主義か道具か(第18号)

文聞亭笑一

勝と竜馬が幕府の軍艦に乗って神戸へと向かうころ、幕府は外交面で重大な危機に陥っていました。イギリスは生麦事件の賠償として法外な金額を要求してきています。さらに、英米仏蘭の4カ国が談合して「神戸開港」を要求してきます。

外国が、神戸の開港を要求してきた背景は、当時の経済の中心地である大阪経済圏との貿易量を伸ばしたいためです。政治的意図というよりは、経済的利益を優先したいがための要求でした。一方、京都朝廷にとってはおひざ元に外国人の拠点ができることなど「冗談ではない」案件です。

当時の公家たちは

「大阪や兵庫に外国の軍艦が来たら、京都御所が砲撃される」

というほどに恐れ戦(おのの)いていました。ヒステリックなほどに攘夷を叫びます。

これに便乗したのが武市半平太や桂小五郎で、公卿の恐怖心をあおり、神州が汚されると宗教的論陣を張ります。公卿は神主の親玉みたいなものですから、この理屈にたぶらかされて、神戸開港などは認めるはずがありません。

将軍を京都に呼びつけて、攘夷実行を迫ります。

一方、勝と竜馬は、将来の開港を視野に入れて、神戸に海軍伝習所を開く準備に余念がありません。

84、人の一生は、たかが50年そこそこである。一旦志を抱けば、 この志に向かってことが進捗するような手段をとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくとも、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だから、これを計算に入れてはいけない。

「人生50年…」信長の愛唱歌・敦盛の一節ですが、当時…というより、ついこの間まで…常識的な人生の物差しでした。生涯設計と言えば、50年を一つの目安にしていましたね。高齢化が急激に進んで、現在では70,80年が生涯設計の目安になってきました。

「余生」と言われていたものまで、設計範囲に入ってきました。

保険屋さんなどは「100歳まで生きますから…」などとおだて、「介護が必要になりますから」と脅して金をかき集めます。その金を国に貸して(国債)、国家を借金漬けにしますから、脳天気な政府はいい気になってお金をばらまきます。

保険屋さんは「お金は大事だよぉ」と、わが世の春を謳歌します。

ここに引用したのは竜馬の人生観ですが、こういう人は保険屋に嫌われますね。(笑)

竜馬作…という歌があります。

来てみれば さほどでもなし富士の山 釈迦も孔子もかくてありなむ

実証派、行動派の竜馬らしい歌です。先入観を排除して「あるがままに見る」「事実を事実として理解する」という科学者の態度です。当時としては珍しいタイプですから、尊皇攘夷という宗教的なパターンにははまりません。武市半平太と決別したのは、この、モノの見方の相違でしたね。武市半平太は一藩勤皇という新興宗教の教祖みたいなところがありました。思想家であり、革命家のタイプです。一方の竜馬は主義主張にとらわれない自由人ですから、武市にはついていけません。勝海舟に聞かされる海外事情と、海と船の世界に熱中します。特に操船技術については抜群の進歩を遂げます。「好きこそものの上手」といわれますが、その言葉通りでした。

一旦志を抱けば …龍馬の志は船に乗って海外に雄飛することです。

86、日本の国力で列強の軍を打ち払えるわけがないのだが、天皇(孝明天皇)はそれができると信じ、公卿もそれを信じ、かつ武市ら攘夷志士が、朝廷を焚きつけて日本政府である幕府にそれを朝廷から強要させている。
哀れなのは幕府だ。

ここの文章では天皇が信じ、公卿が信じ、志士が…と、上意下達スタイルで書いていますが、実態は逆です。志士が焚きつけ、公卿が驚き慌て、天皇が信じ込んでしまったのが攘夷です。一旦信じ込んでしまうと、もはや消すのは至難の業です。家事もボヤのうちなら消せますが、炎が天井に回ったら消すことは不可能ですね。延焼を防ぐだけで精一杯です。

攘夷の火はすでに御所の天井にまで燃え広がってしまいました。水戸が火をつけ、長州が燃え広げさせ、土佐があおりたてた攘夷の火は、もはや消せません。

一方で諸外国からの条約順守の実行要求は厳しさを増してきます。とくにイギリスは生麦事件の賠償問題で、高額な要求を突き付けます。この時のイギリスの傲慢さ、欲深さは、幕府に国家としての賠償を求め、薩摩藩にも当事者としての賠償を求めるという図々しさでした。要するに戦争を仕掛けさせて、軍事侵略のきっかけを作ろうという悪だくみです。

紳士の国どころか、強盗、海賊そのものです。横浜には軍艦4隻と海兵隊300人が常駐し、品川沖から江戸城を射程に入れての脅迫です。

哀れなのは幕府だ …全くその通りです。

なんとなく普天間問題が重なって見えますねぇ。哀れなのは…誰でしょうか。

しかし、小鳩の自業自得です。国際情勢がわからぬ公卿内閣になりそうですよ。

87、「シャボンという便利なものがあります。世の常の攘夷志士は、シャボンを使うと肌に夷臭がしみこむ、と申しますが、竜馬は、シャボンも使い、軍艦も使い、洋式火砲も使い、皮靴もはき、世界の列強と同じ道具を使ったうえで、日本を立て直したい」

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い という言葉があります。「攘夷」という思想にかたまってしまうと、外国人の使っているものはすべてが「悪」のレッテルを貼られてしまいます。

これは現代でも全く同様で、「嫌い」と思うと、それにまつわることすべてが嫌いになり、欠点凝視の態度で情報を受け取りますから、良さは全く目に入りません。それどころか、石鹸臭さという…現代人にとっては芳香までもが異臭になってしまいます。その典型的なものが現代のタバコですけどね(笑)

道具、薬の類はすべて思いこみから始まります。「鼻くそ丸めてアンポン丹」などとも言いましたが、効くと思えば薬になり、怪しいと思えば毒になるのです。ここでも、竜馬の科学者、技術者としての態度が出ていますね。政治・経済と言うと「文系」と理解するのが世の分類方式ですが、「理系」の目でも見ないと判断を過ちます。先日、日本の理科教育の質の低下が話題になりましたが、これはゆゆしきことだと思います。あるがままに見て、実験して、検証して、そこからモノの本質をつかむことができなければ、虚報に左右されて判断を過ちます。

最近のマスコミの医学知識ほど眉唾ものはありません。「あるある事件」で、あれだけ叩かれたのに反省もなく生半可な情報を垂れ流します。現代の攘夷思想ではないでしょうか。

88、「刀は武士の魂ではない」
と、竜馬は眼を据えていった。
「道具に過ぎぬ。道具を魂などと教え込んできたのは、徳川300年の教育です。
戦国の武士は刀を消耗品とこころえ、刀を何本も用意して戦場に出たものです」

戦後間もなくべネディクトが「菊と刀」というニッポン人論を書き、その後も「日本人とユダヤ人」などという書物がベストセラーになって、なんとなく、日本人らしさを刷り込まれてしまっているのが現代人ですが、果たしてどうでしょうかね。

菊と刀では「武士道」という精神構造を日本人固有のものと捉えて、世界標準とは別の人種のように論じていますが、武士道精神は長い歴史の一時期に流行した宗教にほかなりません。禅や浄土真宗と大差はないのです。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」と言いますが、ここの部分だけ持ち出して玉砕教育をしたのが昭和の軍事政権で、「葉隠」著者の山本常朝は「生きるために死ね」と言っています。彼の言う「死ね」は自己・我欲・利己主義を捨てろという意味で、「天皇陛下万歳」などとは言っていません。無私、無欲の境地を武士道だと言っています。

龍馬の一生を見ると、かなりそれに近いところがありますね。世俗的な金や名誉には関心を示しません。代わりに、海と船に対する執着は常軌を逸するほどです。ただひたすらに夢に向かって邁進します。そういうところが接触する人それぞれに影響するのでしょう。

師の勝海舟や横井小楠は龍馬に対して期待をかけます。

「国内一致の軸は海軍にある。徳川だけの海軍は末であって、一致の海軍こそ基である。

しかし一致の根本が強くなければ、却って騒擾の仲立ちとなって、天下の用には立たない」

横井小楠は勝、竜馬の海軍塾に大きな期待をかけた人です。海軍創設というプロジェクトに国民の目を集約したかったのです。