34 六天大魔王 (2020年11月25日)
文聞亭笑一
物語の展開が速度を上げ始めました。激動の戦国末期なのですが、今回の場面「叡山焼き討ち」から「天下分け目の関が原」まで30年しかありません。
この間に政権は 信長 ⇒光秀 ⇒秀吉 ⇒家康へと動きます。
私の頭の中を整理するために年表モドキを作ってみました。1570年から1573年までのわずか四年間ですが、この四年間が義昭将軍の時代です。
アメリカのトランプ大統領の時代も4年間でしたが、長いようで短く、短いようで長いのが4年です。
今回の主題は叡山の焼き討ち、大量虐殺ですが、信長を「魔王」に駆り立てたのは宗教の怖さでもあります。
年表 1570年~1574年
年 | 月 | 光秀 | 信長 | その他の動き |
1570 | 長男・光慶誕生 | |||
4 | 越前・朝倉攻め | 浅井長政寝返り | ||
秀吉と共に殿軍 | 朽木越えで京に退却 | |||
5 | 丹羽長秀と共に若狭出陣 | 千草越えで岐阜へ、狙撃される | ||
6 | 京の警備に当たる | 姉川の戦 | 秀吉が近江・横山城の城主になる | |
9 | 志賀の陣で朝倉・浅井に敗れる | |||
12 | 近江・宇佐山城主になる | 朝廷の和睦勧告で朝倉勢帰国 | ||
1571 | 8 | 近江出陣 | ||
9 | 叡山焼き討ち | 叡山焼き討ち | ||
近江・志賀郡を任され大名になる | ||||
坂本城の築城開始 | ||||
1572 | 3 | 西近江の浅井の拠点を攻略 | ||
4 | 河内攻めに参加 | 河内攻め | ||
12 | 坂本城完成 拠点を移す | 信玄上洛、三方が原の戦 | ||
1573 | 2 | 近江で義昭勢と戦う | 将軍義昭が反信長の軍を起こす | |
4 | 武田信玄死去 | |||
7 | 槙島攻めに参加 | 義昭の槙島城を攻める | 義昭降伏、室町幕府崩壊 | |
村井貞勝と共に京代官 | ||||
8 | 越前攻め | 朝倉滅亡 | ||
9 | 小谷城攻め | 浅井滅亡 |
この間で、注目すべきは光秀と秀吉の出世ぶりです。
琵琶湖東岸の横山城には秀吉が抜擢され、そして西岸の要衝・宇佐山城には光秀が抜擢されています。
柴田勝家でも、丹羽長秀でもありません。合理主義者、能力主義者と言われる信長の人事です。
光秀と秀吉の出世競争の始まりです。
叡山焼き討ち
歴史上で「信長の暴挙」と言われてきたのが叡山、長島、有岡城の「焼き討ち」です。
確かに、大虐殺ですね。決して褒められた行為ではありません。・・・が、これって、世界標準の戦争スタイルでもありました。
「大将が討たれたら、負け」と言うのは実に日本的な戦争ルールで、世界標準では負けたら男は皆殺し、女・子どもは奴隷というのが標準でした。
信長が虐殺スタイルをとったのは、伴天連からの新知識だったかもしれません。伴天連(ばてれん)にとっても仏教弾圧は望むところですから、ヨーロッパ方式を進言します。
天下布武、新秩序構築を目指す信長には伴天連の知識は新鮮だったと思います。
叡山の焼き討ちに光秀は反対した、諫言した・・・と云うのが従来からの定説ですが、そういう説を唱えたのは江戸期の作文のようです。
「本能寺の変・光秀怨恨説」を唱えるための作り話のようです。実際は、光秀は積極的に「なで斬り(虐殺)」を実行したようで、とりわけ僧兵に関しては、一人も残さず処刑したと言います。
それであればこそ、信長は叡山の麓の坂本、志賀郡を光秀に与え、織田軍団で最初の城持ち大名に抜擢しているのです。
叡山が元の姿に戻らないように監視させるためです。手抜きをして僧や女たちを逃がした秀吉や、他の家臣たちへの当てつけもあったでしょうね。
信長包囲網
叡山焼き討ちに衝撃を受けたのは将軍と、宮廷と、そして本願寺でした。
信長は、あらゆる意味での「権威」と「権威主義」を否定したと感じたのです。
天皇とそれを取り巻く公家たちにとって、権威の中心は官位と官名です。官位を授けることで権威と経済的報酬を得てきました。
信長は官位を喜びません。もらっても、すぐに返上します。常識的でないのです。
朝廷の得意技は「位討ち」と言う手段で、官位をちらつかせて誘い、なかなか与えずにじらして、自家薬籠中の罠に掛ける・・・と云う手法を繰り返してきました。これが信長に通用しないのです。官位をありがたがらないのです。
将軍・義昭にとって叡山は「信長虐め」の仲間でした。それをなで斬り、皆殺しにされてしまいました。
恐怖感にさいなまされます。焦りが御教書の乱発になります。
本願寺も、信長の後ろに伴天連の陰を感じて警戒感を強めます。
義昭の発行する御教書「信長を倒せ」は全国の有力大名や、本願寺一揆勢に飛び交います。
信長に対して「魔王」の仇名をつけたのは誰か、良く分かりませんが多分、仏教関係者でしょう。仏典には第六天魔王という存在があって「仏道の修行を妨げる欲界の権化」のような意味です。
酒池肉林に堕していた叡山の僧兵こそが「魔王」であって、信長はその救世主ではなかったかとも思います。
現代の仏教も「坊主丸儲け」の世界に堕したがために家族葬の流行となり、逝く人を惜しむ風習さえ消し去ってしまいました。
お世話になった先輩の訃報は、葬儀が済んだ後でしか届きません。坊主と葬儀屋が仕組んだバブルが人生の最後の儀式を崩壊させました。
お寺さんは「集まる香典で済む規模の葬式」を・・・ネット葬儀も含めて開発してください。