26 楽市楽座 (2020年10月05日)

文聞亭笑一

今週あたりから、光秀と信長が「濃厚接触」の時代に入っていきそうですね。歴史資料の中に「明智光秀」の名が現れ始めます。と言うのも、勝ち組に属していた期間の資料は残り、負け組となれば資料は抹殺されます。

勝ち組にとって都合の悪い文書は焚書されてしまうわけで、「桜を見る会の名簿」が存在しないのと一緒のことです。

岐阜

信長が斉藤龍興を破って美濃を手中にしました。父親の信秀以来の、織田家の宿願を達成しました。

なぜ? それほどまでに美濃が欲しかったのか。大穀倉地帯だからです。

濃尾三川と呼ばれる木曽川、長良川、揖斐川が交わり、大平原を作ります。土地は肥え、水利は申し分なしで、農地として最高の条件が揃っています。

更に、木曽川の奥には良質な建築材料、である木曽五木(ヒノキ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコ、サワラ)があります。同様に、長良川の上流にあたる飛騨地方も、万葉の時代から「飛騨の匠」と言われた木工技術者の本拠です。

農林業、さらに木工業が発達する基盤があれば、そこには商業が育ちます。濃尾三川の水運を使った商業集団・川筋衆が経済を牛耳ります。

信長は当初、この川筋衆を敵に回します。その結果が失敗の山を築きました。前回も触れましたが、川筋衆とは蜂須賀小六、前野将右衛門などの野武士グループです。

蜂須賀小六・後の阿波国主です。「偉いやっちゃ、偉いやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ」と歌われる徳島・阿波踊りの主役です。

もう一人の前野将右衛門、あまり知られてはいませんが、秀吉が天下取りに向かう途上で、本拠地の姫路城を預かり、さらに秀吉が後継者に指名した豊臣秀次の守役、筆頭家老を務めます。

前野家は耄碌した秀吉と淀君に振り回されて滅亡しましたが、信長の美濃攻略には重要な役割を果たしています。

信長の美濃攻略に貢献した蜂須賀、新野、それに竹中半兵衛は信長に直接仕えることを拒絶し、秀吉の配下になっています。この辺り…信長の人間性というか、人物を診ていたんでしょうね。信長には・・・どこか、精神疾患的なところがあったのでしょう。

岐阜・・・日本には珍しい地名です。それもそのはずで、中国の故事・岐山からとった名前です。

こういう古典知識が信長にあったとは思えませんので、この名を考えたブレーンがいたはずですが誰でしょうか。

沢彦禅師が「岐山」「岐陽」「岐阜」の三択を示し、信長が「岐阜」を選んだというのが定説ですが、信長が宗教家を尊敬していたとは思えませんので眉唾に思えます。この辺りに何となく光秀や帰蝶の陰を見ます。

楽市楽座

信長は日本史上に類を見ないほどの改革者、いや革命家と言う印象が強いのですが、その手始めが「楽市楽座」という経済改革です。要するに規制緩和、門戸開放ですね。

日本史上に民間経済活動らしい記録が残るのは平安時代からでしょうか。物々交換から始まり、貨幣経済に移行し、戦国時代は各種の銅銭を重さで計って取引していました。

ですから侍の給料も「貫」の単位で示されます。「石」の単位で米中心になるのは江戸期です。

「市」と言うのは文字通り市場ですが、常設市場と言うのはありませんでした。寺社の縁日、お祭りの屋台・・・あれが「市」です。従って市の開かれる場所は、神社の参道、お寺の門前になります。

そうすると・・・「ショバ代」がかかります。ひどいケースは「あがり(売上)の五割はショバ代」などということもありました。

これを、寺の場合は僧兵が、神社の場合は青侍が目を光らせます。脱税は難しかったでしょうね。

「座」と言うのは協同組合、同業者組合のことです。互いの利益を守るために「値崩れ」防止など、一種のカルテルを組んで互いの利益を守ります。

新参者の加入を阻止するのも機能の一つですね。前回、東庵先生の弟子のお駒ちゃんが「また売り禁止」と、子供を叱っていましたが、あれも「座」の機能の一つです。市でのルールを作り、監視します。

余談ですが・・・お駒ちゃんの薬は「ラッパのマーク・正露丸」のルーツだというネット情報もありました。真偽のほどは定かではありません。

座で有名なのは大山崎・八幡宮の「油座」でしょうね。平安時代から「灯油」を独占し、流通価格を維持し、全国の流通を独占支配しました。

現代の電力会社です。下剋上で美濃を奪ったとされる斉藤道三は、この山﨑の油座の商人だったと言われます。

芸能界も「座」が支配していました。歌舞伎座、南座、高座・・・芸能団体の集団は座です。お笑いは吉本座、ジャリ・エンタメはジャニー座ですかねぇ。そういう組織です。

信長が始めた「楽市楽座」は、規制緩和に名を借りた「売上げ税徴収権」の寺社から武家への移転でした。

「市」のショバ代は 従来は寺社がとっていました。売上税は「座」がとっていました。それを、市を開く領主が徴収します。見返りに、役人たちが市での秩序を守ります。

当時は暴力による「押し買い」事件と言うのが頻発し、商品を安値で強引に奪われるというのが「市」での最大の課題だったようです。楽市楽座令の最初に「押し買い禁止」があります。

規制緩和と言いながら規制がある、詐欺ではないか?とも見えますが、寺社と違ってショバ代が安い、原則無料です。

ただ、良い場所が早い者勝ちでは喧嘩になるので、お役人への袖の下が要ります。嬉しいのは売上税が半分以下です。

さらに、新規参入自由です。「座」に加入する必要はありません。「座」での談合ができませんから、流通価格は低下して消費者も大喜びです。

信長が急成長を始めるのは、楽市楽座で集まる軍資金がエネルギーです。軍事力は経済力です。

楽市楽座は信長の独創ではありません。岐阜では斉藤道三がやっています。信長よりもも早く、今川氏真が富士浅間社の境内を楽市楽座にしていますし、更に早く、近江の六角家が近江・観音寺城下を楽市楽座にしています。

経済の流れと言うか、時代の雰囲気と言うか、寺社や権威への信仰が薄れ、自由を求める機運が横溢していた時代でした。その意味では現代に近い雰囲気です。

マジメな光秀

途中の休みを加えて長谷川「光秀」を見てきましたが、ちょっと疲れますね。笑いと言うか、明るさがありません。

このままでは反逆者、悪人のイメージが強まるばかりです。組織を束ねたことのある人ならわかると思いますが、マジメばかりのリーダに人はついていきません。

どこかに明るさがあって、抜けたところもあって、だから部下は存在感を覚えるのです。「俺が居なきゃ、オッサンもたぬ」と・・・。

ここまでの光秀・・・マジメすぎて、見ていて疲れます。