次郎坊伝 13 民営化

文聞亭笑一

次郎坊が「直虎」になりました。女城主として井伊谷の政権を取ることになります。

社長とは何をするのが仕事なのか…誰も教えてくれません。経営の中枢部にいて、取締役や執行役員として経営に参画する準備期間があれば、見よう見真似、学ぶ以前の「真似ぶ」ことができますが、次郎坊・直虎のように、寺という隔離社会から…急に領地経営の責任者として祀り上げられたら…何をしたらいいのかわかりません。

現代でも、こういう事例は枚挙にいとまがありません。海外進出をするにあたって、現地法人を設立します。そんな折は、ある日突然、誰かに「社長をやれ」と辞令が飛んでくることがあります。海外に限りません。新規事業、赤字事業など、どうなっても親会社として影響軽微な会社の場合は、「あいつにやらせてみたら…」と抜擢人事があります。

突然もらった社長の辞令…扱いに困りますねぇ(笑) 自分には縁のない肩書だと思っていたのに、お上の命令ではやらなくてはなりません。

「社長って…何をする人なのだろうか」

こういう疑問に立ち向かうのが、最初の大仕事です。この解を誤ると・・・とんでもないことになって、暴君、無為無策、管財人、のいずれかの道へと進むことになります。不思議なことに・・・誰も教えてくれませんね。先輩たちは「俺をさしおいて…」と冷ややかですし、同僚たちも協力してはくれません。部下、後輩たちは「お手並み拝見」と、これまた冷ややかです。

一方で、「子会社」「孫会社」「中小企業」といえども社長は…社長です。名刺には「代表取締役 社長」と印刷してあります。逃げ隠れできません。わかっていることは、会社が潰れたら、潰れないまでも、不祥事があったら全責任を背負って切腹して果てる…ということだけです。

次郎坊が直虎と名を変えて受け取った「井伊家当主」の肩書は、「井伊株式会社 代表取締役 社長」の辞令です。それも・・・結構な歴史のある、地方の有力企業です。資本金20億円(二万石)従業員は、その家族も含めて数千人です。現代でいえば「市長」ほどの行政能力が求められます。お寺で読経三昧、仏道修行に明け暮れていた坊主が、にわかにできる仕事ではありません。

突然の社長指名に…困ったでしょうね。困るのが当たり前で、困らなければ相当に権力志向が強い人か、よほどの脳天気です。

直虎政権の組閣

直虎政権・・・と書きましたが、実質は南渓政権で直虎は傀儡です。次郎坊に就任当初から社長ができるわけがなく、しかも取巻きは小野但馬直次を除いては素人集団です。

直虎が「よきに計らえ」と、志村ケンの演じるバカ殿をやっていたら、小野但馬が良いように政権運営を行います。直虎を傀儡として牛耳り、好き勝手に政権運営を行います。井伊家は看板だけで、実質は小野株式会社に替えてしまいます。乗っ取りですね。直虎が言うことを聞かなくなったら放り出すか、暗殺してしまえばよいのです。

それが分かっていますから、南渓和尚は新たな常務取締役(家老)として中野直之と奥山六左衛門を指名します。中野直之は前社長・中野直由の息子です。奥山六左衛門は副社長・奥山友利の息子です。いずれも親が戦死して家督を継いだばかりですから、政治経験がありません。

領主、家老…と言っても、素人集団です。雛壇に飾られたお雛様ですね。若者たちです。

実質は小野但馬が経営実務を行い、重要な意志決定は「会長」である南渓が行う…という体制でしょう。小野但馬としては一番嫌な形態です。財務、管理だけやらされて、美味しい所は井伊一族に持っていかれてしまいます。一番能力のある者が、事務官僚のトップという位置づけですから、いずれは破綻する組織ではあります。

今川の「仮名目録」

領国経営の教科書というか、戦国大名が国法(奈良・平安以来の律令体制)から独立し、分国、つまり独立企業体として自立する法体系を、最初に作ったのは今川義元の父・今川氏親が発布した「仮名目録」です。

それ以前にも源頼朝が天皇、公家から政権を奪うために「東鑑」などの政治指針を発行していますが、法律、法体系として戦国の「自由主義」「独立企業体」を作ったのは、この今川仮名目録が最初です。それを真似して、より充実させたのが隣国甲斐の武田信玄です。「甲州法度の次第」が信玄の作品で、今川の物より内容的に優れていました。それはそうです。最初の物より二番目の方が品質は良くなります。それを以て信玄が優秀で、今川がバカ殿だというのは、贔屓がきつ過ぎます。今川会社も、義元社長までは優秀だったのです。

同様に、戦国大名はそれぞれに領国の法律を作っていきます。

伊達政宗の「塵芥集」、近江六角氏の「六角氏式目」、土佐長曾我部の「長曾我部元親百か条」などが、その出来の良さと、独自性で知られています。

この目録を作ったのは、発令者は今川氏親ですが、立案者、編纂者は・・・実は北条早雲であったと言われています。氏親が幼少の頃から、早雲(伊勢新九郎)が今川家の執政として実務を担っており、余所者(早雲・京都出身)が地元民を説得するための手段として、法律という概念を持ち込んだとも言われています。また、早雲は京文化の先進性を宣伝するために、公家風の文化を駿河に持ち込みました。これにすっかり染まったのが今川の家風でした。

しかし、早雲は自分が奪いとった相模の国や関東には、それを一切持ち込んでおりません。

駿河を抑えるための便宜上・・・文化や法律を利用しています。なんとも、したたかですねぇ。

この辺りの事情は、司馬遼太郎の「箱根の坂」をお読みください。

この「仮名目録」は税制、家臣の服務規定、軍役、相続、裁判、金銭貸与、土地の権利など・・・21か条に及びます。これに義元が「幕府から独立し、自力で領国を経営する」と宣言し、全国の戦国大名の「分国法」のモデルとなりました。その意味で、今川家は戦国大名の中では最も進んだ、法治国家としての骨格を持っていました。

物語の成り行き上、悪役にされていますが、天下の無法者・金正恩やISとは違います。

徳政令

借金棒引き法案・・・と云うのが徳政令の意味ですが、無茶苦茶ですねぇ。こんな法案がまかり通ったら金融業はなり立ちません。しかし、こういう法律、条令が歓迎されるのは、金貸しの方に不正が多いからです。法外な利息を取ることや、貸金以上の値打ちの担保をとり、それを奪ってしまうからです。商法…と言うものがありませんから「証文」という契約書一つで勝手気ままなことができます。ましてや借主が字の読めない相手であれば、契約書は契約の実態を反映していなくとも、契約書として有効になってしまいます。

こういうことが、まかり通っていたのが戦国の世・・・いや、明治中頃までの日本でした。識字率が向上し、誰しも「ひらがな」なら文字が読めるようになったのは江戸時代後期ですが、戦国時代の識字率は50%以下だったであろうと思われます。豊臣秀吉のような頭脳明晰、知恵の塊のような人でも、育った環境が底辺であれば「ひらがな」しか読み書きできなかったのです。

現在でも、商法に違反した契約書は無効です。法律に定められた以上の利息を取る金貸し契約は無効で、「払いすぎを取り返しましょう」という宣伝がテレビで流れています。法律屋さんの良い商売ネタですね。あれも一種の徳政令です。

戦国史では商人、とりわけ金融業者のことが表に出てきません。が、いなかったわけではなく、戦国物語の裏方として活躍します。千利休などはその代表格で、堺の商人が信長、秀吉の財務コンサルタントとして活躍した代表例です。

今回の物語では瀬戸方久という商人が登場します。

この男、しがない行商人でしたが、失踪した井伊家の姫(おとわ・次郎坊・直虎)を探し出して褒美の銭をもらいます。これを元手に魚の干物屋を始め、料理屋を営み、戦場での食料・弾薬を調達し、敗けた方の武器、武具を奪って、これでまた商売します。

死の商人、軍需産業と高利貸で財を成します。

平和になれば、税金の払えない百姓に土地を担保に金を貸して、土地を奪います。

都田川沿いの瀬戸村、祝田村などは、村ごと瀬戸方久の持ち物になってしまいます。

これを、超法規的に「御破算で願いましては…」としてしまうのが徳政令です。

民営化

度重なる軍事出動と、戦死した家族への補償金の支払いで、井伊家自身が大赤字、財政危機です。徳政令を出すということは、滞納している税金を免除するということですから、井伊家の収入の道をも閉ざすということになります。

財政危機を乗り切る方策は、まず増税があります。足らない分を領民から召し上げるという方法ですが、ただでさえ困窮して税金を滞納している農民たちから、これ以上搾り取ることはできません。次に経費節減ですが・・・井伊家の財政負担の最大のものが戦後補償ですから、これを打ち切ったら家臣たちが反乱を起こします。どの家でも井伊家のために死んでいった者たちがたくさんいます。補償金がなくなったら飢え死にです。

三つめが資産の売却です。資産があれば…の話ですが、井伊家の場合は「土地」という資産があります。この土地を家臣たちに分け与えることで支配権を持っているわけですが、直轄領もあります。当主が戦死して支配者が不在になった土地もあります。

直虎が選んだ方針はこれでした。

商人である瀬戸方久を家臣に加え、瀬戸村、祝田村の領主にしてしまいます。つまり土地支配権の売却ですね。これで井伊家の借財は返済したことになります。さらに、両村の領民たちは、井伊家に滞納していた税金を払わなくて済むことになり、当年度からの税だけ払えばよいことになります。井伊家にとっても、領民にとってもWin-Winですね。

一方の瀬戸方久が大損をするように見えますが、方久は税という安定収入の道を得ます。武士、領主になりますから、人民への支配権を手に入れます。大量の労働力を手に入れたことになります。土地と労働力と支配権・・・この三つが手に入れば新規事業開発が容易になります。

三方とも丸く収まりますが…、それでは困る者がいました。小野但馬の地位は低下します。