流れるままに(第31回)
文聞亭 笑一(市川 笑一)作
江が秀忠に嫁入りしてから一年後に、関西地方を中心に慶長の大地震が襲います。
科学的に言えば、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む、境目で起きた直下型の大地震です。多分、M8くらいはあったと思われます。四国山脈から紀伊半島の中央部にかけての山嶺は、このプレート同士の衝突で盛り上がったものですから、地震の巣であるともいえます。東南海地震が危惧されるのも、百年周期で大地震が起きる地域だからです。前回は明治維新の直前、坂本龍馬が江戸に剣術修行に出ていたときに起きました。あれから既に百年が経過しています。阪神淡路大震災が、ガス抜き効果を発揮してくれていればよいのですが、地震列島の住民として、用心は欠かせません。
NHK大河ドラマは、先般の東日本大震災を慮(おもんばか)ったのでしょうか。それとも地震映像は撮りにくいからでしょうか、今回の放送では地震でなく、火事に話をすり替えてあります。
秀忠が火事の炎の中から江を救出することにしていますが、実は、地震で倒壊した建物の中から救い出したのです。
慶長大地震が襲ってきたのは慶長元年7月13日の夜です。最初にかなりの揺れ(表現から見て震度5強)がきて、大騒ぎになったのはまだ明るいうちでした。が、それは前兆であって、本震が襲ったのは真夜中です。真っ暗闇の中に、震度7が来たのですから、恐怖は口に言い表せなかったと思います。
伏見城、大仏殿などの高層建築は軒並み倒壊しました。朝鮮で小西、石田と喧嘩して謹慎中の加藤清正が、真っ先に駆けつけて秀吉を救った話はこのときのものです。
巨椋池を埋め立てて作った徳川屋敷も、当然のことながら大被害を受けます。
97、江をそもそも苛立たせているのは、夫の無気力さ、やる気のなさであった。
毎朝決まった刻限に城へ行き、決まった刻限きっかりに戻ってくる。後は縁側でひじ枕をつき、のんべんだらりと横になって庭を眺める。
田渕さんの推理ですから、文句をつけても仕方がないですが、これでは「給料泥棒」といわれるマイホーム社員そのものの姿ですねぇ(笑) こういう型の人間は、最近増えているようですが、その多くはマザコンタイプです。母親に「蝶よ、花よ」と育てられて、世の風に当たらずに育った若者に多いようですね。
秀忠に関して言えば、決してそんなことはありません。生母には早く死に別れ、尊敬していた長兄は、信長の命令で殺され、次兄の秀康は豊臣に養子に出されています。「次は自分の番だ」という恐怖感を、常に抱いて育ってきましたから、無気力ではいられません。
心のうちに「父親への不信感」はありますが、手抜きをすれば死と隣り合わせですから、すべてに慎重になるのは仕方がありません。ドラマでは「本も読まずに」と江から叱られますが、非常に勉学熱心でした。暇があれば論語などを読んでいましたね。
この時期から数年、秀忠が最も精力を使っていたのは江戸の町割です。都市整備計画です。
基本設計は天海僧正と家康がしましたが、実行段階での行政を担当したのは秀忠と、その側近の土井利勝です。いずれ出てくるかもしれませんが、建設中の町を丹念に見回り、法令整備や治安対策など、細かいところにまでよく目を行き届かせています。
神田山を削って、江戸前の海を埋め立てる工事などは、秀忠の功績といってもいいでしょう。ともかく、目に付かないところで、縁の下の力持ちをやっています。
98、嫡男という言葉が、江には少し引っかかった。家を継ぐのは男と決まっている。
江が期待されているのも、まず徳川家に男児をもたらすことだろう。百も承知だが、秀忠との心のすれ違いに加えて、おいてきたのが娘であったこともあってか、軽い反発を覚えた。
「女は産む機械」などと発言してクビになった大臣がいましたが、生まれてくる時期を間違えましたね。この時代なら「当然」と容認される発言でした(笑)
田渕さんの想定は「もし私が江ならば…」でしょうから、「軽い」どころか大いに反発しています。そこら辺りが、歴史を多少なりとも知る視聴者に、違和感を抱かせます。NHKの演出ともども、少々やりすぎではないでしょうか。昔、井出孫六という作家が「戦国自衛隊」というSF小説で、機関銃を持った自衛隊員が、ヘリで関が原の合戦に参加するという想定がありましたが、大河ドラマを「史実」として視る人が多いので、あまりSFをやりすぎてはいけません。受験で間違える生徒が出ます(笑)
戦国時代は「戦いで勝ち残る」というのが「家」の条件ですから、男でないといけないという決まりはありません。現に、恵那城では信長の伯母が「女城主」をしていました。
男子の、長子相続が制度化されるのは、江の生んだ三代将軍・家光からです。江が反発していたとしても、その息子が制度化してしまうのです。
99、「秀忠を変えられるのは、ひょっとしたら、お江だけかも知れぬ」
あらゆることから適当な距離を置き、真剣には向き合わない秀忠の振る舞い。
死ぬまでは生きていようか、とでも言いたげな、諦めきったようなまなざし。
欲も、己から何かをおこす熱意を持とうとしない、ぱさぱさの心。
家康には後継者候補はいくらでもいます。秀忠にこだわる必要はありません。
秀忠を見限れば、その兄は結城家に養子に出してはありますが、秀康がいます。文武兼備で人徳もあり、人望は家康を超えたのではないかといわれる程の器量で、越前宰相と呼ばれた逸材です。が、出生の疑惑から後継者候補からはずされました。秀康の母は大阪の町医者の娘で、氏素性が悪かったことと、家康とは湯殿で一度契っただけで妊娠したという点が、家康の疑いを買いました。
何度も言いますが、家康の血統に対する思いは異常なほどに強かったのです。源氏を詐称することの後ろめたさに、少しでも血統の良いものを後継者にしたかったのです。
秀忠の母は東三河の豪族・西郷氏の生まれです。西郷家は鎌倉以来の御家人です。元をたどれば鹿児島の西郷さんも同系統ですね。
それなら、同じ母を持つ四男の忠吉もいます。母は違いますが五男の忠輝もいます。にもかかわらず、秀忠を後継者に選んだということは、秀忠が優秀だったのです。
あらゆることから適当な距離を置き …とは、冷静に物事を捉え
真剣には向き合わない …とは、何かにのめり込むことなく我を忘れない
諦めきったようなまなざし …とは、悟りきったような平常心を持ち
己から何かをおこす熱意を持とうとしない …とは、我欲を前に出さない慎ましさ
ぱさぱさの心 …とは、冷徹な判断力
ということです。物事には裏と表があります。
100、「助けて」
容赦なく襲い掛かる揺れの中で、江は動けなくなっていた。足の上に積もった材木や瓦の山のせいだけでなく、泣き出したいほどの恐怖が江を縛り付けていた。
こね回すような次の揺れが来た。地面の響きに、悲鳴や何かが破裂する音や折れる音が重なり、あちこちで起こる破壊音と交錯した。どこかで火の手が上がったのか、白く焦げ臭い煙が漂ってきた。
この間体験したばかりですから、身につまされます。揺れている最中は何も出来ません。
ともかく、机の下などに潜り込むことですが、この時代の御殿には机などはありません。
腰が抜ける、などといいますが、恐怖感が先行してしまったら何もできないのが地震です。
原作どおり、史実どおり、地震場面にすれば、災害予防になるものを…と思いますが、制作費がかさみますねぇ。ドラマでは火事場にしてしまいました。
真夜中のことですから、一緒に寝ていた秀忠が表に連れ出したのでしょうが、それではドラマになりませんね。こういうときの冷静さは秀忠の真骨頂のはずです。
向島の徳川屋敷は、家康のケチ精神のおかげで平屋ばかりでした。おかげで城下では一番被害が少なかったのですが、伏見城は大変でした。天守閣が崩れ落ち、石垣が崩れ、人的被害も半端ではありません。
その騒ぎの中に、真っ先に駆けつけたのが、罪人として謹慎中だった加藤清正です。
三成などの官僚たちは、自分の身を守るのが精一杯で、秀吉の安否にまで気が回りません。
まぁ、いつの世でも同じことで、危機管理に文官は頼りになりません。こういうときは、自衛隊、消防、警察が頼りです。東日本大震災でも大勢の「清正」が身を挺して処理に当たりました。犠牲にもなりました。・・・が、ちっとも感謝しないのがマスコミ論調です。
所詮、彼らも文官ですからね。口舌の徒です。総理とか言う人も同類?