27 保守と革新 (2020年10月21日)

文聞亭笑一

先週は、まさか二条御所の建設まで進むとは思いませんでした。三好の逆襲まですら進むまい…と思っていましたから、完全な読み違いです。

三好一党の逆襲と、そこから本圀寺の仮御所を守り抜いた光秀の采配が信長から評価され、躍進の糸口になります。

新参者の光秀が、まず5百貫で召し抱えられ、瞬く間に5千貫に加増されるという出世街道の最初の部分が説明不足です。

先週も触れましたが、光秀はまず観音寺城の付け城・長光寺城の攻略で武略の才能を認められます。

「知識だけでなく、実行力もありそうだ」と評価が上がります。そして「この男、使える」と太鼓判を押させたのが「三好三人衆の逆襲」でした。

本圀寺は日蓮宗の本山です。寺ではありますが土塁や空堀で守られた砦でもありました。将軍義昭はここを仮御所として幕府を再興したのです。この間、信長は京の南・東寺にあって近畿の制圧と仕置きに当たっています。

信長が率いてきた兵力は、信長直轄の美濃・尾張兵が3万、家康の徳川勢が8千、浅井長政の北近江勢が6千、合計4,4万人と言われます。

多分、兵糧掛かりで狩り出された人足も入った人数でしょうが、話半分にしても膨大な数です。食料の費えが多大で、京に長居はできません。

それに、この時期(8,9月)は収穫の時期です。浅井の近江兵、三河の徳川兵は帰農させなくてはなりません。濃尾の兵とて同様で、まだ兵農分離は進んでいません。

三好の逆襲

三好三人衆はいったん京から逃げだしますが、河内、和泉など信長の手が及ばぬあたりに息をひそめ、浅井、徳川などの与力勢、そして信長本隊が引き揚げるのを待ちます。

信長は帰参した摂津、山城の兵を将軍に預け帰国します。残ったのは京・本圀寺に3千、摂津方面に細川、和田、高山右近、荒木村重、京極長門守などを配置します。

大和方面は降参してきた松永久秀に当たらせています。本国寺の3千ですが、幕臣や光秀に付けられた織田勢の一部、それに若狭兵が残っていました。若狭・武田家です。

この3千に三好兵1万が襲い掛かります。本能寺の変の予告編のような戦いです。

前回の放送では、光秀は義昭を守って穴倉に隠れていましたが、実際は望楼に立って、全軍を指揮しています。その采配の見事さを評価されて10倍の昇給に繋がったのです。

おそらくNHKは、戦闘シーンをとると金もかかるし、三密になると言うので逃げましたね(笑)でも、光秀を描くのなら重要な場面です。光秀がなぜ信長に重用されたか、その契機なのです。

「光秀は城攻めもできる(長光寺城攻め)守りもできる(本圀寺)さらに、公家が扱える」

近畿を任せることのできる多能な人材・・・という評価になり、秀吉と共に京奉行に任じられます。

本圀寺の攻防戦、熾烈な戦いになります。将軍方が守りきれた理由の一つは鉄砲の数に遜色がなかったこと、さらに明智兵など織田軍の射撃技術が高かったことで、三好方の騎馬兵が次々に撃ち落とされています。

馬上は危ないと歩兵中心にすると、門を開けて若狭の騎馬兵が突進してきます。三好方は二日間攻めあぐねます。そこへ、摂津勢が駆けつけたと情報が入り、三好方は退却するしかありませんでした。

鉄砲を使った戦の駆け引き・・・おそらく初めてのケースだったかもしれません。

二条御所建設

二条御所の縄張り(設計)を任されたのは明智光秀です。そして兵站、資材、労力などを集めたのが秀吉です。

さらに京奉行として二人の役割分担は、公家工作(外務)を光秀、民生、税制などを〔内務〕秀吉が担当していますね。絶妙なコンビだったでしょう。

この建設工事に動員した人材は近畿、東海の殆どです。尾張、美濃、伊勢、伊賀、若狭、山城、丹波、河内、摂津、和泉の10か国に及びます。これが信長の勢力圏でしょう。

そういえば、この建設工事に仏像、墓石、灯篭などを集めていましたね。合理主義者信長と、宗教心の残る光秀の対立の伏線・・・のつもりでしょうか。

しかし、光秀も合理主義者です。墓石などは手ごろな大きさに刻んでありますから、真っ先に使います。石地蔵なども手ごろな大きさの石材です。

光秀の作った福知山城の石垣にも、この種の石材はふんだんに使われていますから、仏像をめぐって信長と、光秀が対立することはありません。

むしろ・・・このことで対立を深めてきたのは僧侶出身の義昭と、その取巻きでしょうね。

殿中御掟

将軍・義昭に対して信長は「殿中御掟」を作り署名させています。政務執行規則です。

1、義昭自らの意志で天皇に対して内奏してはいけない。信長の承認を得ること。

2、信長の部下に直接命令してはならない。用があれば、信長経由とすること。

1で自由裁量権を禁止し、2で命令権をはぎ取ります。傀儡宣言のようなものです。

まぁ・・・怒るでしょうね。義昭は怒りました…が、細川藤孝などは醒めています。傀儡である事実は事実ですし、政所実務を摂津晴門などに任せている義昭に失望しています。将軍の取巻きもすでに二派に割れていました。

内書の乱発

内書とは、将軍が発行する私信、内緒の命令です。内緒(ないしょ)の内書(ないしょ)

義昭はこの内書を上杉謙信、武田信玄、毛利元就など、日本中の戦国大名に投げます。

また、あろうことか本願寺には「三好と手を組んで信長を討て」などと協力要請しています。

「昨日の敵は今日の友」かもしれませんが、何とも節操のない話です。

これに怒った信長が上洛し、一触即発の雰囲気になりますが、京を戦乱に巻き込みたくない近衛関白や正親町天皇が仲裁します。信長も渋々それに応じますが、代わりに5か条からなる誓約書を求めます。

1、御内書は信長が検閲する。承認を受けて発行せよ

2、これまでの命令はすべて取り消すこと

3、恩賞を勝手に出すな

4、国政は信長が行う。口出し無用

5、公家の動きに注意して、見張るように

要するに「お前は飾り物だ。余計なことをするな。頭の蠅(公家)を追え」

ということですね。これだけはっきり言われたら「反逆する」「逃げだす」「おとなしくする」の三択しかありません。