次郎坊伝18 鉄砲伝来

文聞亭笑一

井伊谷で次郎坊・直虎が鉄砲作りに挑戦する…というのが先週のストーリでした。予告編だけでは物語の先が読めませんので、ネタ本が発売されるまでは後追いになります。

鉄砲が種子島に伝わったのは1543年と言われています。この年号などは入試にも出ますから、覚えておいでの方もあるかもしれません。これが戦国の状況を一変させました。日本史の教科書では織田信長が武田騎馬軍団を屠(ほふ)った長篠の戦を強調しますが、そういう軍事的なことよりも、僅か30年ほどの間に鉄砲の量産化に成功し、世界一の鉄砲保有国になり、日本からの輸出商品の稼ぎ頭にしてしまった技術力と、その使い方に習熟してしまったことの方が驚きです。

種子島

西欧から渡来した鉄砲は、伝来の地をとって「種子島」と呼ばれました。伝来したのは島津家傘下の種子島ですが、翌年には堺、根来(紀州)に伝わり、国産化はこの二か所で始まります。更に、堺から近江・国友村に技術移転され、大量生産が始まります。

このスピードは、西欧諸国にとっても信じられぬくらいの早さで、日本人の技術力に驚きと、脅威すら感じていたようです。当時の英国軍の保有する鉄砲の数よりも、佐賀・龍造寺家の保有する鉄砲の数の方が多かったと、イスパニア宣教師の記録にあります。「あっという間に…」という感じだったのでしょう。

これは近世の自動車産業に似ています。戦後10年ほどは欧米に全く太刀打ちできなかったものが、あれよあれよという間に、日本車が世界を席巻してしまったのと同じです。日本人の技術レベルの高さは、400年前も現代と変わらなかったようですね。

日本で鉄鉱石は産出しません。その多くは古代から朝鮮から輸入していました。戦国時代にあってもその状況は変わりません。中国から、朝鮮から原材料(銑鉄・ズク)を調達します。これを鍛えて鋼鉄にする技術を開発し、日本刀をはじめとする鉄製品の加工技術を磨いてきていました。日本刀の切れ味の良さ、強靭さには鉄砲を種子島に持ち込んだ西洋人も驚いたようで、「日本刀は我々のサーベルを破壊する。鉄砲の銃身も切ってしまう」と書き残しています。

こういう鍛冶職人の基礎技術がありましたから、鉄の筒を作るのも、火皿などの発火装置を加工するのもそれほど時間が掛からなかったようです。ただ、半年ほど時間が掛かったのが、筒の根元をふさぐ部分で、「ネジ」という技術を習得するのに時間を要しました。これも、原理さえわかれば後はお手のモノの技術力で量産してしまいます。

なんともはや・・・我々のご先祖様は優秀なのです。

井伊谷で直虎が鉄砲生産を始めようとしたのは、当時としては当然のことでしょう。テレビに映っているのは1568年の浜松市近郊ですから、鉄砲伝来から25年も経過しています。伝来からわずか2年で量産を始めているのですから、見本さえあれば真似ができます。当時は著作権も、特許もありませんから、技術力さえあれば模倣品が溢れます。

現代の中国が「物真似王国」と顰蹙を買っていますが、日本にもマネシタ電器などと揶揄された会社がありました。今や立派な世界企業です。ここの創業者も堺の出身でしたね。

戦国末期に堺がおおいに栄えたのは、将に鉄砲の生産地だったからです。これほど儲かる商品はありません。全国の戦国大名が・・・言葉通りの「金に糸目をつけず」買いに来ます。

火薬

そうはいっても、鉄砲は火薬と弾がなくては使いものになりません。

火薬の原料は主として硝石と硫黄です。硫黄は火山国・日本ですから温泉の周りでいくらでも採れます。が、硝石は産出しません。これは殆ど中国大陸からの輸入です。この商いを一手に引き受けるのが商都・堺。鉄砲で儲け、火薬で儲け、更に弾丸の材料である鉛の輸入で儲けます。

自由都市・堺…などと当時の堺を持ちあげる民主系歴史家もいますが、「死の商人の町・堺」というのが正しい評価でしょう。戦争が起きるたびに堺は繁栄していきましたし、武器や火薬を・・・どの大名に流し、どこには流さないか…、これで政治を支配します。闇の帝王ですね。

鉄砲を発明した欧州人が驚いたのは、その後の技術革新です。

火縄銃・種子島というのは、筒先から火薬を流し込み、その上に弾丸の鉛を押し込み、そして火皿に火薬を盛り、それに火縄で点火して撃ちます。このプロセスに、日本人ならではの工夫があり、それに磨きをかけます。

まずは火薬の量ですね。伝来当初は目分量で火薬を流し込んでいましたが、火薬が少なければ射程が足らず、多すぎれば反動で狙いが定まりません。適量をどう計算し、それをいかに装填するか…これまた「技」ですねぇ。この分量を最適化する技術は紀州・根来衆が開発しました。

試行錯誤を繰り返し、最適値を見つけ、これを一袋ずつに分けて、紙に包んで、用意します。事前に準備してありますから、装填が素早くできます。さらには工夫が進み、一振りしたら一回分の火薬が出るような、瓢箪型の小道具まで開発してしまいました。火縄銃・種子島は一回撃ったら、しばらく使えないというのは嘘で、四五発は連続射撃が可能です。火薬のカスが溜まって弾が入らないというのが難点ですが、それをカバーするのに弾のサイズを変えていました。一発目、二発目は標準サイズの球を撃ち、三発目、四発目はちょっと小さい球を撃つ・・・このやり方で6発くらいは銃口の掃除をせず、連続射撃をしていたようです。

それだけにとどまりません。火薬と弾丸は別の物・・・と云う発想をブレークスルーして一体化してしまいました。適量の火薬と弾丸をセットにし、薄い和紙に包んで「銃弾」を発明してしまいました。銃口からストンと放り込んだらすぐに射撃できます。

こういうソフトウエア・・・は、当時の欧州人には思いも及ばなかったようですね。かなりシステマティックな発想なのです。ハードウエアである鉄砲を作り、改善、改良を繰り返し、更に火薬の装填というソフトウエアを工夫し改善し、鉄砲を発明した欧州人がアッと驚く鉄砲王国が出来上がってしまったのです。

これだけではありません。日本人は平安文化の頃から「道」という概念を持っています。

「道」とは「使いこなしの技術」のことで、道具の持つ能力を最大限に発揮させる技です。

私はこれに「ヒューマンウエア」と名付けましたが、全然普及しませんでしたね(笑)

この分野こそ日本人の得意中の得意の分野で、柔道、剣道、華道、茶道を始め、ありとあらゆる日本の伝統文化の世界です。とりわけ道具を使っての技に関しては、変質狂と疑われるほどに集中します。射撃術に関しても例外ではなく、いかんなく「技」が開発されました。欧州では銃を肩に当てての射撃でしかなかったのですが、頬当て射撃、腰だめ射撃などの技も開発していますし、立ち撃ち、しゃがみ撃ち、伏せ撃ちなどの技術開発もしました。要するに、道具の持つ能力を最大限に発揮させようと知恵の限りを絞ったのです。

先日来…妻の要求に応えて、ガラ系からスマホに乗り換えました。素晴らしいハードウエアと、素晴らしいソフトウエアですが、ヒューマンウエアは初心者です。二週間たって、ようやく様になってきました。この文書も・・・スマホに送って読みますが、PC画面よりも読みやすいですね。若者がスマホを手放さない理由が分かってきました。ゲームで遊んでいるだけではないのです。

駿府の落日

駿河では女城主・寿桂尼が倒れました。雪斎和尚と共に今川義元を支え、駿府王国を支えてきた最後の砦が機能不全に陥っています。駿府・今川王国というのは「外交の雪斎」「内政の寿桂尼」「権威の義元」というトリオで躍進したのですが、そのすべてのスターが引退してしまいます。氏真は権威だけは引き継ぎましたが、外交、内政の出来る部下を持ちません。それでも寿桂尼が控えていれば破たんを起こすこともありませんでしたが…最後の砦が崩れます。

戦国物語では、いずれの場合でも「今川氏真は蹴鞠しか興味のないバカ殿」として描きますが、それは極端に過ぎます。確かに…史実に残るのは「蹴鞠の名手」で、サッカーの名選手、三浦カズか、中山ゴンか、はたまた中村俊輔、本田、岡崎、長友・・・といったところでしょうが、それほどの政治知らずではありません。現代でいえば総理大臣をしたことのある「鳩菅」のような人だったと思います。最大の欠点は「現場知らず」だったと思います。間接情報しかない世界を、それが総てと思い込み、世の中が見えていなかったことに尽きるのではないでしょうか。

人を通じて入る情報には、必ず「伝える人の思惑」が入ります。決して真実「あるがまま」の情報は入りません。井伊谷の出来事も小野但馬の報告でしかないわけで、直虎の意見は入りません。自ら川中島合戦の現場に出かけ、武田・上杉の戦力を調査に行き、仲裁をしてしまうような雪斎和尚のような人もいませんでしたから、世間知らずになっても仕方がなかったでしょう。

遠三国境

井伊谷の直虎政権は、獅子身中の虫とも言うべき小野但馬に監視され、身動きできません。

しかし、すぐ隣の三河では、松平を徳川に改姓した家康が、三河から今川勢力を放逐すべく、動き始めました。三河に残る今川の拠点は唯一、吉田城(豊橋)です。ここには牧野康成がいて、家康の東進を阻止しています。

このころ、吉田攻め…が始まっています。吉田を落とせば次は井伊谷と曳馬野(浜松)へと進撃し、武田信玄と約束した今川領・分割統治への布石ができます。

この戦で既に鉄砲が使われていますね。今川方にも鉄砲があって、鉄砲の威力を無視した家康の配下が、随分と犠牲になっています。ただ、この頃の鉄砲は集団ではなく、一対一の一騎打ちに使われていたようです。足軽たちが使うのではなく、名のある武士が鉄砲を持ち、騎乗で攻めてくる敵を迎え撃つのに使われていました。相当に高価な武器ですから、部下に使わせるわけにもいかなかったのでしょう。

戦雲が隣まで来れば、直虎物語もホームドラマをやっているわけにはいかなくなります。

この動きは小野但馬とて重々承知していますから、クーデターに出ます。吉田城支援、曳馬野城支援ために出陣命令を受け、女の直虎を放逐して井伊軍の総大将を買って出ます。

今週はそこまで行くでしょうか? 今川方の最前線としての井伊谷城、曳馬野城・・・ここをめぐる攻防戦は今回のドラマの山場の一つでしょう。

しかし、その前に、小野但馬の暗殺を避けて、直政が鳳来寺に逃げる場面がありますね。