次郎坊伝 19 永禄11年

文聞亭笑一

今年の大河ドラマを・・・歴史物語…と思って追いかけてきましたが、どうやらそうではなく歴史的背景を借りた時代小説(創作物語)のようですね。ここ数回は永禄11年(1568年)と思って見ているのですが、それ以前の事件や、その後のことまでゴチャ混ぜになっていて、訳が分からなくなります。

歴史年表的に、整理が必要ですね。

年号(西暦) 井伊谷の出来事 周辺の動き
1565
永禄8
次郎坊が「直虎」を名乗り家督相続
家康が三河統一を達成
武田信玄が息子・義信を幽閉
嫁の今川の姫を送還
1566
永禄9
今川が井伊谷に徳政令を発令
直虎はこれを拒否
家康が「松平」から「徳川」に改姓
武田義信が自害
1567
永禄10
瀬戸方久を家臣に加える 信長が岐阜城に移る
徳川信康が信長の娘・徳姫を嫁に迎える
信長の子・信忠と武田信玄の娘が結婚
1568
永禄11
井伊谷に徳政令施行
直虎、今川に屈す
直虎が地頭職を追われ、小野が城代
虎松が鳳来寺山に逃避
小野出陣、薩埵峠で敗戦
家康の支援で井伊谷三人衆が小野を追う
信長上洛・足利義昭を15代将軍に
今川・寿桂尼死去
武田信玄が駿河に侵攻開始
今川氏真が掛川城に逃避
徳川家康が遠州侵攻開始

ドラマでは永禄11年をやっているはずなのですが、直虎は領主として綿の収穫などをしています。

綿が収穫できる頃は、武田信玄が着々と駿河侵略の準備を進め、馬場美濃守を先頭にした軍団を国境に配置しています。馬場美濃は深志城主ですから、動員された兵は南信濃兵でしょうね。上杉との川中島戦に戦った主力部隊ですが、すでに上杉との関係は膠着していたということでしょう。

信長も7月に上洛を果たし、足利義昭を傀儡将軍に据え、「天下布武」の構想を打ち出しています。

ともかく、呑気に綿作りや反物づくりをしているご時世ではなかったはずですが・・・??

ただ、作者、脚本家に好意的に解釈すれば…

「直虎は既に今川からは領主の座を追われていたが、領民たちは井伊家当主としての直虎を領主と認めていた」・・・ということでしょう。二重政権というか、今川政権は小野但馬を領主として扱い、井伊谷にあっては、直虎が実質的領主として内政を行うという形態でしょうか。

ともかく良く分かりません。ドラマはしばらく井伊谷の中での小事件に終始するようです。

解説の余地はありませんので、テレビの脚本をお楽しみください。