海人の夢 第43回 鹿ケ谷始末

文聞亭笑一

鹿ヶ谷の陰謀といわれる事件が歴史に残るということは、この事件を、清盛による最初のクーデターと、鎌倉幕府や公家たちが捉えていたということでしょう。記録を残した者たちは、王家に対する反逆事件として扱ったということになります。

が、そうならぬようにと、賊軍の汚名を着ないためにと、重盛が身をすり減らして清盛の暴走を抑えます。陰謀の主犯である後白河法皇を無罪にし、「取り巻きたちの犯罪」として事件の処理をすることにしました。まぁ、よくある話で「蜥蜴の尻尾切り」です。

政府の失態、企業の不祥事、みなそうですが、組織を守るために、建前を貫くためにと、原因追求、責任追及が甘くなります。福島の原発事故でもそうですが、東京電力も政府も「政府、本社の言うことを聞かなかった」として、罪を福島府第一原発の発電所長に押し付けていましたね。詳しく調べてみればすぐわかることですが、権力者ほど、責任を部下に押し付けようとする傾向にあります。

最近話題の「欠陥大臣の任命責任」ですが、責任者は総理大臣と幹事長です。この二人が官邸に籠もって組閣をするのですから、欠陥大臣を選んだ責任は逃れえません。それにしても…首になる大臣のなんと数の多いことか。与党の態をなしていませんね。人材不足もここまで来れば、もはや誰を持ってきても適任者などはいないでしょう。早々に総辞職して、「ゴメンナサイ」をすべきですが、それも出来ないんでしょうね。今の政権が一日延命するごとに、国からも、企業からも、国益が音を立てて流れ出ていきます。

文聞亭が旅に出るために、今週はテレビの予告編を見てからでは原稿が間に合いません。テレビの筋書きと同期しませんが、先に仕込んでおくことにします。

68、清盛が都へ戻ったと聞いて、藤原成親、藤原師光たちは、自分の屋形にはいず、平康頼の屋形に隠れようとした。途中でそれを待ち伏せていた平家の武者たちは、成親と師光を捕らえ、六波羅に連れてきた。
成親も師光も、なかなかに弁の立つ公卿なので、清盛の前に引き出されても、真っ青な顔をしたきり、しきりに、ここ数日暑くて困る、などと話をそらそうとした。

陰謀がばれたことは、平氏の動きのあわただしさで知っていたでしょうが、「知らぬ、存ぜぬ」で通用すると思っていたでしょうし、法皇が後ろ盾にいますから、いざとなれば、法王の懐に逃げ込めると思っていたのでしょう。成親も師光(西光)も動きが遅れます。

一方の平氏は、清盛の指図で水も漏らさぬ包囲網を敷きます。屋敷に踏み込むことまではしませんが、法皇殿に逃げ込まないよう、十重、二十重に、警戒網が屋敷を取り囲んでいます。捕まるのは時間の問題で、案の定、行き先がはっきりしたところで逮捕されます。

旧暦の六月ですから暑いのは当然ですが、成親、西光は冷や汗、脂汗でぐっしょりと濡れるほどだったでしょう。

捜査の常套手段ですが、取調べは成親と西光を引き離します。それぞれの言い訳を聞いて、その矛盾を突いていくという手法がとられます。成親は重盛の嫁の兄ですから、手荒なことはしません。清盛が一対一で、物静かに釈明を聞いていきます。歌の会、法話の会と主張する成親の言い分を、ジワジワと崩していきます。

一方の西光に対しては、血気盛んな知盛、宗盛が取り調べに当たります。こちらは、平家の横暴を非難し、言葉でかわそうとする西光に腹を立て、殴る、蹴る、更には拷問するという荒っぽいやり方で責めます。半殺しの目に遭わされて、西光がすべてを白状してしまいました。これで、後白河法皇が主犯であることが明らかになります。

この事実に、一番驚いたのが清盛でした。

69、これまで清盛は、一度も帝や法皇に背いたことはない。自分たち一門の兵力を、いよいよ強大にしたのも、他の公卿たちの動きを封じるためであり、平家一門の手で天下に泰平を来たそう、と、考えたからであった。
これからの世の中は、公家政治では、諸国の者たちは満足をしない。強力な者が、力を備え、本当の武家政治を布く必要がある、と考え、清盛は今日まで、天下の人々が平家をそしる声を無視してきた。
70、信じきっていた相手に裏切られたという怒りは、すっかり清盛の理性を失わせていた。自分というものに十分な自信を持ち、これから先、平家一門の力で天下を抑えよう、そのためには法皇の力を借りなければならない、と考えていただけに、清盛の怒りは大きい。

清盛は実力行使に出る決意をします。クーデターですね。たとえ逆賊の汚名を着ても、自分を裏切った後白河法皇を許すわけには行かないと腹をきめ、一門の武者たち全員に武装させ、法王庁に押しかける準備をしていました。清盛を口汚くののしる西光は、既に首を斬ってしまいました。成親の運命も風前の灯です。

そこに駆けつけたのが長男の重盛です。

後に、教訓状と褒め称えられる諫言をします。清盛が偉大すぎるためでしょうか、平家一門の中で、清盛に諫言ができるのは重盛しかいなくなっていました。

なんと言ったか? 名文なので、平家物語「教訓状」の原文がいいですね。

それ、日本は神国なり。神は非礼を受け給わず。しかれば君の思し召し給うところ、道理半ばなきにあらず(法皇のしたことにも半分の道理がある)。中にもこの一門(平家)は、代々朝敵を平らげ、四海の激浪を鎮めること無双の忠なれど、その賞を誇ることは、傍若無人と申すべし。聖徳太子17条の御憲法に 「人みな心あり、心おのおの執(こだわり)あり、彼を是とし我を非し、我を是とし彼を非す、是非の理(ことわり)誰か良く定むべき。

相ともに賢愚なり、環(たまき)の如くにて端なし、ここを以って、たとい人怒るといえども、かえってわが咎(とが)を懼(おそれ)れよ」とこそ見ゆ。

然れども、当家運命いまだ尽きざるにより、御謀反顕(あらわ)れ給う。そのうえ成親卿を召し置きたる上は、たとい君、いかなる不思議を思い立とうとも、何の恐れがございましょうや。

聖徳太子を持ち出して、清盛に説教します。言わんとすることは…、

神の子孫である天皇家に無礼を働いてはならぬ。

このたびの事件は、法皇にも非があるが、平家にも落ち度がある。

平家は過去も、今も天皇家に尽くしてきたが、やりすぎもあった。

聖徳太子が17条の憲法で諭しているではないか。人にはそれぞれ意見や信念がある。

どれが正しくて、どれが間違いというものではない。みな賢くて、また皆アホなのだ。

アホと利巧がぐるぐる廻って、世が廻る。だから親父よ、怒ったところで、反省してみろ。

平家の運が尽きないから、陰謀が未然に発覚したのだ。

法皇が何を企んでも、成親を抑えておけば、何も出来ないではないか。

平家物語のこの段は、明治新政府と、その後の軍事政権によって広く国民に宣伝されました。「日本は神国である」「天皇は神である」「十七条の憲法こそ人倫の道である」などなど重盛は明治になってから、その評価を上げています。

71、「侍たちにはすべて鎧を脱がせよ。だが、法王様の下知を受け、鹿ヶ谷の陰謀に加わった者たちは、許すわけには行かぬ。これは、重盛、そなたがどのように意見をしても、わしは聞かぬぞ。平家が、自分たちの敵を許すようなことがあっては、この後の新しい敵に、隙を見せるようなものだ。わかっておるな」

哲学者重盛と、実業家清盛の、基本スタイルの違いが鮮明に現れる場面ですねぇ。

清盛はクーデターを思いとどまりますが、粛清は厳格にやる決心をしました。

勿論、準主犯の成親を許すはずがありません。備前(児島?)に島流しにします。備前と、比較的近い場所を選んだのは、重盛の顔を立てるためでもありましたが、平家の勢力の強いところにおいて、一切の情報を遮断するというほうが強かったと思います。法皇と絶対に連絡を取らさない、そのためには離島よりも、目の届く場所に監禁する方が安心です。 成親は刑務所に入れられたのと同じでした。

西光の一族は、その殆どを斬罪に処します。

さらに、俊寛と平康頼は奄美、鬼界が島へと遠島にします。数年後、許されて都に戻る康頼を恨んで、怨念を語る俊寛、歌舞伎や演劇の材料として現代にまで残る場面です。

今週は史実の解釈ばかりになってしまいました。

が、この時代も、そして現代にも、聖徳太子が生きています。聖徳太子の実在を疑う議論がありますが、やはり、日本人の思想の原点は聖徳太子にありそうです。詳しいところは友人の奥様、朝皇龍古さんの書き下ろし小説「遥かなる未来のために」をお勧めします。