寺田屋騒動(第14号)

文聞亭笑一

政治を動かすのは主義主張、思想などではありません。経済ではないでしょうか。

幕末、明治維新とて例外ではなかったと思います。幕府の失政による物凄いインフレが、日本経済を根本から揺さぶり、幕府を自滅させました。

その原因というか、きっかけは、大老・井伊直弼が結んだ日米通商条約の付則にあります。

本文は「仲良く商売を始めましょう」という程度ですから問題ありません。

問題は、付則として付けられた為替レートです。日本の主要通貨であった二分銀とドルの銀貨の交換比率を、単純に「重さ」で取り決めたことです。

当時の日本は金本位制で、一両小判が正式通貨でした。しかし、金貨では枚数が不足しますので、便宜上二分銀という紙幣のような通貨を流通させていました。銀の含有量は純銀の1/3です。当時の金銀の交換比率は1:15で世界共通です。

この、便宜的銀貨(紙幣のような貨幣)を交易の基本としてしまったのです。結果どうなるか。日本の金(小判)は1/3の値段でドルと交換されます。日本の輸出品は実質の1/3で買い取られ、海外からの輸入品は3倍の値段で買うことになります。

この為替レートの取り決めはアメリカ政府の意向ではなく、下田にいたハリスの独断です。

悪徳商人に吹き込まれて経済には音痴のハリスが強烈に要求し、同じく経済音痴の幕府外国奉行と井伊大老が騙されたのです。

ハリスはこのことで莫大な私財を溜め込みました。ドルを持ち込んでは小判に換え、その小判を上海でドルに替えます。これだけで1ドルが3ドルに化けますから濡れ手に粟ですね。これで大儲けしたのがグラバーなどの外国商人で、まともな商売で儲けたのではありません。まさに金融詐欺です。

このことに気がついた幕府の経済官僚である水野忠徳や小栗上野介が条約改更に動きますが、甘い汁を吸っているハリスは条約を盾に一切受け付けません。

仕方がないので、金の品質を1/3落として為替レートを世界標準に戻します。

これで…国内の物価は3倍に高騰します。インフレなどという生易しいものではありません。物を生産している農民はさほどの被害がありませんが、給与所得者である武士階級は実質賃金が1/3になってしまいました。幕府への信頼は地に落ちます。「明治維新は武士階級による革命だ」と司馬遼太郎は言いますが、最も困窮した武士たちが、死活問題として各地で立ち上がったのです。

薩摩藩とて例外ではありません。生活に窮した下級武士が尊皇攘夷の旗の下に集まり、討幕運動に燃え上がります。穏健派の上級武士の説得を聞かず、急進派の有馬新七を中心に全国の攘夷浪人を糾合して京都での武力蜂起に走ります。

その、薩摩藩内部での抗争が、京都で巻き起こした事件が寺田屋騒動です。

このあたりの活劇シーンはテレビでお楽しみください。

70、この寺田屋での即興の二つの唄は今でも酒席で歌われているが、竜馬が寺田屋を血で染めて死んだ連中にささげた唄だとは、多くは知らない。
咲いた桜になぜ駒つなぐ  駒が勇めば花が散る
なにをくよくよ川端柳   水の流れを見て暮らす

寺田屋騒動は薩摩藩の攘夷急進派を藩主の島津久光が成敗した事件ですが、龍馬たち攘夷浪人にとっては衝撃的な事件でした。攘夷の急先鋒は水戸藩、長州藩と並んで薩摩藩だったはずが、攘夷派の志士を成敗してしまうのですから頼るべき大樹を失うような衝撃です。

寺田屋には有馬新七など薩摩急進派と、攘夷浪人が多数いたのですが、半分近くは逃げ出して無事でした。後に、日露戦争で活躍する大山巌元帥なども、寺田屋から逃げ延びた一人です。さらに、天誅組事件を起こした土佐の吉村寅太郎もいました。

龍馬作…といわれる歌は実に多いですね。いずれも即興で節をつけて歌ったと言われています。ヨサコイ節の中にも、龍馬作が幾つかあります。真偽のほどはわかりませんが、NHKが大河ドラマの主役に福山雅治と言うシンガーソングライターを起用したのは正解でしょうね。イメージが合います。

何をくよくよぉ 川端柳・・・私らの世代にはなじみの深い唄で、私でも曲をつけて歌えます。まさか、龍馬が伏見の寺田屋の脇で、三味線を抱えて涙ながらに作った曲だとは知りませんでした。

71、公卿の無知。  公卿の臆病。  公卿の貪婪(どんらん)。
を、長州の策士たちは利用した。当時、公卿は金に転ぶと言われ、密勅降下運動など二,三の有力公卿に贈賄すればそれほど困難なものではない。  (略)
古来、公卿などというものは、歴史上ろくなことをしていないが、奇妙な権威がある。
彼らは天子という現人神を取り巻く神主なのだ。

薩長は明治維新を主導した二大勢力ですが、この時期の立場はかなり違っています。

薩摩はかなり幕府寄りの立場で、篤姫ルートや幕閣を通じて幕府内で実権を握ろうとします。一方の長州は幕府無視、朝廷の意向を利用して攘夷の主導権を握ろうとします。

その長州が目をつけた京都朝廷、安政の大獄で幕府に虐められた公家たちが逆襲のときを待っています。

司馬遼は…私もですが…大の公家嫌いですから、引用した文章も辛辣ですね。読者の中にお公家様の家柄の方がいたら「ゴメンナサイ」です。

現在、悪の権化のように言われている高級官僚、良く似た存在です。大臣の意向など無視して勝手に仕事を進めてしまいます。昔京都、今霞が関…場所と時代が違っても「奇妙な権威」は残っています。「密勅」の代わりが天下りと情報操作。

司馬遼は次のようにも言います。

公卿は天子の言葉を取り次ぐが、途中で、公卿が都合のいいように変えることがあったりしても、天皇は一向にご存じない

まぁ、大臣の知らないことを勝手にやってしまいますが、それと言うのも大臣が替わりすぎるからです。または…大臣も公卿だからです。カネに弱いですからね(笑)

大臣だけならまだしも、「族」と名のつく「賊」がウジャウジャとついて回りますから、利権の奪い合いで魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)の世界になります。

72、竜馬は江戸へ。
入れ違いに武市半平太が京へ上ってきた。
武市は金銭をふんだんにばら撒き、土佐藩主の姻戚である三条家を使って公卿どもの機嫌をとった。これが成功して
「土佐藩主も薩長藩主とともに大いに公武の間を周旋せよ」と「勅語」を受けた。

武市半平太が最も光り輝いたのがこの頃です。

「月様雨が」「春雨じゃ、濡れていこう」などと京に浮名を流し、講談の主役になるのはこのころです。幕府の進める公武合体、和宮降嫁などに表に立って活躍し、三条実美などを使って土佐藩の代表として薩摩、長州と付き合います。尊皇攘夷の旗頭として薩長土と並び称されるようになったのは、このときからです。

この頃、幕府は外交上の大失敗を二つやります。

この失敗が、世間の幕府に対する信頼を根底からゆるがせてしまいます。

一つは、経済政策の失敗で、この稿の冒頭で触れた貨幣の改鋳で、強烈なインフレを巻き起こしました。全国の武士階級をすべて敵に回してしまいました。最も被害の大きかったのは、実は、お膝元の旗本八万騎です。江戸市民です。商人は「この際…」と便乗値上げに走ります。百姓は売り惜しみをします。米の値段は5倍10倍に膨れ上がり、さらに凶作が追い討ちをかけます。

二つ目は、対馬をロシアに乗っ取られそうになります。

ロシアはアメリカの条約に便乗して、労せずに開国の恩恵に浴していたのですが、それだけでは飽き足らず、さらに、清国を騙して手に入れた満州への交通路を確保するために、対馬の不法占拠を狙います。軍艦を「修理のため」と対馬に停泊させ、勝手に軍事基地化を始めます。まさに泥棒、強盗、詐欺師のやり口です。対馬藩だけでは手に負えません。幕府に救援を求めますが、幕府はロシアの外交団にいいようにあしらわれて何もしません。「対馬をイギリスの侵略から守って差し上げる」と、でまかせの嘘を押し通します。

これを聞いて、イギリスが濡れ衣を晴らすために大艦隊を対馬に派遣し、ロシアを追い払います。対馬はイギリスによって救われました。

対馬…現代も危ない問題を抱えていますね。外交不安の政権下で、…心配です。