敬天愛人 15 将軍継嗣

文聞亭笑一

安政年間というのは大事件が頻発します。先にも触れたとおり、天変地異・・・とりわけ大地震が連続して日本中が災害列島と化してしまいました。無傷であった地方を探すのが難しいほどで、太平洋側の沿岸地方は殆どが津波被害を受けています。

「西郷どん」の舞台は、安政4年から5年にかけての辺りを描いていますが、将軍継嗣問題に答えが出され、更には将軍・家定の死、島津斉彬の死と続き、局面が大きく変わります。

安政の大獄と呼ばれる時代に向けてまっしぐら…というところですね。

この辺りの出来事を、カレンダー風にまとめてみます

安政4年12月 島津斉彬が幕府に対し建白書(慶喜推薦、他)

  5年 1月  〃   朝廷に対し建白書( 〃    )

一橋派・・・近衛忠煕・左大臣、三条実万・内大臣

紀州派・・・九条尚忠・関白

     4月    井伊直弼が大老職に就任

     6月 西郷吉之助、帰国・・・情勢変化に対し、斉彬の指示を仰ぐ

     7月 7日 日米修好条約締結

     8日 西郷が薩摩から大阪に戻り、慶福の将軍継嗣と、一橋派処分を知る

8月13日 将軍・家定死去

       16日  島津斉彬死去

ともかく…非常に慌ただしい動きで、一橋派は朝廷を使って幕府を動かそうとしますが、紀州派は大奥を使って徳川宗家、幕府の権力を利用します。正規の会議体で物事を決するのではなく、将軍に「鶴の一声」を吐かせるための裏工作がまかり通ります。今 話題の「忖度」? そんなレベルではありませんね。朝廷には湯水のごとく金が流れます。同様に大奥にも賂が流れます。

この時期、京都には膨大な資金が流入したようで、公家たちの生活は200年ぶりに華やかさが復活してきています。何しろ、一橋派と紀州派の双方から買収資金が受け取れますから、どちら就かずの曖昧な姿勢をとっておけば、いくらでも買収資金が釣りあげられます。こういうテクニックに関して、お公家さんには1000年の伝統があります。

従って公家社会では、公家侍と呼ばれる家臣を養う資金もありますし、文化人を使って政治工作をするゆとりも出ます。安政の大獄で井伊派から追われる星川清巌、梅田雲浜、頼三樹三郎なども、一橋派の公家を通じて潤った面々です。

将軍・家定

13代将軍・家定・・・正常な判断力を持たない知的障害者…として描かれることが多いのですが、最近は「果たして本当か?」と考える人が増えて、各種の新事実が判明してきています。

暗愚である…という記録を残しているのは松平春嶽ですね。

「どうしようもないアホ」という評価です。

ただ、これは自らが推薦する一橋慶喜の優秀さを示すために、二人を比較、評価していますから「暗愚・知的障害」とまで言えるかどうかは微妙です。

もうひとつ、将軍・家定に拝謁した米国公使・ハリスが「将軍は脳性麻痺ではないか」と、

その症状の特徴を記録していることです。脳性麻痺の患者が良くやるしぐさ、そんなものを日記に記録しています。

さらに、明治になってから、新聞記者が「将軍は鳥が好きで、アヒルを追いかけていた」などと、事実に反する記事を書きました。これが信じられてドラマや小説に登場します。「篤姫」の時もそうでしたし、今回もその説をとりますが、それほどのこだわりある行動はしなかったというのが実態のようです。頭は悪いが…異常者ではない…それが家定ではないかと思われます。

また、家定のことを、松平春嶽が「芋公方」「豆公方」などとも呼んでいますが、家定は料理が好きで、自ら調理することを好んだと言います。これには、「暗殺される」「毒殺される」という恐怖感があったようで、「自衛のためではないか?」という好意的な見方もあります。

ともかく…家定は、対人恐怖症のようなものに罹っており、幼少時から面倒を見てくれていた乳母の歌橋の言うこと以外は受け入れなかったとも言われています。今回のドラマでは、篤姫の願いを聞き入れて「一橋に決めた」などと叫びますが、可能性の薄い仮説でしょうね。大奥の生母・本寿院も歌橋も大の慶喜嫌いです。歌橋が許すはずはなく、歌橋の許さぬことを家定が口走ることはあり得ないとすら言われています。

そもそも、家定が将軍になる前から、慶喜との間には将軍継嗣を巡る確執がありました。

12代将軍・家慶は、家定の力量、将軍としての適性を不安視して、一橋慶喜を継嗣にと提案しています。自分の息子ではありますが、家定を将軍継嗣にしたくなかったようです。

これに、徳川宗家の血筋を・・・理由に反対したのが老中筆頭・安倍正弘でした。

一旦は一橋慶喜の継嗣に反対し、家定が将軍位についたら…その継嗣に慶喜を推薦するというあたりかなりの政治家ですね。その意味では幕末の混乱期政府代表としての存在感は高かったのでしょう。

が、阿部正弘は急死します。若い側室に入れあげて「腎虚で死んだ」ということになっていますが…阿部は70,80の爺ではありません。何となく…暗殺の匂いがします。

消された…そんなタイミングでもありました。

江戸城の大奥、本寿院、歌橋は家定と慶喜の関係、いきさつを熟知しています。慶喜はかつてのライバルです。家定と将軍位を争った憎き敵です。大奥に批判的な水戸斉昭が嫌いということもありますが、大奥の女たちは、慶喜も嫌いなのです。

なぜ嫌うのか?

慶喜がいい男で(容姿)、政治的能力も高く、カッコ良すぎるからです。

彼女たちが守る「家定将軍」と比べて、慶喜は、どこから見ても優れています。

そうなると・・・感情の世界では「嫉妬」の対象になります。

感情の世界で敵にされてしまったら…修復は至難の業ですね。お手上げです。

いよいよ・・・安政の大獄が始まります。

直弼の腹心、長野主膳が大鉈を振るいます。ナチスのゲシュタボですね。