敬天愛人 21 さらば奄美

文聞亭笑一

先週号で「西郷どん」のルーツなどを話題にしましたら、熊本在住の読者から「西郷家の系図」が載っているUTLを紹介してくれました。

http://kikuchikanko.ne.jp/modules/group/index.php?lid=109

熊本県の菊池市のホームページです。持つべきものは友ですねぇ。九州のことは、九州の人が最も良くご存知です。この情報を見ながら「菊池源吾」という変名を眺めてみると 「吾は菊池を源とする」  …などと読めたりします。

現代でも自分のルーツに関心のある方は多いのですが、江戸時代は「世襲制」が社会システムの基本でしたから、とりわけ関心が深かったものと思われます。「西郷」は菊池家の本拠「七城」の西に当たる地域の里…という意味からきた苗字のようです。

西郷さんと言えば、なんとなく九州、薩摩を連想しますが、日本全国のどこにでもある地名、苗字です。歴史小説に登場するだけでも、家康の愛妾であり、二代将軍秀忠の母・西郷局は遠州・浜松の西の里であり、この先のドラマ展開で、維新戦争に登場する会津藩の家老・西郷頼母は、信州の伊那をルーツにします。会津の藩祖である保科正之が伊那・高遠城主であった時代からの家老の家柄です。

しかし、系図というのはどこまで本当かは疑問が多いのですが、しかし「火のない所に煙は立たない」もので、全く根拠がないとは言い切れません。昔ベストセラーになったキンダコンテの「ザ・ ルーツ」に刺激されて我が家のルーツを調べたこともありましたが、出てきた資料を辿ると「武田家」さらに「清和天皇」にまでつながってしまって…かえって信頼性が薄まったような気がしたものです。・・・とは言え、数十代さかのぼれば どこかでつながりが出てくるでしょう。曽呂利新左エ門の頓智ではありませんが、代を加えるごとに2の倍数で祖先が増えます。10代で千人、20代で百万人…人類皆兄弟、みんな親戚になりますねぇ(笑)

水戸脱藩浪士

桜田門外の変を起こした中心勢力は水戸の脱藩浪士たちです。維新物語では井伊大老の首級を挙げた有村新左エ門をスターにしますが、このテロ事件に参加した薩摩藩士はたった二人です。たまたま、有村が井伊の駕籠に近い所にいただけです。

水戸藩浪士軍は、この後も盛んに襲撃事件(テロ)を起こします。井伊直弼の後を継いで幕府の中心になった安藤対馬守襲撃事件、イギリス公使館襲撃事件(第一次東禅寺事件)など、ISかタリバンのようにテロ攻勢をかけました。

彼らの思想的背景になっていたのは、攘夷思想の開祖・藤田東湖の訓えで、その後を継いだ息子の藤田小四郎、更には家老の武田耕雲斎などが「攘夷」をリードします。そして、それに暗黙の了承を与えていたのが徳川(水戸)斉昭・・・水戸の隠居です。 その一方で、藩主や守旧派と言われる面々は幕府に恭順の姿勢をとりますから、藩内がまとまりません。薩摩藩でも、斉彬派と斉興派で抗争がありましたが、この時期は長州藩でも、会津藩でも、どの大名家でも、多かれ少なかれ内部抗争が起きていました。幕府忠誠派と攘夷派の争いです。わが故郷のたった6万石の松本藩でも…やっていましたからねぇ。全国規模の流行です。

この、水戸藩士たちが期待したのは攘夷の権化・水戸斉昭の秘蔵っ子である一橋慶喜です。

慶喜が「攘夷の旗を掲げる」のに期待して、挙兵してしまったのが水戸天狗党事件です。

薩摩でも有馬新七など「精忠組」の過激派が同様な動きを始め、それを必死で抑えているのが大久保正助です。大久保にとっては盟友の吉之助が帰還し、過激派を抑えてくれることに大きな期待をしていました。島津久光に取り入り、吉之助の釈放工作を進めます。

召喚命令

中央の情勢は刻々と変化します。暴れまわるのは水戸藩の脱藩浪士、天狗党だけではありません。江戸の周辺でも庄内藩士の清川八郎などが水戸浪士に呼応して不穏な動きを始めます。安政の大獄で吉田松陰を失った長州藩、武市半平太を失った土佐藩、更には九州諸藩の浪士を始め、多くの脱藩浪士が「薩摩上京」を頼りに京にたむろし始めます。

作用反作用の法則・・・の通り、井伊直弼による強圧政治の反動で「仕返し」のようなテロ事件も続発します。幕府は「公武合体」と融和策をとりますが、過激派は既に「討幕攘夷」の動きを始めてしまいました。動きだした勢いは止まりません。

一方、吉之助は本土の状況を正助からの便りで知りつつも、愛加那と菊次郎との家庭の良さに惹かれて「政界復帰」を諦めつつありました。

そうこうする間に、愛加那が第二子を妊娠します。これで奄美永住を決断します。

土地を買い、家を建て、畑も手に入れ、奄美で生きていく決断をします。

この流れ…、多くの読者の皆さんも似たような経験をされたのではないでしょうか。

私の場合もそうで、関東で10年過ごして「もう転勤はなかろう」と永住を決め、家を建てたとたんに、転勤命令が飛んできましたねぇ(笑)子供が二人いて…と云うのもそっくりです。

「行くか」「残留を願うか」迷います。まぁ…、人生の分かれ目ですよね。小さな川に残留して岩魚になるか、それとも川を下って海に出て鮭になるか、読者の皆さんの多くも「鮭」の道を選んできました。それが昭和の時代です。これが平成になると「単身赴任」と形を変えます。

「家を建てると転勤命令が来る」というのはいつの時代にでも共通するものでしょうか。

家を建てようと思う頃は、本人は気が付いていなくとも組織の中で実力が認められ、名が売れ出す頃と同期しますね。お呼びがかかります。大概、本人にとって魅力的なポストが準備されていて、「しょうがねぇ、一丁やったるか」となりますね。

それはともかく、吉之助の場合は召喚命令に逆らうわけにはいきません。我々の転勤拒否とは違い、召喚命令に逆らったら残るのは「切腹」しかありません。それも拒否したら犯罪者として斬首されるだけです。逃げ場はありません。愛加那と菊次郎、そして生まれてくるであろう胎児に未練を残しつつ、島を去るしかありませんでした。

「菊次郎を必ず本土に呼んでください」

愛加那の唯一の願いを胸に、帰還の舟に乗ります。

心中は複雑だったでしょうね。家族を連れて転勤できる我々とは大違いの厳しさでした。

成長した菊次郎は鹿児島に呼ばれ、正妻の子として育てられます。父と共に西南戦争を戦い、右足を失いますが、その後、初代の京都市長として、父の活躍した京都で、二期務めます。

原作は、菊次郎の回顧録という形で物語が綴られています。