龍馬の恋(第19号)

文聞亭笑一

NHKの龍馬伝は、時代考証的にはかなり、いい加減です…が、それがまた面白い。

ことの後先などは、大きな歴史の流れにとっては、表面に立つ漣のようなもので、大きなうねりとは無関係です。とくに、竜馬の恋心などは歴史とは一切関係ない話で、お龍に出合った時期がいつだったかなどは、どうでもよい話でしょう。

こんな書き出しになったのは、この号で龍馬とお龍を書きたいからなのです。(笑)

NHKでは22話で出てくるようですが、実際はもっと早い時期ですね。

お龍…龍馬が自分から惚れた最初で最後の女性です。それまでは…、それからも…、龍馬は女遍歴をしますが、いずれも「惚れられた」関係です。惚れられた…ではカッコよすぎますね。「見ちゃいられない、だらしない男」として、女性が面倒を見に近づくのです。

最初が乙女姉さん、次に幼馴染の加尾(田鶴)、千葉道場のさな、寺田屋の女将・登勢…

だらしなくて見ちゃいられないから面倒をみるのですが、そのうちに惹き込まれてしまうというパターンですね。いわゆる、世話女房型の女性との付き合いです。龍馬の方もマザーコンプレックスと言うのか、エルダー・シスターコンプレックスの気があったようです。

が、はじめて龍馬の方が積極的に「惚れた」のが楢崎お龍でした。

それはさておき、龍馬は海軍塾の生徒募集に京の町を駆け回ります。

89、「なにを言うちょる。誰がどこの金で作ろうと、学校は日本の学校じゃ。わしは、この学校の分校を朝鮮と清国に作り、日本、清国、朝鮮の連合艦隊を作って洋夷侵略からの防波堤とし、さらに三国の連合政府を作り、ヨーロッパとアメリカに負けん文明を作ろうと思っちょる。わしの胸中には幕府も土佐藩も、一視同仁の子供に見えるぞ」

あちこち駆け回るといっても、所詮は出身藩の土佐藩邸が第一目標です。気心の知れた土佐人を多く集めたいのですが、土佐人は海軍という概念がよくわかっていません。このころの土佐藩は武市半平太の勤皇党が主導権を握っていますから、幕臣の勝海舟が開く海軍塾などは利敵行為ではないかと白い目を向けます。

一方竜馬は、国内の攘夷、開国と言う対立軸などには興味がありません。「日本」という、大きな枠の中で物事を考えていますから、土佐や、幕府という組織にこだわる仲間たちが馬鹿に見えてしまいます。朝鮮や清国までとは…大風呂敷ですが、これは、勝が言ったことをそのまんま代弁しているにすぎません。この時期の竜馬は、自分でものを考えるというより、勝海舟に吹き込まれた知識を、受け売りして歩いていたのです。

受け売りと言うと<よくないこと>と思われがちですが、決してそうではありません。

他人の知識を受け売りしているうちに、だんだんと自分の見聞も加わって、オリジナルな見解になっていくものなのです。習いごとは「守る・破る・離れる」の順で上達しますが、竜馬の海軍構想も、勝の受け売りをしている間に進化してきます。

「学ぶ」という言葉の語源は「まねぶ」で、真似をすることから始まります。小中学生の勉強などは「真似」ばかりです。それなのに「創造性がどうのこうの、個性が…」などと理屈をこねますから、碌な者ができない…のではないのでしょうか。

小中学生は、徹底的に基本を学ぶ。

高校生は、自らの工夫を加えて習った知識を応用する。

大学生は、知識に自らの体験を加えて、修整しながら発展させる。

これが教育・学習のステップではないでしょうか。日本古来の「守破離」ですよ。

90、竜馬が彼女らをどうにかしてやらねばならぬどころか、彼女らの方が龍馬を<何とかしてあげねば>と可愛がってくれる。男女逆である。
しかし今度のお龍は、やはり同じタイプながら、悲境にある。
龍馬の義侠心以外に、彼女とその家族は救われないのである。

エルダ―・シスター・コンプレックスという言葉は司馬遼太郎の命名です。龍馬にとって乙女姉さんと言うのは母親代わりと言うより、母親と恋人と女房が一体化したような存在で、まさに観音菩薩であったようです。何かあるごとに手紙を書き、威張ったり、甘えたり、泣きついたり…心のよりどころだったと思います。

その竜馬が「乳離れする」のがお龍との出会いです。

ちなみに『龍』は関西では「りょう」と発音し、東日本や九州などでは「りゅう」と発音します。ですから京育ちのお龍は「おりょう」と発音します。「りょうま」も西郷などには分からなかったらしく、初期の手紙では「良馬」と書いてあります。

さて、二人の出会いは火事場です。お龍の家が火事になり、幼い弟が取り残されたのを龍馬が助け出します。その事件が惹かれあうきっかけでしたね。

お龍の家は勤皇の医者でしたが、安政の大獄で囚われ刑死します。攘夷派の親王・青蓮院の宮に出入りし、情報交換の手伝いをしていたのを咎められました。

父は殺され、家は焼け、食うに困って借金地獄…ついに妹は遊女に売られてしまうという気の毒な境遇です。竜馬ならずとも、助けたくなるところです。

91、海外事情に明るい勝海舟はすでに「株式会社」というものを知っている。
「欧米人が大仕事をするのは、金のある奴は金を出し、仕事のできる奴は仕事をする。そういう組織があるからだ」 と龍馬に教えた。

生徒募集は、武市半平太の口添えもあって、土佐藩士を中心に、攘夷浪人をかき集めて、そこそこの規模になるめどが立ちました。軍艦は海舟の口利きで幕府が貸してくれることになっています。ヒトとモノにはめどが立ちましたが、ないのはカネです。

「越前の春嶽公なら…」という海舟からの示唆を受けて竜馬は越前に向かいます。

以前にも触れましたが、越前松平は幕府の名門です。本来は徳川家の跡取りになるべき家柄です。その殿様に、素浪人の竜馬が会いに行くというのも当時としては非常識ですが、一応は「土佐藩隠居・容堂公の使者」という体裁ですから形は整います。

用件は、いわずと知れた金の無心です。5000両…借金の申し入れです。

開明派の春嶽はポンと貸してくれました。これは竜馬の説得というより、海舟からの説得と、越前藩の参謀役だった横井小楠の支援の賜物です。そんなことは知らない竜馬は、自分の手柄だと大喜びで、国許の乙女姉さんに「エヘン、エヘン」と無邪気な手紙を書き送っています。

神戸海軍塾は、株式会社の形態で事業を始めた日本最初の企業です。これが前身となって亀山社中となり、海援隊になり、そして三菱会社につながって行きます。貧乏人の岩崎弥太郎が起業できた発端は、竜馬が借りてきた越前藩のお金でした。

92、「日本では戦国時代に領地をとった大名、武士が、二百数十年、無為徒食して威張り散らしてきた。政治と言うものは、一家一門の利益のためにやるものだということになっている。
アメリカでは、大統領が下駄屋の暮らしがたつように政治をやる。 なぜと言えば、下駄屋どもが大統領を選ぶからだ。俺はそういうニッポンを作る」

幕府体制は、竜馬が上記のように言うとおり、「お家第一」を主是としています。

大名も、侍も、百姓すら「家」という単位を中心に物事を考えます。家の子郎党を守るのが政治の中心で、町人たちにしても暖簾(のれん)を守ることが発想の中心にありました。

まぁ、この伝統でしょうね。「会社第一」は現代日本でも同じことです。したがって国政、地方政治などは「劇場」で上演されている娯楽番組です。勧善懲悪劇もあれば、お笑いドタバタ劇場もあります。選挙などはスポーツ中継の感覚ですね。江戸末期の庶民を笑ってはいられません。むしろ、当時よりひどいのが…現代ではないでしょうか。

幕末は演説と、一部都市の瓦版しかなかったのですが、現代は新聞、テレビ、はたまたインタネットで情報が飛び交います。

竜馬が徒手空拳であれだけの大活躍をした秘訣は、その抜群の説得力にあります。

最大の武器は比喩のうまさで、難しい話を身近な例え話で分かりやすく説明する技術です。これは、借り物の知識ではなく、自分が体験して身に付けた実例を使いますから説得力があります。海舟から教わった知識を、自分なりに咀嚼して、相手の体験に呼応するようにしゃべります。ワシントンは下駄屋に支持されて大統領になったのだと、話していますね。アメリカに下駄屋はありませんが、靴屋ではないところが竜馬の真骨頂です。

もう一つは体力です。移動放送局よろしく日本中を飛び回ります。勝海舟の「歩く広告塔」でもありました。竜馬のこの思想は自由民権運動として明治に引き継がれます。土佐を中心に板垣退助がこの運動の後継者になって行きます。