策です。

したたかな家康は、二代目を狙う三成を刺激しつつ、失敗を待ちます。が、三成もボロを出しません。業務処理能力は抜群なのです。

109、曲がりくねりながらも前に伸びていたはずの道に、暗い雲が立ち込めるのを北政所は感じた。しかし、この茶人から、大名衆が内密に交わしている話を聞きだすのは無理だろう。

寧々にとって、秀吉の死は心に大きな空洞を空けてしまいました。「うちのはげ鼠」「猿」などと、からかっていましたが、漫才師の相方と同じで、秀吉がいなければ寧々の良さも発揮できません。エンジンとブレーキ、二つ揃って車は動きますが、エンジンのない車(豊臣家)では、寧々の出番がないのです。

ブレーキのない車は走れない…と言ったのは本田宗一郎ですが、秀吉エンジンを引き継いで日本という車を動かしていくには、三成エンジンは小さすぎました。優秀なブレーキである寧々の出番はありません。時速100kmで走っていた5,000CCエンジンの車が、軽自動車並みのエンジンで走るのですからブレーキどころか、惰性で走るしかありません。相当にイライラが溜まったものと思います。

この部分は古田織部正と茶を飲む場面ですが、千利休の後の茶道である織部は、寧々と同質のネアカ人間で、発想も同質です。寧々の鬱積した心を癒すには最適なのですが、政治欲に欠けますから、相談相手にはなりません。

110、利家は大阪城に留まって秀頼の補佐役にあたり、家康は伏見城に戻り、政務を取ることになった。病床にあった秀吉が、苦心の末に構想した二頭政治の始まりである。
不安定ながら権力は均衡し、体制はようやく落ち着いたかに見えた。

秀吉亡き後の新体制は、惰性の延長線上を走り出しました。五大老、五奉行の合議制で、日常業務の殆どは五奉行が捌きます。五奉行は…言ってみれば政府、五大老は国会です。

総理大臣は政府の長です。自動的に、石田三成が政権の長です。この状態が半年も続くと、それが定着してしまいます。次の総理を目指す家康にとって、それは許せません。問題を起こして、政権を揺さぶるのが、野党である家康にとって当然の策略です。

家康は、禁じられていた私婚を始めます。大名同士の婚姻は政府の許可が必要でしたが、それを無視した活動を始めました。三成政権への揺さぶりですね。

家康が狙った相手は3人、この顔ぶれが面白い。伊達政宗、福島正則、蜂須賀正勝でした。

伊達政宗…野心満々の新興勢力です。法治主義者である三成の対極にあります。

福島正則…三成とは水と油の関係です。しかも、豊臣家の親戚筋ですから、秀頼の臣下として筋目の正しさがあります。いわば秀吉子飼いの武将の代表です。

蜂須賀家を巻き込んだ辺りが、また家康らしい老巧さです。蜂須賀正勝(小六)は秀吉政権への最初の協力者です。いわば創業期の共同経営者です。竹中半兵衛、黒田官兵衛の二人が秀吉の二大軍師と言われますが、その二人を支えていたのが小六で、秀吉政権の黒幕でもありました。が、秀次謀反事件で、親友の前野将右衛門が処分されて以来、政権とは距離を置いています。阿波に引っ込んだまま、中央政治に口出ししません。いわば無言の抵抗をしている、反三成派の重鎮です。

与党内で、反政府、反三成運動を仕掛けるには最適のトリオですね。

111、徳川家康と前田利家。二大勢力の均衡の上に、かろうじて保たれていた政局の安定は、もろくも崩壊し、家康の比重が飛躍的に跳ね上がった。それと逆に、石田三成の立場は極めて危ういものになった。

家康による婚姻カードを使った最初の仕掛けは不発に終わります。法律を、なし崩しに改正しようと言うのですから無理がありました。与党の幹事長が強引にわがままを通そうとした事件ですから、議会で総スカンを食いましたが、この事件で家康を刑事被告人にし、議員辞職させてしまうというところまでは行きませんでしたね。

つい先だって、どこかの国の、どこかの政権与党で起きた「内閣不信任・小菅騒動」は、まさに、このときの再現です。現代では鳩が出てきて党内を治めましたが、大阪城で鳩の役割を演じたのが、前田利家でした。三成をかばって、党の分裂を回避したのです。

が、その前田利家が死にます。これで三成、家康、利家のトロイカ体制は崩れます。

利家の人望と、それを支えていた寧々に制御されていた一派(清正、正則などの七将)のブレーキが利かなくなりました。菅降ろし、いや、三成降しの実力行使にでます。

彼らが用いる手は暗殺・リンチという武力行使ですから荒っぽい。昭和初期の226事件のようなものです。一種の軍事クーデターですね。

このクーデターの参加者ですが、加藤清正、福島正則、浅野行長、黒田長政、細川忠興、加藤嘉明、藤堂高虎で、いずれも朝鮮では三成と小西行長の陰謀、偽報告のために苦労させられた者たちばかりです。

一方、三成にも味方がいます。上杉景勝と直江山城、それに佐竹義宣というところで、彼らは親三成というよりも、反家康という意識で固まっています。上杉の会津、佐竹の常陸は家康の勢力圏に接していますから、家康が政権をとるのは不都合なのです。

112、いずれ、三成との間に戦を起こせば、徳川に歯向かおうとする勢力を一網打尽に出来る。今夜、血相を変えて屋敷を訪れた正則、清正、忠興たちは必ずこちらの味方になるだろう。

暗殺団に狙われた三成は、自宅にいては危険なので利家の見舞い、弔問を名目に前田屋敷に避難していました。乱暴者のクーデター勢力も、まさか前田家までは敵にすまいという読みでしたが、七将の暴走は止まりそうにありません。前田屋敷も取り囲まれます。引渡し交渉が始まるのは目に見えていますし、前田利長がどちらに味方するかは不透明です。

三成の窮地を救ったのは佐竹義宣でした。三成に女装させて前田家から脱出させ、伏見の家康の元に送り届けます。

窮鳥懐に入れば猟師もこれを撃たず・・・困ったのは家康です。

三成をクーデター派に引き渡してしまえば、政敵は消えますが家康の評判は地に落ちます。

家康自身がクーデターを仕掛けた張本人として悪人であることを天下に示してしまいます。

毛利、宇喜多、上杉から指弾され、前田利長も敵に廻るでしょう。議会で圧倒的な不利を招きます。場合によっては戦争になるかもしれません。悪人のレッテルで戦争に臨めば、たとえ勝ったとしても、世の中は混乱します。

喧嘩両成敗…これしか方法は見つかりません。

三成は奉行から引退する。政権の座から降りる。…三成にとっては残念ですが命には代えられません。倦土重来を狙うにはやむをえません。

清正たちはクーデターをやめ、三成の命を保証する。騒動を起こした罪は問わない。

つまり、クーデターの正当性を認める代わりに、運動の解散を命じました。

家康としては、自分の手を汚さずに政敵が消えてくれたほうがよかったのですが、突発事態が起きたからには仕方ありません。

引用のような「家康の策略」と取る見方が多いのですが、それは家康を美化しすぎた江戸期の伝聞でしょう。想定外の突発事故に慌てた窮余の一策だったと思いますね。結果として、この事件が関が原へとつながっていきました。