万札の顔 第15回 人選御用

文聞亭笑一

予告編だけでは進捗が読めず、少しずつフライング気味でしたが、ようやくネタ本らしきものを探り当てました。城山三郎の書いた「雄気堂々」という小説を下敷きにし、「論語と算盤」などの情報を加味した脚本のようです。

栄一が「薩摩へ隠密に」という話は、薩摩藩の動きを知るために・・・という意味でした。

薩摩の国まで忍び込むわけではありませんでした。それにしても「あいつ怪しい」と言う目で監視されていたのは事実のようで、西郷の制止がなければ無事に京まで戻れたかどうか・・・危ない所でもありました。西郷のそばには「人斬り半次郎」と呼ばれたテロリスト・桐野利明がいましたからねぇ。襲われたら逃げようがありません。

人選御用

栄一が大阪に出張中、喜作は「御用伺い」と言う役割で、諸藩の屋敷や、公家の屋敷に使い走りと言うか、接待係のような役回りで、ついでに「要害検分」と称する巡視で、鞍馬山、八瀬などを巡り、ついでに銀閣寺によるなどという市内観光に明け暮れていたようです。

そうこうしている間に、二人とも御徒歩にとり立てということになり、一階級昇進しました。

これは平岡が栄一や喜作たちを自由に使いたいために、身分を引き揚げていましたね。階級が違いすぎると、声をかけるにも手続きがややこしくなる・・・この複雑な身分制度が幕府を弱体化させていました。

後に栄一が「幕府を潰したのは幕府である」と言ったことの一つはこれだったでしょう。

ともかく、慶喜は島津久光との政争に勝って「禁裏守衛総督」という朝廷防衛責任者の地位に就きました。

京都防衛軍総司令官です。にもかかわらず、御三卿と言う特赦な立場で自分の兵を持ちません。

傘下にいるのは幕府講武所の学生と、水戸藩からの借り物の兵ですから、指示命令が行き渡らず動きが遅くなります。自前の組織、直轄組織の充実が急務です。

栄一たちが「人集め」のために関東の一橋領に人集めに出張することになりました。

「人選御用」とはその為の役職ですね。一橋家人事部採用課・・・といった役回りです。

栄一には目論見がありました。高崎城乗っ取り、横浜焼き討ち計画の時の同志たち、つまり、お玉が池千葉道場の真田範之介や、海保塾での仲間たちに声をかければ20人や30人は即刻集まる…と期待していたのですが、彼らは根こそぎ天狗党に参加して筑波山に立て籠もっています。

既に、尊皇攘夷を叫んで幕府に対して反乱を起こしているわけで、今更、一橋家に仕えるなどという状況ではありません。

江戸と京との間では情報伝達に一週間近い時間差がありました。

栄一が真田を説得している頃、既に平岡円四郎が暗殺されていたのですが、武蔵から関宿、下総の一橋領を説得に廻っていてはそれすらわかりません。

天下の権は朝廷にあらず将軍家にあり、将軍家にあらず一橋にあり、いや、一橋にあらず平岡円四郎にあり・・・とすら言われていました。

そして、攘夷の総本山である水戸斉昭の息子、慶喜が攘夷をしないのは君側の奸・平岡がいるからだ・・・となって、水戸浪士たちの暗殺の標的にされました。

蛤御門の変

「蛤御門の変」という呼び方は、明治も中盤になって改称されたものです。

「甲子戦争」というのが元の呼び名でしたが、長州が賊軍となって敗けたこと、この戦で英雄になったのが賊軍の徳川慶喜であり、西南戦争・賊軍の西郷隆盛であることが面白くないと、とりわけ長州出身の連中が戦いそのものを矮小化しました。

しかし、長州が御所に向かって大砲を打ち込み、この戦のために2万8千戸の京の町が焼けてしまった事実は消せません。

鳥羽伏見の戦いなどより、よほど戦争らしい戦争でした。歴史と言うのは勝者の自慢話が「正史」になりますが、事実が歪曲されます。

「教科書に載っているから正しい・・・」という人がいますが、「教科書に載っているから怪しい」とも言えます。

この戦、やたらと複雑です。

4つの勢力が政治的な駆け引きをし、それぞれのシンパが思惑で動きます。

①長州藩の急進派が攘夷浪人を巻き込んで攻め上ってきました。

藩主や、高杉晋作、桂小五郎などはこの動きに反対しています。

②長州が攻めてきた・・・と、天皇を守って公家たちが動きます。

天皇を比叡山に逃がそう、長州と幕府に和睦させようと動きます。

  その為か、公家の意を受けて加賀藩は大津に軍を移動させています。

③薩摩の西郷は、一橋慶喜から政治主導権を奪うチャンスと主戦論を展開します。

薩摩軍の強さを、長州贔屓の公家たちに見せつけるチャンスです。

会津藩も先制攻撃を主張します。

④慶喜は慎重です。説諭、説諭の繰り返しで「国許に帰れ」と勧めます。

引き揚げはしないとわかっていながら・・・長州に先に発砲させようとしています。

長州が発砲すれば、その銃弾は御所に向かいます。賊軍になります。

四者四様の政治駆け引きが続き、我慢できなくなって…

長州の来島又兵衛の部隊と、真木和泉が指揮する攘夷浪人の部隊が、会津藩の守る蛤御門に攻撃を仕掛けました。

これに驚いた公家たちは比叡山動座だ、和平だと、逃げ支度をします。

そうはさせじ・・・、と天皇の側に松平容保を置き、公家たちを逃がさないように人質にし、長州を「賊軍」として明々白々の立場に追い込んだのが慶喜です。

このままでは出る幕が無くなり、存在感が薄れてしまうのが薩摩ですから、

西郷は薩摩兵を主戦場の蛤御門に回し、長州勢を掃討します。

会津は長州に押され気味でしたから、現場の戦争に勝ったのは薩摩軍の貢献度が高くなります。

現場の戦争に勝ったのは薩摩の西郷。長州や公家、それに薩摩の思惑をうち破って政治に勝ったのは慶喜、それが「甲子の戦」でした。

慶喜は錦の御旗を掲げて長州征伐を始めます。

ただ・・・ドラマの主役・栄一も喜作も京にいませんでした。

栄一たちの上司だった平岡円四郎も暗殺されて、この戦には無関係です。ドラマがこの戦争をどれだけ描くか?

まぁ、見てのお楽しみですね。