八重の桜 03 改革の挫折

文聞亭笑一

テンポ良く話が進んでいます。八重は念願が叶って、鉄砲に熱中しますから、その他の事はおざなりになりますね。人間誰しもそうですが、何かに夢中になるとそれ以外は無視してしまいます。目に入りません。「見れども見えず」の状態になります。ですから、傍から見れば奇人、変人に見え、誹謗中傷、非難の的になりかねません。が、そうでないと、革新的なことはやり遂げられないのも、また事実です。

周りの理解…口で言うのは簡単ですが、そう易々と得られるものではありません。象山から覚馬への言伝(ことづて)に「何かを始めようとすれば、何もしない奴らが必ず邪魔をする」とありますが、抵抗勢力が必ず現れますねぇ。それらを理解させようとする努力は、実は徒労で、時間ばかりを浪費することになります。「結果を出す」…これしかありませんね。

現代の維新、大阪での挑戦を興味深く見守っていますが、維新八策に掲げた道州制も、明治の改革に匹敵する抵抗が予想されます。総論賛成、各論反対が現在の国民の平均値ですから、事前の説得などでは前に進めないでしょう。これは中央官僚の抵抗とばかりは言えないのです。

平成維新を本気で進めるのなら、まず、大阪府と大阪市との間でシステム統合をやってしまうんですね。双方のコンピュータに分割管理されているデータを一元化してしまうのです。これは膨大な作業を伴いますが、これがやりきれなかったら、道州制も、行政改革も絵に描いた餅です。願望と遠吠えに過ぎません。金は掛かりますが、新品のコンピュータに理想とするシステムを作り上げ、それに府と、市のデータベースを順次移行していくという方法でしょうか。データの持ち方まで国は規制していませんからね。勝手にやってしまえばいいんです。出来上がった物の優秀性と、課題を、国民に見せたらよいのです。 これは、そんなに革新的なことではありません。民間の銀行では、経営統合する度毎にシステム統合をやってきました。その手法を応用すればいいんです。しかも、みずほ銀行発足時の、貴重な失敗体験もあります。システム統合の経験者を招集して、大阪モデルを作ることですね。それが成功すれば、反対勢力は自然消滅します。

明治維新は廃藩置県を以って完成しましたが、この仕事を成し遂げた大久保利通は凶弾に倒れています。橋下、松井のコンビで、大阪維新を成し遂げて欲しいものです。

9、砲術は足軽などの下級武士が学ぶ格下の武術とされ、上級武士は依然として見向きもしない。会津藩だけでなく、日本全国、大方がそうであった。

武術は、実用の機会がなくなるとスポーツ化します。剣術、槍術、柔術、相撲、砲術…

江戸期の250年間、殆どの「術」は実戦に使われることがありませんでした。兵法にしても、赤穂浪士の討ち入りが最後で、200年間実戦に使ったことはありません。そうなれば、学問の一つですよね。現代のビジネスマンが孫子の兵法を読む感覚になります。

武術をスポーツと読み替えれば、スポーツ毎に人気のありなしがあるのと同じことです。野球、サッカー、マラソンと言ったところが格上のスポーツで、バスケットボール、ハンドボールなどは格下になりそうです。更に言えばボウリング、ゲートボール、ドッジボールとなれば、更に格下の扱いでしょうね。「見向きもしない」でしょうね。これを改革していくには、やっぱりオリンピックでメダルを獲ってくることが一番です。それが叶わないまでも、国際大会で優勝してくることですね。なでしこJapan、愛とかすみ、中年の星、・・・

こういう人たちの活躍で、マイナーなスポーツが世間に認められ、競技人口が増えていきます。なにはともあれ…結果を出さないといけません。

が、若者は焦ります。八重の兄・山本覚馬も例外ではありませんでした。トップダウンを狙って、政権中枢に建白書を出します。

10、覚馬は象山からの書状を読んでいた。尚之助は象山が蟄居(ちっきょ)している松代まで会いに行き、書状はその折に託されたものだった。書状には
「人材を得ることが第一にて候。迂遠(うえん)に似て候えども、教育よりほか道はなく候」
とあったし、尚之助に託した伝言もあった。
「何かを始めようとすれば、何もしない奴らが必ず邪魔をする。蹴散らして前に進め」

国許の信州松代に帰った佐久間象山、ぜんぜん反省していません。むしろ、幕府をせせら笑っています。象山が所属する真田十万石は、この少し前に「日暮硯」で有名な恩田杢が藩政改革を行い、ピンチを脱してはいますが、依然として経営難にあります。そんな中で、佐久間象山が「洋式大砲の設計」で稼いでくれるお金は馬鹿になりません。現金収入ですから貴重な財源です。幕府からあずかった罪人ではありますが、金の卵を産む鶏として優遇しています。川崎尚之助をはじめ、塾生などの出入りは自由自在、鋳物職人や鉄砲商人など、門前に列を成すほどではなかったでしょうか。江戸から象山が去った後は、勝海舟が大砲の設計を引き受けていましたが、やはり、象山の設計の方が飛距離も精度も高かったようですね。

象山は、まずは人だと説きます。せっかく政権をとりながら、人材不足で欠陥大臣ばかり輩出させた民主党政権を見たばかりですから、常以上に納得しますねぇ。議員の数ばかり多くても、使い物になる者がいなければ烏合の衆です。政局と称して数合わせばかりをしている政治家に、改革などは出来ません。政府人材の教育システムを如何に機能させるか、行政改革はその一点にかかっています。大臣の下で、改革のプロジェクトを回す力量のある、政務官、次官、局長級の役人が確保できるかどうか、短期間に育てられるかどうかが成功の鍵でしょう。

11、今までのやり方では乗り切れない時代がやってきている。なぜ、その現実に目を向けないのか。黒船に弓や槍、刀で太刀打ちなど出来ない。武士の沽券では勝てない相手なのだ。そして、会津藩がそういう戦いに巻き込まれるのは、明日かもしれない。覚馬の胸は焦燥に焼かれていた。

黒船、蒸気船という西洋の科学技術の凄さを直接眼にした者と、伝聞でしか聞いたことのない者で温度差が出るのは当然です。

原発の問題がまさにそれで、放射能に汚染された地域に住んでいた人たち、その影響で計画停電を経験した人たち、そして、影響の全くなかった人たち…、この三者で意見が分かれます。また、その三者の中でも意見が分かれます。

覚馬にしても、黒船が相手ではなく、同じ日本人である薩長と戊辰戦争を戦うことになろうとは、夢にも思っていなかったはずです。人生はあざなえる縄の如しなどと言いますが、一寸先は闇でもあります。

12、まず鉄砲買い入れの儀であるが、これは叶わぬ。品川砲台修復のこともあり物入りの折だ。鉄砲に回す金はない。他に洋式調練採用の願いであるが、我が藩は長沼流軍学を以って兵の訓練を行う。これもお取り下げじゃ。

急(せ)いては事を仕損じる、という通り、覚馬の建白はことごとく否定されます。その上、上司を軽蔑する放言が聞きとがめられ、禁足になります。外出禁止令ですね。こうなっては表立った活動は何も出来ません。佐久間象山と違って、覚馬には藩に貢献できる手立てもないのです。あえて言えば、鉄砲の腕は藩内随一だったかもしれませんが、戦争か捕り物でもない限り、鉄砲は必要とされません。

危機感、緊張感のない相手に、危機管理を説くのは至難の業です。平時にあって非常時の話をすることは、狼少年のようなものです。誰も聞く耳を持ちません。9月、防災の日に全国一斉に避難訓練をしますが、本気で駆け回るのは極一部の担当者だけで、一般の者は、ちょっと長い休憩時間としか受け止めていませんね。先日東京で、ある保険会社が、自社ビルのメイン電源を落とした非常時訓練をしていました。そこまでやってこそ訓練で、万が一の時のシミュレーションが可能になります。これは、あらゆる所でやるべきでしょうね。「想定外」などと言い訳しても後の祭りです。「電源喪失」これこそが福島原発事故の直接原因なのです。非常用設備とて、その殆どは電気がないと動かないものばかりです。

電子ロックの非常ドア、これが停電時にどうなるか? このくらいは最低限確認しておかないと、逃げるに逃げられなくなります。セキュリティーシステムの殆どは電気仕掛けですからね。ご自宅でも、3年か5年に一度は電力のメインブレーカを落としてみたら、色々な発見に繋がると思いますよ。

私ですか? 2年前の計画停電で、強制体験させられました。が、教訓は日々に疎しですねぇ。忘却のかなたに消えつつあります。

今週は、映像の方が面白いと思います。八重のお転婆ぶりが楽しみです。