金権への目覚め(第8号)

文聞亭笑一

テレビでは岩崎弥太郎が準主役で、毎回画面に登場します。この辺りが原作とは…かなり外れて、多少は違和感を覚えます。そのことは地元・高知でも話題らしく、土佐異骨相先生は次のようなレポートを伝えてくれました。

高知では余りにも史実と違うので、色々な投書や問合せが多くて関係機関も大変な様です。流石に有名人「龍馬」。イゴッソの土佐人にすれば、やはり許せんのでしょうね。

しかし、まぁ、今回の「龍馬伝」は「弥太郎から見た竜馬」ですから、史実から離れても竜馬と弥太郎の接点を強調したいのでしょう。

岩崎弥太郎はご存知のとおり、大三菱の創業者です。明治の政商として武蔵の渋沢栄一、薩摩の五代友厚と共に、近代日本経済を立ち上げた功労者です。三菱グループのシンボルであるスリーダイヤのマーク(三菱マーク)は、土佐藩主であった山内家の紋所・三葉柏からの転用です。弥太郎にとって土佐藩は忘れがたいふるさとなのです。

今回は少々手抜きをして、「弥太郎について」を、土佐異骨相先生の文章で転用します。

土佐はこの所熱くなっています。「土佐龍馬であい博」は20日間で入場者3万強です。

「2月7日」は龍馬伝のもう一人の主役、岩崎弥太郎の命日( 明治18年 2月7日没)

龍馬伝の作者の想像力は素晴らしい。今回のテーマは「友情」と「愛憎」なので、史実よりもテーマ優先なのです。「友情」で言えば、弥太郎の日記に「余及一同送之、余不覚涕数行・・・」とあります。長崎を離れる龍馬に涙を流した…と、お互いの夢実現に向けての行動と困難を予見しての涙であったのではなかったでしょうか。

(弥太郎 34歳の6月 いろは丸事件処理に目処がつき)

岩崎弥太郎は・・安芸井ノ口村に「地下浪人」の長男として1834年12月誕生。

龍馬より一つ年上。少年時代は秀才であり、ガキ大将。母(美和)は貧乏から抜け出すには「学問」に秀でるしかないと弥太郎に叩き込みます。14歳で高知の私塾に学び、学問で身を立てるべく20歳で江戸に出ます。安積(あさか)艮斎(ごんさい)の見山塾で頭角を現し、特に史学と詩文は塾でもNO1でした。

龍馬伝の第3回では「にせ通行手形」で瀬戸内海の島から「おらんでいる」弥太郎がありましたね。ところが土佐から父(弥二郎)が滅多打ちにあい重傷との知らせに、迷わず帰郷します。

この時、江戸から土佐井ノ口迄 な・なんと!16日間で帰ったといわれます。

飛脚が何人も繋いで便りを届けるのと同じスピード!! 家族の絆(長男としての立場)の深さと折角苦労して入塾が出来、これからだと言う時に・・。

こういうとき…皆さんの選択はいかがでしょうか?

でも、この事が結果的に弥太郎の商才を養う事になります。父の事を調べたら余りにも理不尽。奉行に訴えるも無視され、奉行所の壁に「官は賄賂を持ってなり、獄は愛憎によって決す」と書き、牢に放り込まれます。ここで、同房の商人に算術(そろばん)と商売の機微を教えられました。この時、弥太郎 23歳。

26、地下(ぢげ)浪人というのは土佐だけにある武士の一種で、郷士がその株を他人に売った後、浪人になる。つまり村に居つきの浪人だから地下浪人と呼ばれたのである。
後に三菱王国を築いた弥太郎の家は代々地下浪人であった。
自然どの村の地下浪人も極貧の暮らしで、貧乏神に両刀を差させて歩かせたようだといわれた。弥次郎老人は鳥籠を作ってやっと暮らしていたが、気位だけは高かった。

安芸の井口村というところを地図で見ると、山から流れ下る安芸川の出口みたいな場所です。現在の安芸市からかなり内陸に入りますから、異骨相先生の言うとおり、高知まではかなりの距離です。

とはいえ、鳥籠などを買ってくれる富裕層は高知の城下に出ないといなかったでしょうから、弥太郎が足しげく城下まで売りに出ていたことは頷けます。

気位だけ高い人…嫌なタイプですねぇ。家系や過去のことなどを自慢されても、本人にその能力と人望がなければ屁のツッパリにもならないのですが、尊大に構えて人を見下していては嫌われて当然です。

いますよねぇ、今でも。久しぶりに会うと上司風を吹かせるタイプがそれですが…お互いに気をつけなくてはいけません。

「それはお前のことだ」と言われそうですね。失礼しました。(笑)

弥太郎の家系を名前で追うと面白いですよ。息子が弥太郎で、親父は弥次郎、爺様は弥三郎です。何か逆さまのようで…、あとからつけたのではないかと疑います。立身伝と言うものは、往々にしてそういうところがありますからねぇ。

27、それまで学問武芸しか知らなかった岩崎弥太郎が、初めて算用の道を学んだのは、このときであった。将来、商業によって大をなそうと考えたのも、このときである。
「世の中は一にも金、二にも金じゃ。うちの親父もわしも、僅かな賄賂がなかったために庄屋の鼻薬に踊らされた郡代役所に捕らえられたのじゃ。世の中は金で動いている。詩文や剣では動いちょらん。わしは将来日本中の金銀をかき集めてみするぞ」

父親の弥次郎が牢屋に放り込まれたのは、酒の席で威張り散らし袋叩きに遭ったのを恨んで、庄屋に仕返ししようとしたので、殺人未遂というか、暴行予備罪という疑いからですが、弥次郎も弥太郎もそうは思いません。これは権力の乱用だと考えます。役人と庄屋の贈収賄事件だと考えます。まぁ、見解の相違です。

世の中は金で動いている。詩文や剣では動いちょらん。

わしは将来日本中の金銀をかき集めてみするぞ

それにしても凄い執念ですねぇ。これこそが三菱王国を築いた原動力でしょう。

世の中は正義や民意などで動いちゃおらん。金で動いちょる。

わしは金で政治を動かして見せるぞ

これこそが金権政治の大本命です。田中角栄、金丸、竹下の流れを汲む、現代の大政治家の基本ポリシーはこれではないかと…、マスコミがこぞって問題にしています。

そうではないことを祈りますが、そうだったら退場願わなくてはいけません。

それにしても…NHKドラマの進展は、政治の動きとタイミングが合いすぎますね(笑)

ただし、経済の世界では弥太郎の言葉に一理あります。経済の世界は金で動きます。

資本主義社会というのは、簡単・単純に言えば弥太郎の言う通りなのです。

だからこそ、弥太郎は大成功を収め、実利を得たのです。

もちろん、法人と言う資格の企業は、社会の一員として法を守らなくてはいけません。社会の動きに敏感でなくてはいけません。お客様の感覚、要求にあわせなくてはいけません。

それもまた当たり前のことなのですが、うっかりして忘れたらしく、世界のトヨタが袋叩きにあっています。春の兆しが出た景気を冷まさないと良いのですが・・・。

さて、弥太郎が牢屋に入っているところを、江戸に向かう竜馬が見舞います。岩崎家と坂本家は遠い親戚筋にあたり、龍馬と弥太郎は知らぬ中ではありませんが、このときの出会いが二人の夢の共通点を醸し出します。

「商人上がりのインチキ侍」と馬鹿にしていた坂本家、竜馬を、弥太郎が認めます。

「気位だけで、ほら吹きの貧乏人」と馬鹿にしていた弥太郎を、竜馬が見直します。

竜馬が土台を作った「海外雄飛」の夢を弥太郎が引き継ぎ、大三菱の基礎ができたのです。

このあと、所払いを食った弥太郎は、後に土佐藩の執政になる吉田東洋の門下に入ります。

吉田東洋は大磯のワンマン宰相と言われた吉田茂の祖父ですね。東洋の門下生が後藤象二郎、板垣退助、谷干城などの明治維新の土佐系元勲たちです。