乱に咲く花 15 直弼の研究

文聞亭笑一

ここのところ、ちょっと井伊直弼の肩を持ちすぎか…と、振り返ってみますが、物には表と裏があります。政争には敵味方があります。両方の立場から見ないと…あるがままの歴史が見えないのではないかと、幕府寄りにスタンスを置いています。今回のドラマは長州が舞台ですから、毛利藩の立場で物語が展開しますが、日本全国にあった200以上の藩を置き去りにして歴史を読むわけにもいきません。長州の隣、広島の浅野家43万石にしても、岡山31万石の池田家にしても、安閑と平和をむさぼっていたわけではありません。幕府の目を意識しつつ、「攘夷」の混乱にいかに立ち向かうべきか…必死で考えていました。

長州37万石の周りには山陽道の広島、岡山だけではなく、山陰には親藩松江19万石、鳥取池田の32万石が控えています。幕府の要、福山には阿部家の11万石もありますし、関門海峡の先には小倉・小笠原15万石、福岡・黒田52万石、更に四国には親藩松平の松山15万石、高松にも親藩松平12万石と大勢力に取り囲まれているのです。ですから長州藩もうかつに動いて……周辺大名の顰蹙を買えば、すぐにでも息の根を止められてしまいます。

後に、2次にわたる長州征伐で幕府軍が敗退したことで、「戦は数だけではない」と維新史は言いますが、ヤッパリ…戦は数の力です。維新の結果を過大評価して、世界を相手に戦ってしまった松下村塾の塾生・山県有朋の日本陸軍…維新史の読み損ないだと思います。

イスラム国を名乗るテロ集団も、全世界のイスラム教徒の支援を当てにしているのでしょうが、あれだけ過激なことを続けたら、宗派に関係なく見離されていくでしょうね。イスラム教徒の大半は「迷惑」という心情でしょう。

松下村塾は、まさにイスラミック・ステイツの感を示していました。教祖・松陰が「暗殺司令」を出すなどはテロ集団そのものです。この時期の吉田松陰は「狂人」として扱い、偉人、聖人の評価をしてはいけないと思います。オーム真理教的です。

長州藩としては周布政之助、長井雅楽などのスタンスが正しかったと思いますね。松陰たちの暴発を停めたからこそ、明治維新が達成できたと思います。

今回も、幕府の立場から「失敗の研究」をしてみます。私は「明治維新は、薩長による政治的勝利ではなく、幕府の自滅である」という考えに立ちますので…あしからず。

直弼のような理論を積み上げていくタイプの政治家は、理論的に正しいと結論が出れば、心の痛みにふたをして、決断することがある。
井伊直弼にとって、政治的な粛清も開国も、いずれも理屈の上で正しいと信じたから断行したのである。残虐非道な人物というイメージでは、彼の外交政策を正しく評価できないし、また、彼の失敗も正しく評価できない 
(滝澤 中)

こういうタイプの人のことを「カミソリ」と表現することがあります。切れ者…ですね。

あまりありがたくない呼称ですが、組織の企画部門や戦略担当などをしていると、切れ味のいかんにかかわらず、頂戴するあだ名です。一種の蔑称でしょうね。恨み、つらみが入っています。

監査役、または監査室などは…現在でも嫌われ者の代表です。業務上の悪事を見つけ、暴き、制裁を加えますからねぇ。嫌な奴です。企画と監査は経営の両輪ですが、ともに嫌な奴(笑)

まぁ、嫌な奴・・・つまり直弼同様に理的に考え、情を殺して理的に行動しないと企業経営などは成り立ちません。藩も、幕府も、現代の企業同様ですから、情に流されているわけにはいきません。ましてや「意地」などという不可解なものは無視します。

夏目漱石が「草枕」の冒頭で言う通り

理に働けば角が立ち、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ

ということになります。

歳をとると、理よりも情が強くなります。それよりも変な意地が鎌首をもたげます。これが危ないですねぇ。徐々に世間が狭くなり、閉じこもり、鬱になり、それが高じて認知症。とりわけ男が掛かりやすい病のようで、健康寿命も、平均寿命も女には敵いません。意地っ張りは…避けたいですねぇ。といいながら…文聞亭も予備軍の一人です(笑)

そういえば「文聞亭は井伊直弼の肩を持ちすぎだ」というご意見もありました。

そうですねぇ。実は、井伊家と家紋が同じなのです(笑)丸に橘ですから・・・

通商条約の締結によって、海を挟んでの物流が活発になった。しかし、鎖国下にあった日本の物資の総生産量は、国内消費を賄うものが不足になってくる。余分なものはない。それが、特に生糸に目を付けた列強が買いあさった。これらの品物の値が一気に跳ね上がった。
勢いを得た悪徳商人が、日本人の国内消費の値もつり上げた。特に、輸出とは全く関係のない米価が上がる。そのため貧しい人々がたちまち生活困難に陥った。
(童門冬二)

物流と言う言葉が日本語になったのは40年ほど前です。それまで日本語に「物流」はありません。「取引」と「交通」の二つでした。

今でこそ物流は経済活動の主要項目の一つで、今朝もニュースで「ベトナムからカンボジアへの橋が開通した。物流により経済が激変する」などと伝えていましたが、私が企画室物流担当を拝命した40年前は「なんじゃそれ」というレベルで、物流研究会なるものに出かけていったら、警察と運送屋さんしかいませんでした。交通整理と、交通規制の研究会でしたね

物の流れが代わる…・・・これは革命です。引用した部分は経済学的にすごく重要な変化だと思います。童門さんは勢いを得た悪徳商人がと言っていますが、商社の立場としては…当然の経済行為でしょうね。こうなることを予測できなかった政府、幕府側の手抜かりでしょう。また、そうなってからも手を打った形跡がありません。これも…幕府の自滅を招いたのでしょう。

井伊大老になってから、経済通の幕府役人は皆、遠ざけられています。ポリシー優先の弊害が出ました。経済こそ…政治の中心課題だと思います。

野党や革命家など、体制に抗した側に「判官贔屓」的に同情したり、体制に反抗すること自体が正義という、理屈を超越した無茶な論理が唱えられることがある。
体制を批判し、常に権力を監視することはどんな時代でも大事なことであるが、他方、その人物が体制を率いていたことをもって「悪人」とすることはおかしい。
体制にいたがゆえに、決断しなくてはならぬこともある。
(滝澤 中;失敗の研究)

吉田松陰は実に野党的です。その門下生の久坂玄瑞、高杉晋作がまた野党革命家として活躍します。今の所、長州与党の伊之助や桂小五郎などは脇役、敵役ですね。この二人とて幕府に対しては野党なのですが、・・・こういうのを相対性原理というのでしょうか。

新聞、テレビという存在が世論を誘導しますが、滝澤さんの言う理屈を超越した無茶な論理が目立ちます。どうやら体制に反抗すること自体が正義だと思っているらしいですねぇ。

沖縄の問題も、知事や市長などは冷静さを欠いているとしか思えません。地元新聞や抵抗野党の論調を鵜呑みにして、ムードに乗っているだけの危うさがあります。

沖縄が都道府県別の、どの指標をとってもビリ…というのは異常です。地域としての主体性が感じられません。問題意識もないのでしょうか。小中学生の学力・・・こんなものは基地とは全く関係ありません。貧しい所ほど、学力増進に邁進するのが普通です。トップは秋田、福井、富山・・・

「信濃の国には何にもない。資源もない。開拓する土地もない。あるのはお前ら若者だけだ。勉強しろ。四の五の言わず勉強しろ。勉強して都会に出て、一旗揚げてこい」

これが、かつて教育県と言われた私の故郷です。まぁ…これは山賊の理屈ですが、海賊の沖縄人にはこういう気概はないのでしょうか。ちょっと甘え過ぎの感があります。

それを助長するマスコミは「なぜ沖縄はビリなのか」「ビリの研究」でもしてほしいものです。ビリの原因は、決して基地ではないと思いますよ。

井伊が、前政権の阿部正弘が抜擢した開明的な人物を嫌い、彼らも井伊を嫌ったことは事実だが、もし、幕府機構の中で、外国奉行や軍事関係部署がもっと大きな権限を持っていたら、そして、好き嫌いや派閥ではなく、能力として人材を登用するシステムができていれば、幕府の崩壊は防げたし、無益な内戦も避けられたかもしれない。
(滝澤 中)

井伊直弼が行った幕閣人事は多分に報復的人事でした。要するに慶喜派・水戸派の排除です。大名のレベルでいえば本家の水戸藩・斉昭親子、中心になって働いた越前・松平春嶽、薩摩の島津、土佐の山内、宇和島の伊達などの外様雄藩、幕閣でも堀田老中が組閣していた大臣・次官クラスは全員お払い箱です。彼らは一ツ橋慶喜将軍を前提として動いていましたから…。

官房長官的な役割の大久保一翁や、それに繋がる勝海舟、中浜万次郎なども、お役御免に近い扱いです。条約締結をするというのに、日本人唯一の米国通であるジョン万次郎まで干してしまうのですから盲目外交ですよね。言葉さえ通じず、米国通訳のヒュースケンだけを頼りにするのですから、言いなりになって当然です。

井伊政権とよく似たことをしたのが、この間の民主党政権でした。「自民党に協力したケシカラン奴ら=官僚機構」を排除して、政治主導だ!と素人衆が理念だけで事を進めようとしました。上手くいくはずがありません。とりわけ経済運営に関しては、収入の裏付けも考えず人気取りのバラマキをやりますから、経済も財政もガタガタになりました。

党内に井伊直弼の研究、失敗研究をした者がいれば、あのようなバカなことをしなかったでしょうに、国民の期待を大いに裏切りました。野党になったら…抵抗野党に先祖返りです。

まぁ、暗殺されなかっただけましですが、お陰で4年も無駄にしました。井伊は2年です。

多くの歴史作家は「井伊直弼は暗殺されることで歴史的役割を果たした」と言います。さて??