流れるままに−総集編(後)

お江の物語もいよいよ最終回です。長らくのご愛読ありがとうございました。

これが終われば、来年に備えて清盛の史料を探さなくてはなりませんが、吉川英治の新平家物語の印象が強くて、それを超えるものはありませんね。

それはさておき、お江の物語の締めくくりをしましょう。

浅井三姉妹(後篇)

大河ドラマのお江の物語が終わりました。小谷城での戦争のさなかに生まれ、数奇な運命に流され、弄ばれたお江の人生ですが、最後は将軍の母、天皇の祖母という女性としての頂点に立った人の物語でした。

信長から受け継いだ楽市楽座

お江は信長の姪ですが、ドラマに出てくるような、信長との直接の接点はなかったと思われます。「信長の影響を色濃く受けた」という設定が、ちょっと無理でしたね。

しかし、息子の家光が将軍位を継ぎ、260年に亙る徳川幕府の支配体制を固めるについて、信長の行った改革の成果を確実に引き継いでいました。

信長の政治を要約すれば、既成権威の破壊と商工業の飛躍的発展という二点です。

比叡山の焼き討ち、本願寺勢力との徹底的対決、天皇への譲位要求など、政治的権威破壊の代表事例ですね。小泉改革も、橋下府政も遠く及びません。

しかし、経済的には、信長がこの時代に残した功績の最大のものは楽市楽座でしょう。規制緩和、商工業の自由化です。

それまで、主に寺や神社、公卿などが握っていた専売権、許認可権を一気に開放し、自由市場を創設したのです。これに、海外からの新技術、新手法が入ってきますから、日本経済は一気に花開きました。

残念なのは、海外からの積極的技術導入という成果が、家光が布告した鎖国令によって、その後の江戸時代には引き継がれなかったことです。技術停滞を招きました。

江の責任ではありませんが、海外からの干渉を怖れる余り、キリスト教の浸透力を怖れる余り、保守傾向が強く現れました。TPP議論、尊農攘夷、鎖国…家光的ですねぇ。

秀吉の功績、検地、刀狩り

この信長政権による経済成長に、さらに加速を付けたのが秀吉の行った検地です。

検地は農業生産に関する税制改革ですが、土地所有と納税義務、税率など、全国基準を統一しました。更に、副産物として、長さの単位を始め、度量衡を統一しました。それまでは、一俵という容積の単位、これすら統一されていなかったのです。つまり、小さめの俵を編んで納税すれば、脱税が可能だったのです。

これがその後の商工業にも、限りない可能性をもたらしました。物差し、度量衡が統一されていればこそ、分業が可能になります。部品から製品まで、一人の職人による一貫生産しかできなかったものが、それぞれの得手不得手を生かして、それぞれに分業ができるのです。生産性が大幅に向上しました。秀吉がそこまで計算していたのかどうかは別として、安土桃山時代の経済発展は目を見張るものがあります。民が豊かになれば、当然のことながら文化、芸術も花開きます。

家康による通貨統一

うろ覚えで、記憶が定かでありませんが

信長が 杵もち搗きて秀吉が 捏ねて丸めた天下餅 ご馳走様と食らうは家康

などと言われ、家康は先輩二人の果実を只盗りしたように言われますが…そんなことはありません。家康は、最後に金本位制による通貨統一という、経済の土俵を整備しました。金座、銀座などを作り、通貨の発行と管理を幕府に一元化したのです。これがあってこそ、取引上の信用が確保できます。安心して、全国規模の商売が可能になります。流通が活性化します。金座、銀座は日本銀行の原点です。

さらに、家康は天下普請と称して、大々的な国土計画を実行します。

五街道と呼ばれる東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、水戸街道の整備を始め、北陸道、山陰道、山陽道など、後の列島改造計画以上の大工事です。宿場の整備も同時に進めますから、地方と中央の文化交流も盛んになり、国民全体の教養が飛躍的に高まりました。

秀忠による改易、国替え

お江の亭主、二代将軍秀忠が行った功績の最大のものは、大名家の取り潰しと頻繁な国替えでした。国替えとは、大名の転勤のことです。

幕府の政治体制は、藩による地方自治が基本です。立法機能と監察権、最高裁判権は中央政府が持ちますが、殆どの行政機能は藩が中心になって運営します。しかも、藩主は世襲ですから、時に行政機能の劣る者が為政者になりかねません。政治破綻、財政破綻など頻発します。これを監督し、藩主を取りかえるのが国替えです。秀忠は在任中に、この荒療治を「これでもか」というほどやっていますね。家光もそれを踏襲します。

政治的に幕府への求心力が高まるだけではなく、政治腐敗の防止もできました。

文化も藩の移動と共に付いていきます。卑近な例をあげれば、小諸の蕎麦が仙石家に従って出石の名物蕎麦になり、会津の蕎麦は保科家と共に高遠から渡って行きました。人の移動と共に食文化や生活習慣まで移動したんですね。転勤もあながち悪いことではありませんね。現在はこの転勤が世界規模で行われています。海外への工場移転、場合によっては会社ごとの移動もでてくるでしょうね。

今、増上寺で秀忠とお江は一緒の墓に眠っています。戦災で、秀忠の廟が焼けて、お江の墓に転がりこんできました。なんとなく…テレビのイメージに似ています。