想定外(第22回)
文聞亭 笑一(市川 笑一)作
マグニチュード9,0という大地震が起き、予測もしなかった大津波が襲い、はたまたそのあおりを受けて原子力発電所で事故が発生し、炉心溶融という最悪のシナリオが進行中です。世の中は何が起きるかわかりませんが、地震以来「想定外」という新しい日本語が乱発されています。想定する…という行為は人智の及ぶ範囲内のことですが、自然、特に地球という星の内部のことなどまるで分かっていないのですから、想定のし様がありません。
しかし、それを敢えて想定しようというのが人間の欲で、数少ない情報をつなぎ合わせて仮説を作ります。この仮説は実験も検証もされず、そのうちに真実であるかのように吹聴され、仮説の上に仮設を積み重ねて人間社会を構成します。つまり…砂上の楼閣を築きます。それが、崩れただけの話で、想定外だから仕方がないという説明は納得されないのは当然でしょう。想定の間違い、仮説の間違いを見直さねばなりません。
信長にしても、明智光秀が自分を襲ってくるなどというのは想定外の出来事で、対処の方法もなく倒れました。やることなすことが思い通りに進んでいる絶頂期に、想定外はおきやすいのです。信長の「神になる」という傲慢さが天罰を受けたようなものです。
秀吉にとって、子供が出来るというのも想定外の出来事ではなかったかと思います。
畑を、とっかえ、引き換えて、種を蒔き続けましたが、一向に発芽しませんでした。
それが…、ある日突然に発芽し、実を成らせます。
想定外のことが起きると、人間の思考回路は困惑します。正常な機能を失って躁鬱状態に陥ります。それまで冷静だった秀吉の頭脳が、暴走を始めたのが「茶々の懐妊」という、想定外の出来事ではなかったか――と、思います。
61、歳月は人を変える? そうかもしれない。
近くに居れば、心が近づくこともあるだろう。けれども江は、父母の仇と憎み、猿とさげすみ嫌いぬいてきた相手を受け入れた茶々の心の変化をどうしても理解できずにいた。男と女とは奇妙なものだという。
歳月は人を変えます。変わらなければ進化が停止したということで、老成したということになります。我々のようなサラリーマン人生では、職場を変わるごとに人が変わっていきます。その変わり方のなんと早いことか! 思い出しても可笑しくなるほどですね。
担当が変わり、立場が変わり、人間関係が変われば、変えないことには生きていけません。
それが都会人で、父祖伝来の職業を営々と続けてきた江戸時代とは違う現代なのでしょう。
江の生きた時代も、現代に似ています。特に武士階級は現代のサラリーマンに似た環境におかれていましたから、大阪城の中などは人の入れ替わりが頻繁に行われていたと想像します。それまで秀吉の側近であった小六、官兵衛、清正、正則などという軍人たちは地方の城主として独立し、石田三成を代表とする官僚機構が政権の中核を占めてきます。
その官僚たちの出身地を見れば、その殆どが近江出身者で、浅井家とは何がしかの因縁のある人々です。つまり、茶々が母から託された「浅井の血」は、今や大阪城の主流派になりつつあったのです。
これは、男社会に限りません。大阪城の奥、女社会にも伝播してきます。
というより、女社会の方が権力の動きには敏感なのです。今までは「居候の使用人」だった近江の女たちが、茶々と秀吉の関係を知るにつれ、期待度を増してきます。秀吉が、茶々という城を落とそうと思えば、大手門からの攻撃だけではなく、搦め手の攻撃も欠かせません。大手門には江が控えていますからね(笑)むしろ、乳母だった大蔵卿や、饗庭の局など、茶々の侍女たちへの懐柔工作は半端ではなかったと思われます。秀吉の城攻めは、取り囲んで情報を遮断し、心理作戦、兵糧攻め、水攻めが専門なのですから、茶々の周りの女たちは、秀吉の意のままに動いていたのでしょう。
茶々にしてみれば、浅井家に最も近い身内の者たちが、こぞって秀吉との関係改善を工作してくるのですから、断ってばかりいたら変人か、病人扱いされてしまいます。
変わって当然、変わらなければ相当な偏屈者です。
62、「たとえ心中したかて、あの世にいくんは別々。一人で生まれて一人で死ぬ。
それが人ですわ」
利休の言葉ですが、この頃利休は、既に政権の黒幕、フィクサーとして秀吉政権のNo2ないし、No3の立場にありました。秀吉の思い付きを論理立てし、わかりやすく説明して納得させる役回り、そうです、官房長官です。その場所として、茶室がありました。
利休の推進しようとする国家像は自由化と通商立国です。現代に非常に近い姿を想定していたようですね。海外との貿易を拡大し、国内には楽市楽座、つまり規制緩和と自由化を推進し、商工業を飛躍的に発展させる考え方です。そのためには領土ごとに設定されていた関所、つまり関税を撤廃しなくてはなりません。
利休にとって権力者は信長でも、秀吉でもよかったのです。国土の統一こそが大切ですから、積極的に信長、秀吉の天下布武に協力します。
茶々への恋慕…こんなことに秀吉が現(うつつ)を抜かしてもらっては困ります。
「なにをしてまんねん。はよしなされや」ですから、江に付き合ってはいられません。
ただ、利休は堺の商工業者の代表です。秀吉が博多の商人たちと親交を深めるのには苦々しく思っていました。堺と博多の経済的主導権争い、これが亀裂の始まりでもあります。
堺の特権を侵す新興の博多、利休にとって一番の悩み事でした。「権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる」そんな情勢に利休のイライラも募ります。
63、喜ばぬものなどいない茶々の懐妊に、複雑な思いを抱くのは、あの娘と私だけに違いない。そう思うと、この件の伝達役はほかの誰にも譲れない気がした。
茶々の懐妊を知った寧々は、正直、動揺します。「種無し」と思っていた秀吉に子ができるということは、寧々が不妊症であるということの証明になってしまいます。
産婦人科的医学が殆どない時代ですから、夫婦に子供が出来なければ「相手が悪い、相手が病気なのだ」と気にしないですみますが、自分に問題があったということを突きつけられたら、平常心ではおれなかったでしょう。不妊症は病気ではありませんが、病気に罹った気持ちになります。
が、秀吉にとっては慶事ですし、豊臣家にとっても慶事です。主婦としては大いに喜ばなくてはなりません。「分かっちゃいるけど…」と、複雑だったでしょうね。
江の方は、青臭い正義感から反発しています。秀吉は母のお市との約束を破った。姉は、父母の恩を忘れて、環境に流された。許せない。学生の政治運動に似ています。
理と理がぶつかれば喧嘩になります。情と情がぶつかれば恨みになります。こういう場合は異種結合しかありません。理でくれば情で、情でくれば理で…、粘り強く相手の話を聞くしかありません。
イスラムと民主化…アフリカ、アラブ諸国の紛争はまさにその典型でしょうね。この仲裁が出来るほど、日本国民の文化は高くありません。「合理的八百万の神」という日本の文化こそ、世界を救う宗教観だと思うのですが、原発騒ぎでそれどころではありませんね。
64、茶々様ご懐妊――
噂はまたたく間に城内を駆け巡り、それが噂ではなく事実だと知れると、上を下への大騒ぎとなった。
当の本人である茶々は、それからしばらく後、聚楽第へと身を移された。あたかも秀吉は、誰も手の届かない御殿の奥へ茶々を閉じ込めようとしているかのようだった。
大騒ぎになります。ゴマすりのチャンスでもあり、摺りそこなえばピンチです。どこの組織でも、何はなくとも慶弔規定というのが必ずあるのは、ゴマすり大会を防止するためです。冠婚葬祭の金一封…これほど気を使うものはありません。寿司屋の「時価」と同じで、見当がつかないのです。多すぎても顰蹙を買い、少なすぎれば嗤われます。上を下への大騒ぎとはお祝いの相場を知るために、皆が駆け回るのです。
震災の寄付にしてもそうですし、募金活動でもそうですが、世間様の評判というのは怖いですねぇ。お祭りの寄付をするたびに、張り出された金額を見ながらハラハラします。
少なすぎれば恥、多すぎれば顰蹙…町内会の組織率が落ち、地域社会が崩壊していく原因の一つかもしれません。が、寄付がなければお祭りはできませんし、難しいところです。
秀吉が茶々を聚楽第に隔離したのは、世間の評判から茶々を隔離するためです。
ヒガミ、ヤッカミ…いつの時代でも人間の醜さは避けて通れません。三流週刊誌、スポーツ新聞、夕刊新聞はこの時代だってあったのです。そういう雑音から茶々を守るために、秀吉が出来ることは情報遮断です。IMF総裁のスキャンダル?あれはただの痴漢です。