海人の夢 第30回 南宋貿易
文聞亭笑一
今週は、「平家納経」がタイトルですが、清盛が、いよいよ念願である海に乗り出す場面です。新しい世を作る…すなわち、通商の富を作り出そうと、経済政策の大転換を始めることになります。それまでの日本は農業の技術革新で、成長経済を続けていました。その上に胡坐(あぐら)をかいて、不労所得を吸い上げていたのが藤原一門を中心とする公家社会でした。
農業の生産性にかげりが見え、度重なる災害に対しても、無為無策による復旧の遅れが重なって、財政が極端に悪くなっていました。「貧すれば鈍す」の諺どおり、中央政権は枯渇していく富を奪い合って、政争、更には戦争を繰り返し、ますます赤字を拡大していきます。こういうところ――現代の日本に酷似していませんか?
清盛の改革は、こういう閉塞社会に風穴を開け、新しい風を呼び込むことでした。決して権力を求めたのではなく、自らの夢を実現するために、その夢を実行できる力を持ちたかったのだと思います。
「貿易」この魅力に目覚めたのは、父、忠盛が博多でやっていた小規模な密貿易を受け継ぎ、さらに瀬戸内、熊野の海賊を配下に従え、太宰の大弐となってから、具体的な方策に目覚めました。商取引には国際ルールが必要ですが、それらの基礎知識を、海賊と呼ばれる者たちに習得させていたのです。テレビでは兎丸という架空の人物を登場させていますが、瀬戸内の佐伯一族、熊野の堪増などという人々がその任に当たっていたようです。さらに宿老の平家貞、この人が中心となって財政を切り盛りしていました。貨幣制度の研究にかけては、当時の第一人者でしたね。官位も薩摩守、筑前守を歴任しています。清盛の構想を、具体化した立役者は、まず、この人だったでしょう。
さらに、貿易路ですが、この当時の航海術は有視界航行です。陸地や、島影を見ながら船の位置を確かめつつ、海を渡ります。したがって、宋からは香港から台湾、沖縄列島を経由して鹿児島沖へ、そこから五島列島を経て博多に着くのが南ルートです。 もう一つは北回りのルートです。朝鮮半島から対馬、壱岐を通じて博多に着きます。家貞が薩摩守、筑前守を拝命するのは、貿易の玄関口だからだったのではないでしょうか。なんと言っても、清盛政権の財務大臣、兼、経産大臣なのですから。 当時の中国では、日本を右図のように見ていたでしょうね。 東シナ海という大きな湖の先にある、絶海の孤島ですが、金の産地、蓬莱島です。 さて、今週は吉川英治の新・平家物語から、この時期に相当する部分で、名言と思われる部分を引用してみます。 |
Y8、母の髪の毛は子をつなぐと言う。――母を夢に見る子は、いつも心の岐路で母に手を引かれている。――牛若がそうであった。
この時期、後の牛若丸はまだ乳飲み子です。母の常盤が清盛の愛妾となることで、命拾いをしました。母の髪、つまりは母の才覚と色香が、牛若他、兄弟の命をつなぎました。
平安期は、ある意味でフリーセックスの世界でしたから、現代のような不倫騒動は起きません。敵将の妻を奪うなどというのは、いわば戦利品のようなもので、褒められこそすれ、顰蹙を買うことはありませんでした。
男の子にとって、母親は永遠の憧れです。女の子以上に、その思いは強いものです。強すぎてマザコンになってはいけませんが、母の涙ほど恐ろしく、身を引き裂かれるものはないのです。母の喜ぶ顔を見たさに、勉励努力するのが普通の男の子ですね。
しかし、知ってか、知らずか、最近の母親たちは涙を流しません。理屈ばかりで育てようとします。育児教科書、幼児からの塾通い、習い事、…悪いことではありませんが、過保護、過管理、過干渉が、子供を追い込みます。大津のイジメ事件などは、その典型ではないでしょうか。親の過管理と、過干渉、過剰期待に暴発したチンピラが、そのはけ口を、弱い級友に向けたのでしょう。あれは自殺ではなく、犯罪です。凶悪犯罪です。
加害者の親は裁判で争うようです。理論理屈も結構ですが、たまには……母の涙という切り札も使っておかないといけないのではないでしょうか。女が強くなってもかまいませんが、その強さが、息子に人殺しまでさせてはいけません。
Y9、答えは、時が来てみれば、あまりにもわかりすぎていたことである。
けれど、時の至る寸前までも、悟れないのが、敵味方とも、人間の常であった。
そうですねぇ。福島の原発事故も、今となってみれば、爆発したらこうなることはわかりきっていました。現代の世の中は、すべからく電気エネルギーで動いています。電気がなくなったら、すべての社会生活は停止します。Black Out 大停電、これが発生したら、あらゆるところで大混乱が発生します。予め知らされていた計画停電でも、一回目のときは大混乱を起こしました。まさかガス器具が使えない、などとは思いもしなかったのです。社会インフラも、至る所で混乱を起こしました。水圧を上げるポンプが動きませんから、水も出ません。
原発稼動を実行した政府と、それに反対する勢力が、金曜日の夜になると総理官邸前で争っています。が、Black Outが起きるまで、わからないでしょうね。原発反対を叫ぶ人々は、何年か先の理想を、声高らかに叫びます。政府は、今を壊さないようにと、必死になります。時限の違う話を、一つの土俵に乗せて、あーでもない、こーでもないと騒ぐ姿は、800年前とちっとも変わっていません。人間とは、進歩しない生き物なのです。
Y10、花は、散る支度をし始めるときが、花の一生の中で一番美しいし、盛りにも見える。
散る桜 残る桜も 散る桜 と詠んだのは良寛さんですが、咲いて散るのが花です。
花は女か 男は蝶か… というのは昭和の歌謡曲の文句ですが、花は、多くの場合、春への期待を運んできてくれます。そして、秋から冬への哀愁を知らせてくれます。
わたしが育った会社の創業者、立石一真は、かねがねSINIC理論というものを唱え、人類文化の未来予測をしていました。採集社会の後に来るのが、農業社会、それが成熟すると、工業化社会、その後に情報化社会がやってくる…、と、ここまでは歴史をなぞってみればその通りです。現代は情報化社会の真っ只中にいます。創業者は、その後に来る社会を最適化社会と名付けていましたが、科学と文化の融合、調和した社会です。
私たち世代は、工業化社会に遅れて入った日本で「追いつけ、追い越せ」と、工業化社会を推進してきました。その結果がバブルでしたね。あの時が、英治の言う花は、散る支度をし始めるときが、花の一生の中で一番美しいし、盛りにも見える。ではなかったかと…、今にして思います。
現在、世の中の振り子は大きくデジタル技術に振れ、アナログ技術を片隅に追いやっています。左脳の論理の世界がすべてを支配し、右脳の情の文化を置き去りにしています。これが極端に振れた結果が、法律万能の社会で、これが富の偏在をもたらしています。
アメリカでは一人のCEOに47億円もの大金が渡されるのだとか。日本の会社でも年俸が10億円を越える社長さんがあまたいるようです。まだまだ、情報化社会というのは未熟なんですねぇ。花が咲くどころか、盛んに競い合って草丈を延ばしている社会なのでしょう。毒花も、薬花もわからずに、ありがたがって花を追いかけますが、もしかすると、放射能よりも、こちらの毒花の花粉の方が怖いかもしれません。
平氏の興隆期、毒の花が宮廷にも、六波羅にも咲き出しました。清盛の夢と理想をよそに、この花々は勝手にその根を広げ、花粉を撒き散らします。
Y11、素直にさえ接していれば、自然は決して人間に酷(むご)い主君ではない。
慰めてくれる。楽しめと、その懐に抱いてくれる。
宗教では、人は自然によって生かされている存在だと説きます。が、前触れもなくやってくる災害に、人は、自然を恐れます。
素直にさえ接していればと、英治は説きますが、素直になれないのが、大人という名の人間ですよねぇ。科学的思考法なるものを、知らず知らずに身につけて、余計な、知識と言う色眼鏡で自然を見ますから、自然を人間の僕(しもべ)と考えてしまうようになります。主君ではなく家来として扱おうとし、災害と言うしっぺ返しを食うことになります。スギ花粉などもその一つでしょうか。自分に都合の悪いものには雑木と名づけて伐採します。雑草と名づけて除草剤をふりかけ、淘汰します。都会ではコンクリートで地面を固め、雑草の生きる術を奪います。余り素直に接していませんねぇ。
この引用部は、西行法師の述懐として、新平家に載っていました。
いい言葉だな…と、紹介させていただきました。