いざ鎌倉!! 第17回 人間50年

文聞亭笑一

いよいよ義経の活躍の場面が始まりました。

宇治川の先陣争い、さらに義仲の最後はさらりと流しましたが、さすがに一ノ谷の合戦までナレーションで終わりとは行かないでしょう。

鵯越の逆落とし・・・という奇襲作戦は義経の発案ではないとも言われます。

それはそうでしょう、六甲山系に土地勘のない義経が間道、杣道、獣道などと言った裏街道を知るよしもありません。

土地勘のある人物の道案内があればこその奇襲作戦です。

多田行綱

摂津源氏に多田行綱という武士がいます。

源平物語の前半、「鹿が谷の陰謀」などから登場してくる人物ですが、悪党・後白河法皇とつるんで右顧左眄・・・政治の空気を読んでの世渡り上手だったようですね。

この時期は義経に取り入って平家の追討に働いていました。

一ノ谷と鵯越は8kmも離れていると言います。

義経の本軍は一ノ谷の間道から平家陣の裏手に回り込みました。

逆落とし・・・というほどの崖下りはしていません。

騎馬兵は健在です。一ノ谷から義経軍が襲いかかるのを遠望し、平家が西に向かって陣容を整えるのを確認してから、鵯越から平家軍を分断したのが多田行綱です。

神戸・六甲山系の裾に伸びる狭い海岸線の東から範頼の率いる本軍が迫り、矢あわせなど戦闘が開始されます。

そして、奇襲部隊の義経軍が須磨方面から西への退路を断ち、挟み撃ちにします。

が、この状況では源平互角です。

平家には海軍があって海上から敵の弱い場所へと機動作戦が取れます。

左図、一ノ谷と生田口の両面から攻撃を受けても、平氏の軍勢には余裕があります。

海上を遊弋する水軍が源氏の弱みを見つけて上陸作戦もできますし、横からの弓矢による攻撃もできます。

陸上での激戦が続くところへ、鵯越の軍勢が平家の側面を突きます(右図)。

三方向からの攻撃を受けて平氏は海上へ退却するしかなくなりました。

その意味で、一ノ谷の合戦は多田行綱が一番の手柄のはずなのですが、なぜか義経一人の手柄になっています。

その理由は・・・戦いに勝って天狗になってしまった義経を煽り、後白河法皇と結託して頼朝に敵対させるような政治工作を仕掛けたからでしょう。

この政治工作には頼朝や義経の叔父である新宮行家も絡んでいます。

義経の無断任官問題も絡んで、多田行綱、新宮十郎行家は追放処分となります。

鎌倉幕府に追放された男が英雄になっては具合が悪いと、鵯越も義経の手柄になりました。

人間五十年

人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり

一度生を享け 滅せぬもののあるべきか

後世の織田信長が愛唱したと言うことで有名になった謡曲「敦盛」です。

この合戦で討ち取られてしまった平敦盛は弱冠17歳、笛の名手として知られていました。

命を失う元になったのも笛で、陣中に置き忘れた「青葉の笛」を取りに戻ったがため、義経軍の熊谷直実に呼び止められてしまったのです。

「青葉の笛」という唱歌がありました。

♪ 一ノ谷の 軍破れ 討たれし平家の 公達哀れ

  暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛

熊谷直実は、今回の物語では全く顔を見せません。

見せませんが、鎌倉殿の御家人としては梶原景時などと同格の立場にあり、畠山重忠の与力として平家追討に参加しています。

名前の通り、埼玉県の熊谷市周辺が領地です。

直実は義経の一ノ谷襲撃軍に参加し、平家の搦手攻撃の先陣争いをします。

が、味方の援護体制ができる前に斬込んでしまったため、平家軍に取り囲まれて、息子は負傷し、郎党たちを失い、必死で逃げ戻りました。

ですから、この合戦での手柄がないのです。

残党狩をしている熊谷直実の目に飛び込んできたのが、笛を取りに戻ったため逃げ遅れた敦盛でした。

敦盛は舟へと逃げましたが「敵に後ろを見せるとは武士にあるまじき卑怯」と非難され引き返して一騎打ちに応じます。

このあたりが17歳、高校生の正義感ですねぇ。初陣の若者と百戦錬磨の強者、勝負になりません。組み敷いてから「!息子と同じ年頃」とわかって首を取る気が薄れました。半日前には自分の息子・直家が危なくやられかけたのです。「逃がそう」と思った時には、すでに仲間の武士たちが周りに集まっていました。 ・・・戦争とはこういうものでしょうね。

ロシア兵がウクライナで女子供まで虐殺しています。

「殺さなければ殺される」こういう恐怖感で見境なく発砲しているのでしょうが狂気の世界です。

直実は戦後に法然の元に押しかけ、無理矢理出家して蓮生と名乗り政治から引退します。

義高逃亡

鎌倉でも事件が起きます。

「義高を奉じてクーデター」という陰謀が破れ、上総介が処刑されて落ち着いたようにも見えますが、今度は木曽義高の処刑の問題があります。

冷酷に、政治的に行かないのは頼朝の長女・大姫が義高にぞっこん惚れ込んでしまっていたからです。

婚約者といっても親は政治問題とクールに割り切りますが、10歳の子供にとっては生涯の伴侶と信じ切っています。

しかも、毎日のようにままごと遊びの延長線で慣れ親しんできた間柄です。

政子が、逃亡を手配します。

「寺参り」と女装して鎌倉を抜け出し、鎌倉街道の上津道をひた走ります。

目指すは祖父の地・上州、そこから父の故郷・信州・・・

願いは叶わず相模のうちで討ち取られてしまいました。

今週は若者二人の死に・・・合掌