敬天愛人 22,23 久光上洛
文聞亭笑一
先週は・・・無断休刊にして申し訳ありませんでした。火曜日から「西郷どん」のオッカケツアーに鹿児島に行くことにしていましたから、月曜のフライングか、金曜の遅配か…と気楽に構えていたのですが、突然の叔母の葬儀で原稿を書く暇がなくなりました。二日間松本に帰り、102歳まで私を見守ってくれていた前世代の、最後の肉親を送ってきました。
物語は西郷の鹿児島帰還、そして島津久光との葛藤を描きます。22,23話はその半年間の描写ではないでしょうか。
西郷帰還、出仕
鹿児島に戻った吉之助は「前職に復帰」したとあります。ということは「藩主の側近」という立場になります。島流しの罪人から「社長室」のような立場ですから常軌を逸する異常さです。
というのも、過激な尊王攘夷思想が薩摩藩を席巻していて、久光や大久保、小松帯刀などでは抑えきれなくなっていたからではないでしょうか。「毒を以て毒を制す」的な感覚で西郷を登用したのでしょう。
それと、久光がやろうとしていた「卒軍上洛」には、朝廷や公家衆とのパイプが必須条件です。それができるのは西郷しかいません。久光がやろうとしていたことは斉彬のデッドコピーでした。
斉彬が描いたプランは
〇 大軍を率いて上洛し、京都御所守護の任にあたる
〇 幕府に対して「攘夷実行」の勅使を立てていただく
〇 攘夷実行のために幕府の組織、人事に注文を付ける
〇 具体的には政治総裁職と将軍後見役を設置する
〇 攘夷実行を誓約するために将軍を上洛させる
かつて、この構想に従ってお膳立て、根回しをしていたのが西郷吉之助でした。
これは…幕府に対するクーデターです。薩摩藩だけで実行しても成功はおぼつきません。
だから斉彬は福井藩の松平春嶽、土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城などと連携をとり、「上洛軍」は薩摩と越前の連合軍にしていました。水戸藩、尾張藩とも連携を取り合っていましたね。
外交…という点で、実に緻密に計算しつくした上での計画です。
それに比べて久光の「上洛」計画は杜撰(ずさん)に過ぎました。
西郷からすれば「呆れた」という感じでしょうか。薩摩単独の・・・独善的突出計画でした。
「地五郎」事件というのもこの頃のことでしょう。地五郎とは「田舎者」のことですが、西郷が久光に向かって「地五郎」と面罵したという話から、そういう言葉は使わなかったという説まで色々あります。要するに久光の上洛作戦を、真向から批判したということです。
また、久光との面会後「こりゃぁダメだ」と久光に失望し、指宿に湯治に出かけています。
ここでの砂風呂が大いに気に入って「わしはここで砂掛け職人になる」などと言ったようです。
先日、砂風呂を体験してきましたが、温まりますねぇ。サウナとは違って汗が砂に吸い取られてしまいますから、どのくらい汗をかいたのかが分かりません。「15分が目安」と言っていましたが、歳を考えて10分にしておきました(笑)
薩摩軍上洛
ともかく、久光は上洛軍を興します。3000人の兵を引き連れて京に向かいます。
雰囲気として…誰もそれを制止しません。九州、中国の諸藩もそれを許します。このあたりが幕府の信頼感の欠如か、それとも斉彬以来の島津への期待か、良く分かりませんが…幕府の九州探題という役目の小倉藩・小笠原が、薩摩軍をけん制した様子はありません。ムードとしては、現行政権批判一色で、法も秩序もありませんね。ムード、感情で動いています。
その中で「西郷吉之助」というブランドイメージは抜群でした。
「幕府」という与党に対して野党代表のような位置づけに祀り上げられていきます。吉之助は島にいて何もしていないのに、イメージだけが肥大化して救世主のような評判になっていました。
後に江戸城無血開城で、西郷と膝詰め談判をする勝海舟は
「行蔵は我にあり、評判は人の勝手」
と、名言を残しますが、この頃の西郷の心境がまさにそれでしょう。その勝海舟は、咸臨丸でのアメリカ航海を終えて日本海軍創設に勤しんでいます。坂本龍馬などもその子分として、江戸、長崎、神戸などで働いていますね。長州の桂小五郎、久坂玄瑞、土佐の武市半平太なども、京にたむろしています。
寺田屋事件
テレビでは薩摩の話中心ですが、西郷の遠島の間、安政の大獄の間に幾つかの史実があります。
1860年1月 勝海舟はじめ幕府要人が咸臨丸でアメリカへ
3月 桜田門外の変 井伊直弼暗殺
そして、文久2年(1862)ですが、この年は忙しい年です。
1月 幕府・遣欧使節団出発 坂下門外の変で老中が襲われる
2月 吉之助が奄美から帰着します
同じころ、皇女和宮が将軍・家茂のもとに嫁入りします・・・公武合体
3月 島津久光が兵を率いて上洛、吉之助は先遣隊として下関へ、無断で京へ
4月 寺田屋事件 薩摩藩に依る、有馬新七ほか過激派薩摩浪人粛清事件
島津久光、兵1000人で勅使を護衛して江戸へ、
将軍後見人;一橋慶喜、政治総裁;松平春嶽を実現する
将軍の上洛、攘夷実行も約束させる
6月 吉之助 徳之島に遠島となる 村田新八は鬼界が島へ
7月 奄美大島で長女・菊子(菊草)誕生
愛加那、子どもを連れて徳之島へ…再会
8月 沖永良部島に再遠島、獄舎に繋がれる
生麦事件発生
今週は2月、3月の部分を放映しました。
来週は4月から7月くらいまでをやるんでしょうか。
余計なことを言う必要がないくらい、西郷の身の回りを丁寧に描いていますね。