八重の桜 02 やむにやまれぬ・・・

文聞亭笑一

いよいよ「八重の桜」の放映が始まりました。

昨年の清盛に比べれば画面も明るく、会津の豊かな自然が満喫できます。

子役の女の子、可愛いですね。いかにも野育ちと言う印象で、これから成長していく八重を予感させてくれました。初回だけの登場が残念な気がします。

画面の明るさもそうですが、景気は「気」の問題などと言う学者がいます。円安、株高で始まった良い「気」が、ぜひとも長続きするようにと、念じています。

さて、次回も顔見世興行的な展開ですね。西郷隆盛が出てきたり、八重の将来の伴侶の新島七五三(しめ)太(た)が出てきます。時代背景と、会津松平家の内情を描きます。

そこで、今後、重要な脇役になりそうな、登場人物をおさらいしておきましょう。

松平容(かた)保(もり)の家老として西郷頼母(たのも)が出てきます。今回は西郷隆盛も出てきて紛らわしいですが、この二人には全く血縁はありません。西郷頼母の家は、代を遡れば保科家です。

会津藩初代の保科正之の同族ですね。正之の祖父、槍弾正と言われた正直の弟の家に当たります。正之が会津藩主となった時に、主家と同姓では畏れ多いと遠慮して、西郷を名乗りました。たぶん、屋敷が西のほうにあったんでしょう。西郷を名乗る家は全国にあり、二代将軍秀忠の母の実家も、三河の西郷家でした。

また、今回から照姫が出てきます。会津藩女性の尊崇の的となった、教養溢れる佳人です。写真が残されていますが、評判どおりの美人ですね。この人は上総飯野藩(現・富津)保科家から養女として迎えられ、養子の容保と結婚するはずでした。が、実子の敏姫が生まれてしまったために、豊前中津藩・奥平家に嫁に出されます。そして、今回の場面で、離婚して出戻ってきます。離婚の理由ですか? 子が出来ぬというのが表向き理由ですが、どうも・・・それだけではなさそうですね。今後の展開を待ちましょう。

5、無理しねぇと、なんも始まんねぇ。「断固として事を行うとき、人はみな狂気だ」
寅次郎さんが前にそういっていた。狂気つうのは、やむにやまれず命を賭けるってことだべ。それぐらいの熱がねぇと、黒船には太刀打ちできねぇ。

今回の大河は、地方の発言に忠実で、会津弁での会話が飛び交います。私は、比較的聞き分ける耳を持っていると自負していましたが、今回は聞き取れない場所が二三箇所ありました。原作本も会津弁に忠実ですが、引用ではずーずー弁は避けます。変換するときに誤変換してしまい、その修正に手間がかかってたまりません(笑)

寅次郎とは、長州の吉田松陰のことです。山本覚馬と川崎尚之助の二人は下田に行ってアメリカの蒸気船に乗り込むことを企画しますが、寅次郎に先を越されます。

密航は死罪、家の者も同罪、藩にもお咎めがありますから、覚馬は離縁の手続きを踏もうと実行が遅れます。その意味では「狂気」ではなかったですね。正気です。

一方の寅次郎は、元祖狂気です。思いついたら、即、実行に移しました。下田密航事件、安政の大獄の走りです。このときの松蔭、寅次郎の歌はあまりにも有名です。

かくすれば かくなるものとは知りつつも やむにやまれぬ大和魂

情熱が迸(ほとばし)り出ています。知的好奇心を、抑えようがなかったんですね。それが大和魂、即ち、侍のとるべき道だと宣言しています。

この歌が、後に続々と脱藩浪人を京に引き寄せる誘惑剤、応援歌になっていきます。

歌は本人の思いと、それを聞いた人との共鳴で、大きな流れを作ります。歌は世につれ、世は歌につれ…、現代とてその傾向は変わりません。変わらぬどころか、ますますその傾向が強くなっているのかもしれません。AKB、嵐…に熱狂する若者たち、どこに向かうんでしょうか。

6、象山は戻ってこなかった。吉田寅次郎の密航事件に連座して囚われたのである。
囚われたとき、寅次郎は象山から贈られた漢詩を携えていた。これが教唆に問われた。
一見超百聞  一見は百聞をこゆ
知者貴投機  知者は機に投ずるを貴(とうと)ぶ

百聞は一見にしかず、百見は一験にしかず…科学の基本ですねぇ。科学の論理は実験して、実証されて定理、定説となります。実証されるまでは仮説に過ぎず、仮説なら誰でも唱えることが出来ます。私のような物書きの言うことは、殆どが仮説で、ここに記されていることも、定説をベースに推理、推論を加えたものですから、科学的事実ではありません。歴史的事実とも言いがたいですねぇ。いわば小説です。

ところが現代は、軽率なマスコミによって仮説がばら撒かれます。とりわけひどいのが、医学、原子力の分野で、庶民の健康志向、安全志向に迎合して「新説」を垂れ流します。新説という物は、実証実験が不十分なことが大半で、正しくは「新しい仮説」と言うべきですね。そういう怪しげなものを、演技の達者な俳優を使って実(まこと)しやかに流しますから、科学音痴の方々ほど、信じ込んでしまいます。これは一種の公害、いや犯罪ですね。

百聞は一見にしかず、はご存知の通りですが、百見は一験にしかずは聞きなれない方が多いと思います。百回観察するよりも一回経験する方が、より正しく物事を把握できる、と言うことです。温泉の湯や旅館を百回眺めるより、一度泊まって、浸かってみた方がその温泉のことが良くわかると言うことです。まぁ、実践のススメです。

7、「誰もが大手を振って海を越えていくようになる。いや、俺たちがそういう時代を作るのさ。西洋の技術と東洋の道徳でな」

塾長が逮捕、拘禁されてしまいましたから、木挽町の象山の塾は閉鎖です。覚馬たちは路頭に迷います。書籍や資料などは残っていますが、指導者がいなくては、どこから初めて、どこに行けばいいのかがわかりません。

昨今、教育問題がやかましく言われますが、教育の基本は「どこから初めてどこに行けばいいのか」を指し示すことでしょうね。それができていません。個人の自由なのだそうです。ですから「幼児英会話から始めて、東大に行く」ことを金科玉条と考える教育ママが跋扈します。こういう輩がクラスにいると、調和が乱れてきますね。ママたちは概してクレーマーになりますから、教師が萎縮します。自由のはき違えと言う奴ですが、他人の自由まで奪う自由も権利もありません。

什の教えですか? いいんじゃないですか。「ならぬことはならぬ」とPTAで決め事をすればいいと思いますよ。嫌なら別の学校を選べばいいんです。全国一律で決めることもないでしょう。「虐めをしてはなりませぬ」なんてのもありますからね。

まぁ、決めたところで、虐めの定義を巡ってクレーマーが騒ぎますけどね。(笑)

引用したのは、勝海舟の言葉です。西洋の技術と東洋の道徳 これを別の四文字熟語にすれば和魂洋才になります。技術と言うものは世界共通です。これを何のために、どうやって使うかは社会の価値観、倫理観です。原子力技術…爆弾を作るのも、電気を起こすのも同じ技術です。電気も社会インフラと考えるか、金儲けのための商品と考えるかで、異なった運用になってきます。金儲け…が強く出すぎて、管理、運用を手抜きしているのが今の日本社会ではないでしょうか。原発もトンネルも、橋げたも…「安かろう悪かろう…」もここまできたら限界ですね。

デフレ脱却…急務です。

8、誰もが自分の信じるもののために学び、行動していた。罪に問われることさえ、厭わなかった。世の中の決まりごとを、ときに犯しても、突き進もうとしていた。

維新の原動力になった時代の勢いですが、欧米の科学的先進性に目覚めた者たちは「学び」に向かいます。環境が与えられなくても、自ら開拓します。

一方、思想に傾注したものは、尊皇攘夷の宗教活動に没頭します。

理系と文系のようなものですが、維新の立役者になった人たちの多くは理系の発想をした人でしたね。文系の人は、維新の途中で、その多くが命を失いました。

ここで言う理系、文系は高校や大学での専攻のことではありません。「あるがままに見る」と言う科学の基礎の基礎を、身につけているかいないかの違いで、物事を決断する時に、 「事実、理性」を重視するか、「思想、感情」を重視するかの違いです。

今度の選挙で、維新とみんなが大躍進しました。これも時代の勢いでしょう。この勢いを増幅できるか、それとも萎(しぼ)ませるか、この半年が正念場ですね。みの渡辺さんは選挙制度を問題にする発言が目立ちますが、そんなことを言っていたら勢いは萎みます。まずは是々非々をやって見せることですよ。「非」ばっかりだったら…、ここまででしょう。

して見せて 言って聞かせてさせてみて 褒めてやらねば人は動かじ(山本五十六)