流れるままに(第48回)

いよいよ最終回になりました。「歴史を冒涜する」「作者の思いを入れすぎ」「ミーハー」などと批判も多かったシリーズですが、歴史に興味の薄かった女性視聴者には、それなりに楽しめた作品だったようです。まぁ、歴史SFとして見れば、一人のわがまま娘が時代に流され、流れて、気がついたら将軍の母、天皇の祖母になっていたと言うお話です。

それにしても、昨今のテレビは、電波が増えたことによって民法が質の低下を起こし、大人が見る番組が減ってしまいました。テレビが大好きなお年寄りには、見たい番組が減ってしまっています。

その上、BSをつければ「金払え」の黒枠が現れて、金を払っても年寄りには操作しがたいほど「青押せ」「赤押せ」と指図します。80過ぎの爺婆には苦行難行ですよね。

ともかく、「流れるままに」は今回が最終回です。

157、三年の月日が流れ、元和九年(1623)が訪れた。
元服し、名を竹千代から家光に改めた徳川家の長男は、七月二十七日、伏見城で将軍宣下を受けた。まだ二十歳という若さ、初々しさであった。

江の思いとは別のところで、家光は着実に政治家として育っていきます。青年時代はかなりのヤンチャをしたようで、三日に挙げず吉原に女郎買いに出かけ、ならず者と喧嘩をし、現代のチンピラ同然の振る舞いも多かったようです。テレビの人気番組で「暴れん坊将軍」というものがありましたが、あの物語のモデルは家光の若い頃と、八代吉宗とを足して二で割ったような設定ではないかと思います。

ともかく、家光が将軍になる頃には、戦国の世を知る者たちが次々に世を去り、外様大名も二代目、三代目に移り変わっていました。創業者の時代が終わり、守成の人たちばかりです。金銀の大量産出に沸いた経済も、成長期が終わりに差し掛かっていました。家光は、将軍宣下と同時に、諸大名を集めて施政方針演説をします。

「祖父も父も、その方らの働きによって将軍になったが、予は生まれながらに将軍である。逆らいたき者があれば容赦はせぬ。存分に討ちかけてまいれ」

幕府の威勢が浸透し、既に磐石の態勢が出来上がっていたのです。逆らいたくても逆らえません。国内から戦争の火種は消えていましたが、家光の治世で唯一の戦争は島原の乱だけです。これも、戦争と言うよりは一揆の大規模なもので、圧政に耐えかねた島原の住民に、イスパニアなどの外国勢力と、度重なる大名家の取り潰しで食いっぱぐれた浪人たちが加わって反乱を起こしたものです。イスパニアにとっては、ザビエル以来の宣教師によって開拓した、日本と言う有望な市場を手放したくなかったのです。天草四郎以下の一揆勢が善戦したのは、イスパニアによる武器の供与があったからです。「信仰の強さ」と言いますが、信仰だけで戦争は出来ません。裏で武器の提供をするものがあって、抵抗運動は過熱するのです。アラブ、アフガンでの戦争も、裏でうごめいている国か、組織か、何がしかの勢力の働きがありますね。宗教勢力が野心家と結びついたら、いつの世でも戦争の火種になります。政教分離は、その意味で重要な平和へのキーワードです。

158、同じ年、五女の和子は後水尾天皇との間に興子内親王を出産した。
この興子こそ、後に即位し、奈良時代の孝謙天皇以来、実に860年ぶりの女帝となる、明正天皇その人であった。
江は、大御所徳川秀忠の正室にして将軍家光の生母、更には天皇の姑、祖母として、その晩年を迎えることになる。江はお市の方の遺命を果たしたのみならず、織田、浅井両家の血脈を幕府と皇室に伝えたのである。

功成り名を遂げる…といいますが、結果だけ見たら、江ほど幸せな人はいません。位人臣を極めると言うだけなら、鎌倉時代の北条政子や、秀吉の妻であった寧々も同様なのですが、天皇家にまで係累を及ぼしたのは、平清盛の妻であった時子以来です。

来年の大河ドラマでは、平時子や北条政子をどう描くのでしょうか。

それはさておき、江の人生後半は幸せだったのか。どうも、そうは言えそうにありません。

嫁に行った娘たちのこと、将軍を継がせたかった忠長のこと、全て思い通りに行きませんでした。忠長は謀反を疑われて、幽閉されていた高崎城で切腹して果てます。

千姫は本多忠刻(平八郎の孫)と再婚しますが、夫に先立たれます。

次女の珠姫は前田家で7人の母になりますが、親より先に死んでしまいます。

三女の勝姫は秀忠の兄の家、福井の結城家に嫁ぎましたが、夫が精神異常になり、取り潰されてしまいます。

四女の初姫は、京極家で松江24万石の大名夫人でしたが、これまた夫の乱行に苦労します。子に恵まれず、寂しい一生でした。

五女の和子、天皇の母にはなったものの、幕府に抵抗して不貞腐れる前天皇と、幕府の板ばさみで気苦労の連続でした。

159、江が望んだ徳川家永続のための仕組みは、将軍に継嗣のないときは、尾張の徳川家か紀伊の徳川家から継嗣を出すことを秀忠が定め、より強固なものとなった。
秀忠は、諸大名の改易や転封にも手腕を振るい、藩幕体制の強化に結びつけた。

改易、転封は身内、娘の婚家といえども手心を加えません。その代表事例が越前結城家でしたね。兄の家で、しかも勝姫の婚家でしたが、50万石を召し上げてしまっています。

珠姫の婚家、前田家も3度、取り潰しを狙われています。加賀百万石という大領は、幕府から見て何とも気がかりな存在でした。(前田;高岡20万石を含め120万石)

一度目の危機は、前田利家死後に仕組まれた「家康暗殺事件」でした。このときは母親を人質に江戸に送って切り抜けます。二度目は大阪の陣の前、豊臣家への内通を疑われます。

これには利長が隠居して、珠姫の夫・利常を後継者にすることで逃れます。三度目は、その珠姫の死後、またもや謀反を仕組まれます。大阪の陣で活躍した家臣へ加増をしたのですが、それに不満の藩士が幕府に内部告発したことを、大々的に事件にされてしまいました。利常が志村けんモドキの「馬鹿殿」を演じて切り抜けたのはこのときです。

「情け容赦なく…」これが秀忠の大名対策でした。

160、徳川家による平和な治世が、二百数十年にわたって続くのを、夫婦はじっと見守るだろう。その礎を受け継ぎ、次代へ渡した誇りは、二人だけに許されたものだった。
そして、いずれその治世が果てても、
戦より平和を
憎しみでなく愛を
江は望み続けるだろう。江の永久の祈りとして―――。

田渕久美子の原作の最後の部分を抜き出しました。

これが、作者の結論、思いでしょうね。女性らしいと言うか、戦後の日本人が受けてきた教育そのものです。戦争より平和を…が行き過ぎて、争いを避けるのが正しい、君子危うき近寄らず、を以って国是としているのが、この国の国民のようです。

したがってTPPなどの議論でも、守ることばかりが先にたって、より良くする方向での議論は盛り上がりません。そのくせ豊かさと、安全だけを求めるのですから虫が良すぎます。

ハイリスク・ハイリターンが世の常です。

何もしないで豊かさを享受しようなどと言うのは、たわごとに過ぎません。

結婚しない若者、子供を作らない夫婦、お金で将来の安定を買おうとする中年、天から年金が降ってくるのを待つ年寄り、そんな福祉童話、御伽(おとぎ)噺(ばなし)はありえません。

増上寺、これは、秀忠と江が眠る墓です。

近年、この墓に眠る江の遺体が発掘されて、解剖学的見地から分析が行われたのですが、なんと、江のミイラから、かなりの量の砒素が検出されました。学術的には解明されていませんが、暗殺説もあるようです。暗殺としたら誰がやったのか? 想定されるのはお福、春日の局でしょうね。江とお福は江戸城の大奥で、支配権を巡って死ぬまで争っていたようです。槍や鉄砲の戦争はなくなりましたが、人の世から争いごとは消えません。

地球上の人口が70億人を超え、100億人になるのも、そう遠くはないようです。

争いたくはありませんが、逃げてばかりはいられませんね。