敬天愛人 11 安政大地震
文聞亭笑一
西郷どんに影響を与える人々が出そろってきましたが、どうやら藤田東湖や戸田忠太夫、武田耕雲斎などは登場させずに行くようです。まぁ、儒学的で、尊王の、思想的な影響ですからね。哲学、思想といった部分は避けて通るのがマスコミの通弊でしょう。
西郷どんは「藤田先生のためなら死んでもいい」と、故郷の叔父に手紙を書くほど心酔していたのですが、その藤田東湖は安政大地震で屋敷の下敷きになり圧死してしまいます。戸田忠太夫も同じく、この地震で死んでいます。水戸の両田(りょうでん)(藤田・戸田)、とか水戸の三田(さんでん)(藤田・戸田・武田)と言われたうちの二人を失って、水戸藩に於ける斉昭への求心力が低下してしまいます。このことが尊王攘夷の先駆者でありながら、維新の進展の中で水戸藩が脇に追いやられ、賊軍とすら見られてしまう方向に導いてしまいました。藩としての統率力が低下します。
安政の大地震
西郷どんが江戸に上った時期、政治・外交ばかりでなく、日本列島は大揺れに揺れていました。地震です。それも震度5程度の半端なものではありません。M8クラスが頻発します。
年表モドキを書いてみます。
日時一年半・・・ばかりの間に大地震が8回起きています。
現代も阪神淡路大震災があって、東日本大震災があって、熊本地震があり、「活動期だ!大変だ!」と大騒ぎをしていますが、これは20年間の出来事です。
上記年表の地震が、いかに「とんでもない」ことか…ご理解いただけますでしょうか。
要するに、わずか1年半の間に阪神・淡路、熊本クラスが4回、東日本クラスが4回、この列島を襲ってきたわけで、ロシアのプチャーチンなどは、開国を迫って執拗に粘り、下田に停泊中に東海地震の津波を食って座礁、転覆しています。ロシアが・・・あまり積極的に日本に干渉してこなかったのは「地震の恐怖、津波の恐怖である」などという俗説もあります。
ともかく異常です。異常な多さでした。でも・・・南海トラフが動くと、当たり前かも???
南海トラフ
今週、来週は西郷どんが・・・地震で失われた篤姫の嫁入り道具を再調達するために、体を張って江戸市中を駆け回る場面を放映すると思われます。
薩摩屋敷も、ご他聞に漏れず安政江戸大地震で相当な被害を受けました。篤姫の嫁入り道具をしつらえてあった藏・・・と云うか御殿が倒壊し、その総てが使いものにならなくなりました。
西郷どんの、この辺の大活躍は・・・テレビに任せましょう。映像をお楽しみください。
文聞亭はこの10年、地域の防災・・・というか危機管理に取り組んでいまして、とりわけ地震に関しては勉強を続けております。が、改めて整理してみて、幕末、安政元年頃の地震は異常ですね。「盆と正月が一度に来たような」という表現がありますが、「大地震」と言われるものが8回も来るというのではお手上げですね。幕府も救済に手の下しようがなかったのでしょう。
この現象を地球物理的に言うと、フィリピン海プレートの北進圧力が限界に達し、ユーラシアプレートと喧嘩し、その反動で太平洋プレートとも喧嘩し、あっちでも、こっちでもプレート同士が衝突した結果ですね。
日本列島はユーラシアプレートの末端が割れ、分離して洋上に押し出され、それに太平洋プレートとフィリピン海プレートが潜り込んで持ち上げ、列島を構成しています。元々、本州は西日本と東日本で別の島だったのですが、太平洋プレートとフィリピン海プレートがぶつかってできた「伊豆バー(浅間山から富士火山帯、伊豆半島、伊豆七島、八丈、小笠原ライン)」が北上し、この隙間に侵入、衝突して東と西を接着して現在の姿になっています。
ユーラシア大陸があって、その下に南からフィリピン海プレートが潜り込んで、さらに東から太平洋プレートが潜り込む、そういう三層構造です。あっちこっちで地殻同士がぶつかります。そのたびに地震を起こし、更に、摩擦熱でマグマが出来、それが溜まってくると噴火します。
幕末、1855年ころに地震が多発したのはちょうどそういう周期であったことと、太陽の黒点活動の影響もあると思います。また、惑星直列など地球以外の天体から受けるストレスも影響するでしょう。ともかく、この辺りのことは、仕組は分かっても運動法則が分かりませんから、予測できません。
ただ、「近いうちに地震が来るぞ」と言えば、これは70%の確率で当たります。必ず来ますからねぇ。最近、南海トラフ(フィリピンプレート)が原因の地震が、東に少ないのです。
西では阪神淡路で動きました。熊本も動きました。新燃岳も頑張ります。
が、東側が静かです。こいつが・・・気持ち悪いですね。
「直下型が必ず来る」と思っていますから、その準備をします。
電気、ガス、液体燃料などのエネルギーはない。食料も限られた量しかない。水がない。
しかし、それ以前に火事を起こさないこと。神戸の長田区現象が最も怖い。安政江戸大地震の絵でも、燃え盛る炎を描いています。この地震で隅田川から東は焼け野原になり、多くの死者を出したと記録にあります。
今週はドラマの筋と関係のないことばかりで紙面を潰してしまいました。
しかし、安政元年、2年という年が「フツー」の年ではなかった・・・ということを理解して、ドラマを見ていただきたく、理系の話にしました。