土佐勤皇党(第11号)

文聞亭笑一

土佐は、半平太を軸に結成した勤皇党で下士中心に大きな政治運動の盛り上がりを見せています。竜馬も半平太の参謀格で中心人物の一人に持ち上げられ、明けても暮れても武市道場で議論に熱中します。議論だけではなく、土佐国中のあちこちに遊説に回ります。

この動きは、藩の参政(藩主代理)である吉田東洋から見れば危険な運動でもあります。

吉田東洋は山内容堂同様に尊王思想ですが、開国主義者なのです。中浜万次郎から聞き知った西欧文化の素晴らしさを、誰よりも強烈に受け取った一人で、文明開化の推進者のひとりでもありました。いち早く西欧文明をとりいれた薩摩の島津斉彬にならって、土佐にも近代工業を起こそうと考えていたのです。

ですから、攘夷運動などというものは「一時の熱病」と考え、無視していましたが病気が上士にまで飛び火しないように、監視の目は厳しく強化していました。その取締りに当たるのが後藤象二郎、板垣退助などの子飼いの上士であり、その下働きをするのが東洋の門人から抜擢された目付の岩崎弥太郎でした。

弥太郎は竜馬の跡を尾行し、行動を嗅ぎまわります。

35、弥太郎は気味悪くなった。この竜馬が苦手なのだ。弥太郎は弥太郎で、自分を万人に傑出した人材だとひそかに自負している。学問もある。文章を書かせれば、参政・吉田東洋が舌を巻いたほどの名文を書く。気概もある。精力もある。下横目を務めながらも、下級武士の境涯に見切りをつけて、折あらば両刀を捨てて商人になってやろうとひそかに野望を練っている。そういう自分だ。
が、竜馬だけは苦手である。この男は自分ほど学問はない。が、思考法がまるで常人と違うようである。何を考え、何を言い出すか、弥太郎ほどの男でも見当がつかない。

下横目という役柄は、今でいえば刑事です。それも、弥太郎の場合は公安警察です。

身分は高くありませんが、権力を後ろ盾にしていますから、反政府運動をしている半平太や、竜馬からすれば敵方の手先ですね。付きまとわれ、職務質問などされたら気分の良いものではありません。町奉行所の与力、同心、岡っ引き同様な職業ですから、嫌われ者です。特に、勤皇党の面々からすれば、周りを嗅ぎまわる「権力の犬」として邪魔にします。弥太郎が話しかけても相手にもしてくれません。そんな中で、ただ一人、竜馬だけが気楽に付き合ってくれます。

「竜馬、おまんら何を企んどるがか」

「知りたいか弥太郎。なら教えてやるがや」

こんな調子で、中浜万次郎から聞いた西欧の民主主義などをペラペラしゃべりますから、どこまでが本気で、どこからが法螺吹きか見当がつきません。事実、自分が何がしたいかを竜馬自身にもわかっていないのです。「企んでいない」のですから企みを聞かれても答えようがなかっただけです。

弥太郎の上司は、同じ吉田東洋門下の後藤象二郎です。東洋門下には板垣退助もいました。

城下の上士の師弟の中で手のつけられない腕白ものが二人いた。ホヤタとイノスケという若者である。このホヤタが後の後藤象二郎、イノスケが板垣退助である。

この他にも、維新戦争、西南戦争で活躍する谷干城などが弥太郎の仲間でした。

36、人を斬るというのは異常なことだ。
斬ると思い立っただけでも、もはや当人の精神は正常でなくなる。熱狂者のそれに似てくる。どういう言説も受け入れられない。この場合の那須信吾がそうだ。

攘夷主義の土佐勤皇党と、開国主義の吉田東洋では全く意見が合いません。吉田の方は勤皇党などは無視していますが、勤皇党から見れば目の上のたんこぶ、藩政の癌と見えます。

「ならば殺してしまえ、外科手術だ」というのが当時の発想です。特に過激派の那須信吾などが急先鋒でした。結局は彼が暗殺の実行犯になります。

それよりも…殺人者の心理というところが気になります。

この通りだと思いますね。思いこんでしまったら異常心理で抜けられなくなります。そういう殺人犯を「精神異常者」として無罪、不起訴にするのが現代の刑法なのですが、それで果たしてよいのか。大いに疑問です。異常心理に陥ってしまうことが罪ではないでしょうか。精神鑑定の必要などはないと思いますがね。しかし、延々と法廷闘争を繰り広げています。あのオームの麻原ですら精神異常だと主張するのですから、何をかいわんやです。

殺人者の人権は守って、殺された方の人権は無視する、そういう現代の人権主義者の考え方は、どこか異常です。

それどころか「殺される方にも相応の悪いことがあるに違いない」という姿勢で、被害者の前歴を暴露したりする三流週刊誌には、言論の自由を履き違えているとしか思えず、憤りを感じずにはいられませんね。

37、「全藩勤皇などは理想だが不可能なことだ。昔から理想好きはお前の性分じゃ。
完全を望み、理想を追い過ぎる。それを現実にしようと思うから、気が焦る。無理な芝居を打たねばならんようになる。必ず崩れ去る」

土佐勤皇党の盟主、武市半平太にずけずけと意見ができるのは竜馬くらいしかいません。

そうなったのは情報量の差で、江戸に出て全国の動静を見てきたものが少ないからでした。

しかも、黒船の実物を見てきたものは竜馬しかいません。勤皇等に参加した者たちは、黒船、異人と言われても武市や竜馬から聞かされて想像するしかなかったのです。

このころすでに尊皇攘夷というのは半分宗教化してしまっていて、教祖、半平太の言うことに逆らう者がいなくなっていました。それどころか過激派が主流になり、暴力革命的議論が中心になっていました。

この過激派を抑えるために半平太が提唱していたのが「全藩勤皇」です。

半平太の戦略は、

まず、執政の吉田東洋とその取り巻き(後藤、板垣など)を藩政から排除する。

次に、吉田の代わりに門閥で無能な家老を執政にして、勤皇党が実権を握る。

そして、幕政参加、または討幕を目指して軍を京の都に進める。

というものでした。

なんとなく、なんとなくですが…現代も似たような雰囲気のことが進行中のような気がしてなりませんねぇ。傀儡政権と黒幕…これは前近代的な政治形態です。

半平太の戦略は必ず崩れ去る… と竜馬は予言しますが、その後、予言通りの展開になってしまいました。半平太は土佐藩の実権を握りますが、結局は獄死する運命をたどります。

傀儡が、傀儡だと気がついたとき、権力で黒幕を排除に来ます。

民衆が、傀儡政権だと気がついたとき、黒幕を排除しに来ます。

こういう政権は、決して長続きするものではありません。現代のどこかの国の政権も、このことに早く気が付いてほしいものですが、全藩勤皇ならぬ全党マニフェストで凝り固まってしまっているようです。現実の政治の中で、理想は、完全はあり得ませんから、早く気がついて現実路線に戻すべきでしょうね。

財源なしのバラマキなどと言うものは続くはずがありません。増税するしかないでしょう。

38、讃岐男に阿波女、伊予の学者に土佐鬼侍
四国四州の人間性の特徴を歌ったもので、讃岐男は商売の才があり、阿波女は性的魅力がある。伊予の国は武よりも文に長け、それに引き比べて土佐の人間は気性が荒々しい、という意味だ。これは讃岐で歌われる歌だけに、土佐に対しては批判的だ。
それというのも、戦国時代の長宗我部軍が讃岐への侵略を繰り返したからだろう。

確かに…他の三州には褒め言葉を使いながら、土佐にだけ憎々しい言葉を当てています。以前にも似た文句が出てきましたから記憶があるかもしれませんが、「長州の怜悧、薩摩の重厚、土佐の与太」というのもありました。どうも土佐は分が悪いですねぇ。「与太な鬼侍」となってしまいます。異骨相先生が聞いたら怒るでしょうね。

ただ、長州の怜悧をその代表である桂小五郎、山県狂介(有朋)、伊藤俊介(博文)などに当てはめれば納得できます。同様に薩摩の重厚は西郷吉之助(隆盛)、小松帯刀、大久保一蔵(利通)にぴったりです。土佐の与太…これまた竜馬や後藤象二郎にぴったりですねぇ。

よく言い当てています。

ですから…「与太な鬼侍」も当たっている可能性が高そうですよ。(笑)

この言葉は明治になってから出来た言葉でしょうね。龍馬のイメージです。