万札の顔 第18回 まさかの幕臣その2

文聞亭笑一

先週は「タイトル・見出し」だけが先走りました。幕臣になってしまうのは今週です。

幕末のこの時期は、毎日のように何がしかの、歴史的事件が起きています。

小説や物語では、誰を主役にするかで時の流れに緩急が出ます。

今回は渋沢栄一が脇役で、栄一が主君として生涯にわたり敬愛した一橋慶喜が主役で維新前夜が描かれています。

激動の慶応2年、3年の主な事件を年表風にしてみます。

そうなると・・・、今週は慶応2年(1866)8月から始まりますね。

四境戦争

将軍・家茂の命を奪ったのは「脚気」と言われていますが、遠因は強度のストレスでしょう。

神戸開港を巡る朝廷や外国との駆け引き、長州征伐での諸大名のやる気のなさ・・・、そんなイライラが心筋や脳血管を弱らせます。

家茂にとって気の毒だったのは、先代の家定が障害者的であったため、「将軍は飾り物」という扱いを受け、そのくせ外交や朝廷工作などの政策実行が上手く行かないと「将軍のせい」と言った官僚たちの無責任さに翻弄されたことでしょう。

そういう家茂に参謀、側近がいたのかどうか・・・。どうやら、いなかったようですね。維新物語に家茂の側近は出てきません。

勘定奉行・小栗上野介・・・側近には遠い存在です。

そんな中で始めた長州征伐ですが、なかなか上手く行きません。

まずは薩摩(島津)、土佐(山内)、阿波(蜂須賀)などの有力大名が戦線離脱、不参加表明をします。

こういう情報が前線に流れると、士気の低下になります。最前線にいる安芸・浅野家が、日和見している状態ですから、全軍にやる気が出ません。戦争です、命の奪い合いに腰が引けていては戦いになりません。

長州への進軍ルートは四方面からになります。「四境」とは長州への四つの進入路のことです。

陸路の本道・大手口は山陽道です。安芸広島から攻め込みます。

搦手口は山陰道です。因幡、伯耆、出雲、石見から攻め込みます。

海からは、瀬戸内側は大島口、そして九州からは小倉口から関門海峡を渡ります。

幕府の兵力、戦力が関が原当時(1600年)の実力であれば、たとえ武器で劣っていても、圧倒的兵力の差で長州軍はひとたまりもありません。

数日で征伐されてしまいますが、今回は必死の長州奇兵隊と、やらされ仕事で出てきた烏合の衆の戦です。

「窮鼠猫を噛む」という表現がありますが、長州鼠が猫どころか虎に噛みついたといった塩梅でした。

慶喜の長州大討ち込み

7月に将軍家茂がなくなります。佐幕派は慶喜に将軍就任を要請するのですが、慶喜は請けません。

「藩幕体制では先がない」と見切っていました。沈む船の船長をやりたくないのは当たり前で、栄一や喜作の献策を待つまでもなく、将軍職は棚上げにします。

その代案として「長州征伐を陣頭指揮する」と宣言します。幕府軍に勢いが出ないのは幕府のやる気が前線に伝わらないからだ・・・と、天皇から節刀(官軍の証)をもらい陣振れします。

一橋軍はその中核になります。栄一が集めてきて、喜作が訓練した農民兵が初陣になります。

ところが、5日に宣言して、16日には「やめた!」となります。

慶喜が二心殿などと仇名される面目躍如ですが、小倉口の小笠原勢が大敗して四境の総てで幕府の敗北が決定的になったという情報が入りました。

「勝てぬ戦はしない」慶喜の基本戦略です。

天狗党事件といい、長州征伐といい、栄一と喜作の初陣は掛け声倒ればかりです。

栄一と新撰組

慶喜は「徳川宗家は継ぐが、将軍職は受けない」と幕府の要請を断り続けますが、孝明天皇から「内意」を匂わさせるに及んで、仕方なく将軍職を受けることになります。

・・・ということは、栄一たち一橋の家臣は、慶喜の側近は、幕臣ということになります。

側近の原市之丞は目付役になります。栄一や喜作も「陸軍奉行所支配調役」という幕臣になり、大阪城に勤務することになりました。

本籍は大阪城ですが、慶喜が京に滞在することが多いため二条城に勤務します。

一橋・・・という名門企業の経理部長として、経営の立て直しに縦横に腕を振るっていた栄一にしてみたら、幕臣・中央官庁の役人・・・それも軍人にされてしまってはやる気が出ません。

喜作の方はそれなりに目標を見つけますが、栄一は不貞腐れです。

そんな栄一に「スパイ逮捕」の命が出ます。

「幕臣でありながら幕府の情報を薩摩に流している男・大沢源次郎を逮捕せよ」と言う命令で、「補佐には新撰組をつける」条件です。

近藤勇に会いに行き、土方歳三以下5人の護衛を受け、彼らを従えて大沢の隠れ家に向かいます。

東山三十六峰 草木も眠る丑三つ時・・・チャカチャンチャカチャン・・・いざ、活劇と思いきや、栄一の気迫に押されて大沢が黙って刀を差しだしました。

幕臣としての栄一が、唯一仕事らしいことをしたのは、この事件だけです。