敬天愛人 20 雪の桜田門

文聞亭笑一

「西郷どん」の舞台は九州を中心に回っています。日本列島は北の北海道から、南の沖縄まで、本州島などの大きめな4島と、数え切れないほどの小島で成り立つ国土ですね。

その中でも…、この国の歴史を動かすような大事件が発生するのは九州が多いですねぇ。

まぁ、当然と言えば当然で文化の流入口に位置します。朝鮮半島との距離を見れば、沖縄よりもずっと大陸に近いですから、北九州こそが日本の玄関口であっただろうと思います。鎖国していた徳川政権下でも西欧との窓口は長崎だけでした。明治維新も・・・究極の所、長崎との距離関係で、保守と革新に分かれます。長崎に近い「薩長土肥」が、長崎から遠い「会桑庄」を圧倒して社会変革を成し遂げました。

九州は・・・2年に一度ほど訪れますが、行く度に「この国のルーツ」を考えさせられますねぇ。

日本書紀をはじめとする「ヤマト王朝」の歴史の歪曲をあざ笑うかのような地形、地理が迎えてくれます。地理と歴史はセットです。別の学問にしてはいけませんね。我々が習った「社会科」というくくりが適当で、分解し過ぎてはいけないと思います。

菊池源吾という変名

西郷どんが、奄美に島流しになる際に使った変名が「菊池源吾」ですが、「適当に」付けた名前ではありません。西郷家は薩摩藩にあっては下級武士ですが、そのルーツは熊本の名家・菊池家の分岐のようで、それにちなんで菊池を名乗ったとも言われています。

菊池家・・・鎌倉時代の肥後の国の守護大名で、建武の中興で敗れた足利尊氏を助けて室町幕府創設の功労者になった名門の武家です。中央に進出することなく、九州に蟠踞(ばんきょ)しましたから知名度は高くありませんが、もしかすると・・・卑弥呼に敵対していた熊襲の本家かもしれません。

それはともかく、西郷は愛加那との間に作った子供二人に「菊」の字を付けます。

今回は西郷の息子・菊次郎の誕生が主役(ドラマの中心)かもしれません。

菊の花は、どちらかと言えば寒冷地の花ですから、亜熱帯の奄美にはふさわしくありません。愛加那は菊の花を見たことがないと思われます。

にもかかわらず、南国で生まれた子供に菊次郎、菊草と「菊」の名を付けます。

原作では「西郷は京都御所で目にした菊の御紋章の美しさに感激し……」という説をとって、その感激と尊王の想いを我が子に託したということにしていますが、「名門菊池家の末裔である」という想いからもあったのではなかったかと・・・、へそ曲がりな文聞亭は考えます。

西郷さんを英雄に仕立て上げたい人は、天皇への忠義、島津斉彬への忠義をやたらに強調しますが…、カッコ良すぎる話は、まぁ95%は嘘ですね(笑)

桜田門外の変

安政の大獄というのは、井伊直弼が「警察国家」を指向したということで、しかも粛清を多用しました。これは独裁者が使う常とう手段で、金正恩はじめ習近平も使う政治手法です。これの典型例がヒトラー・ナチスドイツのゲシュタポ、戦前日本の特高警察で、いわゆる恐怖政治です。

権力者がこの手法を使い始めると、これに対抗する手段は「テロ」だけですから世の中が殺伐としてきます。桜田門外でテロ事件が起きました。

江戸城の桜田門は、いわゆる通用口で大手門でも、搦手門でもありません。小田原口などとも呼ばれていますが、大名などが登城する際には使われていませんでした。

井伊直弼はいつも通りに紀尾井坂の井伊家の藩邸から江戸城に出勤します。紀尾井坂・・・読んで字のごとく、紀州藩、尾張藩、井伊家の広大な藩邸が立ち並ぶ場所です。ここを出発して桜田門を右折し、お堀端を和田倉門まで進み、江戸城に入るというのが通常のルートです。勿論ですが、「一大事」となれば桜田門から入城しますが、そんなことは殆どありません。

「斬奸計画」と呼ばれる井伊直弼暗殺事件の計画は、水戸藩邸で秘密裏に準備されていました。薩摩藩からも実際に襲撃行動に参加した有村兄弟を始め、堀、樺山ほか7,8名が参加していましたが、彼らは吉之助が江戸にいた頃の同志です。勿論、主力メンバーとなった水戸藩士たちも吉之助が心酔していた藤田東湖の弟子たちです。

奇襲作戦であったとはいえ、テロの襲撃者たちより護衛の人数の方が多かったのに、あっけなく大老の首級を取られてしまうとは…彦根藩もだらしがなかったですね。ここらあたりのいきさつは中井貴一主演で映画になりましたね。・・・見ましたが…題名は忘れました。

薩摩藩からは、結局二人だけ、有村雄介、次左衛門兄弟だけが参加しています。謀議に参加していた殆んどの者たちは、事件当日は薩摩に帰国しています。

この襲撃には、ピストルが襲撃の合図として使われています。ヨーイ・ドンです。空砲ではなく実弾で彦根藩士を狙っていますが、この音で物陰に潜んでいた浪士たちが一斉に行動を開始しますから奇襲効果は高まったでしょうね。

この種の本格的戦闘は関が原以来、絶えて久しくありませんでした。敢えて言えば赤穂四十七士の吉良邸襲撃に次いで2度目の事件です。守備側、護衛側に油断があって当然でしょうね。

この事件が、歴史の流れを大きく変えたのは、井伊直弼が独裁的手法で幕政を運営していたため、代わりができなかったことと、彼の政治手法に大名たちが拒否感を持っていたからでしょう。

「鬼が死んだか・・・やれやれ」

というのが殆どの大名たち(大名会社)の感覚で、口にこそ出しませんが「歓迎」されたと思われます。根ほり、葉ほり、細かいことをあげつらって罪に陥れようというゲシュタポ、特高のやりかたは卑怯、卑劣な政治手法で、恐怖政治です。

歴史は繰り返すと言いますが、この手法を政権に対する「テロ」の武器として使っているのが国会に巣食う野盗陣営ですねぇ。そして、リベラルを標榜する左系マスコミです。針小棒大とは彼らのやり方に付けた名前でしょう。

それはともかく、今回は西郷と愛加那の間に菊次郎が生まれ、マイホームパパとしての奄美での生活が中心になるでしょう。このままで行くか、政界に復帰するか、人生の分かれ道ですが、それを自分で決められないのも人生です。

西郷どん…程ではありませんが、我々の人生でも「仕事」と「家庭」を天秤にかけるというか…決断を迫られる機会は何度かありましたよね。

自分で決めているようで…、しかし、環境、状況に決められているようで…、どっちが主役かわかりませんが「なるようになって」今日があります。

「結果よければすべてよし」 欲さえかかなければ、人生Happyでしょう。