いざ鎌倉!! 第11回 巨星落ちて

文聞亭笑一

三谷さんの脚本は「次にどこへ行くのか・・・」全く読めません。それが面白さでしょうね。

平家物語、源平盛衰記、義経記、吾妻鏡・・・こんなところが「古典」として物語の展開に使われてきたのですが、一切無視・・・というか、自在に物語が展開していきます。

常陸の佐竹攻めで、「義経が奇襲作戦を考えた・・・」というのが前回の後半に出てきましたが、古典のどこにもそういう記事はありません。

・・・が、「なかった」と否定する資料もありません。

そもそも佐竹攻めに関しては「攻めた」「鎮圧した」という記録があるだけで、詳細はわかりません。

だからこそ、小説家や脚本家の面白さがあるわけで、三谷ワールドは間違いだ・・・とは否定できません。

ドラえもんの「どこでもドア」とか、「タイムマシーン」を使って800年前を見に行くしかありませんよね(笑)

悪党・後白河

武士の世を開いたのは源頼朝である。

それは頼朝が征夷大将軍に任じられて、鎌倉に幕府を開いた1192年である。

・・・と、教科書に書いてありました。

入試問題にも出ました。

 で、そう信じておりました。

だから・・・多くの日本人はそれが正しいと思っています。

が、それは形式主義者とか、朝廷絶対主義の考え方で、実態社会では、もっと早くから武士の世の中が始まっていました。

保元の乱で源氏、平家の武士達が政界に躍り出てきます。

これが武士の政治参画です。

武力、実力が、公家による権威主義を打ち破って、政権の去就に影響力を持ち始めました。

我々の現役時代でも「年功序列」がいつの間にか「実力主義」に切り替わっていきましたが、それが「いつから?」かは、年度、年代は特定できません。

特定できませんが、高度成長、バブル経済とその崩壊、低成長と情報化、リストラ旋風の中で、着実に切り替えが進んできました。

平安時代から鎌倉時代への切り替えも同じことです。

保元の乱(いい頃1156)から、将軍宣旨(いい国1192)までの間に「公家から武士へ」の政権交代が進みました。

約40年間、長いようで短いですが、社会変革が進むにはその程度の時間は必要だと思います。

明治維新も、結局は明治の40年近くをかけて達成しました。

戦後の民主化も昭和の終わりまで掛かりました。社会変革には時間が掛かりますね。

ソ連の残影を引き継ぐプーチンが、未だに軍事力による現状変革を試みます。

人間社会は一向に進歩していません。

いや、進歩には・・・それ相当な時間が掛かります。

公家支配、藤原一族の支配から民主化?在野の武士達の政治参加をもたらしたのが保元の乱で、後白河法皇と組んだ平清盛、源義朝が政治の舞台に参入しました。

源氏と平家、武士のおかげで政権を取ったにもかかわらず、武士の登場が気に入らず独裁体制を望む後白河法皇・・・いつの時代でも、戦争の引き金を引くのはこういう我儘者です。

平安のプーチン、平安のヒトラー、というのが後白河で、現代ならば戦争犯罪人ですね。

天皇家の中でも、何人か悪人がいたわけで、それをすべて正当化してきた明治政府的な史観は見直した方が良いですね。

後白河は明らかに悪人で、自分の権力に固執し、民のことなど全く考えていません。

その意味で、天皇家を「清く正しく美しく」飾ろうという勢力は、歴史を語る資格がありません。

西田敏行演じる今回の後白河は、清盛に愛想をつかせながら「清盛を呪い殺そう」と画策するあたり・・・三谷さんは悪党として描いていますね。

清盛の最後

武士の世を最初に作ったのは平清盛である、といっても異論は出ないでしょう。

が、清盛は政権を握ったものの、それを制度として変革することはしませんでした。

位階の制度は平安期のままで、その位階の重要な部分に平氏一族をはめ込み「平氏にあらずんば人にあらず」すなわち、「平氏に協力しない者には位階を与えない」という体制を築きました。

そして「大番役」という租税を課し、全国の武士を京の都に出向・転勤させます。

平氏に忠実であれば、六位、七位程度の端役を与えます。現代にも残る勲章制度のようなものですね。

今回のドラマに登場する古参の武士は皆、京の大番役を務め、清盛から「本領安堵」と、なにがしかの位階、役柄をもらっています。

大庭景親は従五位・相模守ですし、上総広常は上総介です。

余談になりますが、佐藤浩市が演ずる上総広常は、頼朝が「佐(すけ)殿」と呼ばれることが面白くありません。

それで頼朝のことを「武衛」などと呼んでいますが、実は自分も「介(すけ)殿」だからです。

どちらも「すけ」ですが・・・「すけ」は次官、No2の意味です。

介、佐、輔、丞、佑、亮、允・・・すけの字はいっぱいあります。

現代でいえば「副」ですね。または「次長」です。

上総広常は上総国の国主の次官、副知事・・・地方公務員です。

千葉県の1/3の副知事。

頼朝は右近衛の佐・・・天皇親衛隊副隊長です。キャリア組の国家公務員です。局長クラス?

どちらもNo2ですが、京雀の見る目は違います。関東の武士たちにはわかりませんね。

それはともかく、清盛は熱病に罹ります。後白河法皇の仕掛けた呪い、加持祈祷の成果だと・・・今回は描くようですが、天皇家の恥でしょうね。

清く、正しく、美しくありません。

要するに、後白河法皇という人物は陰謀家で、悪逆非道な人物であったということで、万世一系の中には善悪相半ばして今日の天皇家があるのです。

綺麗事ばかりでは成り立ちません。

清盛が熱病に罹ります。過去にはないほどの高熱を発したようで、何の病気だったのか・・・推測もつきません。

清盛の本拠地・福原(神戸)は貿易港でしたから、諸外国の船が出入りしています。

伝染病も入りやすい環境です。

「湯が沸くほどの高熱」としか記録にありませんから病名までは辿れません。

咳とか、下痢とか・・・何かあれば推測できますが、熱しかありません。

「頼朝の首を我が墓前に捧げよ」

清盛の遺言と言われますが、・・・後世の作文でしょう。

清盛の本音は「後白河の首を我が墓前に」だったと思いますね。

清盛にしてみれば頼朝も義仲も眼中にはなかったと思います。

琵琶湖より西、西国の兵を組織し大軍勢を持って押していけば源氏の寄せ集めなど鎧袖一触という自信があったと思います。

ただ、それができるのは清盛だけでしたね。

宗盛、知盛、忠度・・・息子達では力不足でした。

長男の重盛が生きていれば、代わりができたかもしれませんが孫の重盛の子・維盛が富士川の戦いで頼朝と武田の連合軍に敗れ、倶利伽羅峠の戦いで義仲に敗れ、軍としての指導力に赤信号がともります。

勝ち馬に乗る・・・当時の東国の武士達は一気に源氏へと流れていきます。

とはいえ、今週の大河ドラマの段階では・・・平家:源氏=7:3 平家有利なのです。