流れるままに(総集編−前−)

先週放送分でハネカエリ娘「江」の物語は終わりました。大胆すぎるほどの作者の推理で、司馬遼太郎、池波正太郎、山岡荘八的史観を覆してくれました。AKB的な現代娘が、戦国乱世に迷い込んだら…という歴史上の「If」をやってのけましたね。かつて、井出孫六が「戦国自衛隊」という小説で「もし、自衛隊が、関が原の合戦に小早川秀秋の援軍として参加していたら・・・」と言う物語と同じ手法です。

そう思って見ていたら「アハハ・・・」で済みますが、「歴史にifはない」と考えれば、「歴史を冒涜するものだ」「これを子供たちが歴史だと信じたら大間違いだ」となって、「ケシカラン」ということになります。娯楽時代小説、歴史ドラマとしてなら水戸黄門や、暴れん坊将軍と同様です。子供たちが信じるか?たぶん信じますね。私などは水戸黄門が全国を漫遊して歩いた偉い人と・・・、20歳過ぎるまで信じていましたからね。

「流れるままに」を連載しながら、コンピュータソフトのアシスト社が発行する機関紙に秋号、冬号の二回に亙り「浅井三姉妹」として拙文を掲載しました。

これを補足、転載して「あとがき」の代わりにします。

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<浅井三姉妹・前篇>

今年のNHKの大河ドラマの主役は、戦国期の混乱の中で数奇な運命にもてあそばれた徳川二代将軍の正室・お江です。原作、脚本の田淵久美子さんの大胆な推理が面白く、歴史を知る者にとっても、あまり関心のない方にとっても、戦国ホームドラマ的楽しさが味わえます。

江の生きた時代

一口に戦国時代と言いますが、戦国期は前半と後半で大きく性格を異にします。

前半は分裂の時代です。足利幕府が、内部対立で核爆発を起こして、無数の勢力単位に、分裂していった時代です。統一国家が地方の単位(近畿、関東など)に割れ、さらに国(県)の単位に分裂し、そして市、町、村へと、地方分権はとどまるところなく拡散していきました。最小単位は集落レベルに達しています。まさに、現代の政党の集合離散を見るような状態でした。

後半は、行きすぎた分権を是正するかのように、核融合が始まります。

大が小を併呑し、力を付けてさらに吸収、合併が進みます。そして最後には「日本」という統一国家にまで集約されたのですが、江は、その、後半を生き抜きました。自分の産んだ子である家光が将軍位についたとき、戦国は終わりを告げたのです。

戦国トーナメント

戦国後期を甲子園の野球に例えたら、いきすぎかもしれませんが、良く似ています。地方予選を勝ち抜いた強豪が、全国制覇を狙って、甲子園ならぬ、京の都を目指します。

北陸代表上杉高校、甲信代表武田高校などという伝統校が、川中島球場で大激戦をしています。どちらも普通科の伝統校同士で、一歩も譲りません。

東海道では東海の雄、今川高校に、濃尾代表の織田商業高が果敢に挑みます。織田商業高は、ほかの出場校と違い、普通科ではありません。職業訓練校的な色彩が強く、新技術の導入に熱心でした。この当時の普通科とは、農業高校のことです。

その中で、江の父、浅井長政は近江予選を戦っていました。ようやく勝ち上がって、滋賀県代表の座を手に入れたのですが、くじ運悪く、一回戦の相手が強豪・織田商業高になってしまいました。そんなときに生まれたのが江です。

江が生まれたときは、すでに試合は始まっていました。

この時代に試合ルールは、ないに等しい状態です。「なんでもあり、早い者勝ち」ですから、ありとあらゆる手段が使われます。陰謀、裏切り、当たり前です。なにせトーナメント戦ですからね。負けたらおしまいです。

大義、正義「天下布武」

この時代に、大義、正義などという概念は希薄です。信長が京に進出し、東海から近畿圏を平定した頃、つまり準決勝に勝ち上がった頃に出てきたのが「義」という概念で、これは宗教勢力である本願寺と対抗するために、やむなく持ち出してきたものです。

準々決勝を戦っていたのは伊達、上杉、北条、武田、織田、本願寺、毛利、島津の8チームで、なかでも宗教学校の本願寺が、信長の最強の敵でした。

江たち浅井三姉妹は、秀吉を「父母の仇」と嫌いますが、仇などという概念は、この当時全く存在しません。本能寺の変があった後、秀吉が、自らの正当性を主張するために持ち出したのが「信長公の仇」という主張ですから、それを逆手にとって抵抗したとも言えますね。戦国期に「敵討ち…」などと言っていたら、日本中を敵に回してしまいます。

それにしても…、江が秀吉に向かって「猿」とののしり、勝手気ままにふるまうとは…、なかなかに痛快ですが、まずあり得ないことです。

ましてや、信長の天下布武の印鑑をもらったと言うことも…なかったでしょうね。多くの司馬遼的史観の視聴者たちは、信長暗殺の頃からドラマを見なくなりました。「あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて…」というのが、その理由です。

確かに、家康と共に逃げるなどは絶対にありえない話です。

秀吉と淀君

ドラマの前半で、仇と嫌っていた秀吉を茶々が受け入れて側室になる場面があります。

このプロセスを、江も、視聴者の女性のみなさんも一様に不審がりますが、それは、茶々を現代女性と重ねて観るからです。茶々の思いは唯一つ「浅井家の復興」だったと思います。秀吉は信長の姪としてみますが、茶々は父・長政の復権、敗者復活戦に勝ち上がることしか考えていなかったと思います。

子供を産んで、淀城を手に入れ、大阪城をも手に入れる。これができれば優勝者・秀吉の名誉を、浅井家が簒奪(さんだつ)できます。鶴松、秀頼、息子たちこそまさに浅井茶々の最大の武器です。

秀吉が、手練手管で恋を成就したのか、それとも茶々が秀吉を籠絡したのか?

そこのところは茶々にしか分かりません。が、兄の浅井喜八郎が、茶々が側室になったのと時を同じくして、秀吉の弟・秀長の家臣に取り立てられています。浅井家の残党ともいうべき近江人も、大多数が秀吉の部下に編入されました。つまり、豊臣家の中に浅井勢力が包含され、最大勢力に成長します。

その旗印とも言うべきものが浅井の姫、茶々であったと思われます。

徳川への嫁入り

江が、3度目の結婚で徳川家に嫁ぎますが、これは家康の策略でしょうね。

徳川の家格を挙げ、政権奪取の正当性を、血縁の面でも高めようと考えたのではないでしょうか。

江は信長の姪であり、秀頼の叔母です。織田・豊臣の血が徳川につながれば、江の子、三代目の家光は三家の血をひきます。

それというのも、家康は徳川家の血筋に強い劣等感を持っていました。新田源氏の末裔というのは大嘘で、実は家柄など不詳だったのです。祖先と言われる徳阿弥は、上州得川村の浄土真宗末寺の坊主で、布教のために三河に流れてきて、郷士であった松平家の養子になった人物です。氏素性が新田源氏につながるかもしれませんが、かなり、いかがわしい家系でした。そのことを終始からかっていたのが新田源氏の直系である常陸の佐竹で、家康は佐竹の取り潰しを死ぬまで企画していましたね。

秀忠が浮気もせず江に一辺倒になったのは、家康の強い願望、要望によるものでしょう。江の産んだ子に徳川を継がせなければ、江を嫁にもらった意味がありません。側室の子であった保科正之が認知されなかったのはそのためです。

が、家光亡き後、徳川政権を支えたのは、保科正之でした。若年の四代家綱に代わって、政権を磐石にし、元禄の経済発展につなげて行きます。

今年の大河ドラマは歴史推理小説という新分野の作品です。歴史には限られた証拠しかありません。しかも勝者の記録しかありませんから、大胆な推理も、一概に間違いとは言えませんね。