六文銭記 22の前に・・・21話の続き

文聞亭笑一

先週はなかなか見ごたえのある場面でした。ディベートの面白さがありました。

北条の言い分、真田の言い分、徳川の態度・・・なかなかの名演技でした。

22で多少は解説をしたのですが、説明不足だったようで幾つかの質問を受けました。

1、天正壬午の乱での徳川と北条が交わした「手柄次第」について

北条と徳川は和睦の条件として

― 信濃は徳川の手柄次第

― 上野は北条の手柄次第

と約束しています。問題はこの条文、言葉の解釈ですね。

 常識的には、テレビで正信役の近藤正臣が述べた通り

「好き勝手にしてよい。口を出さぬ」という意味で「実力で奪い取れ」と解釈するのが常識的です。

それ以上の意味はありません。

事実、「信濃は勝手」と言われた家康も、上杉が支配する水内郡、高井郡は勝手にできていません。

それどころか真田が支配する小県郡も上田合戦の大敗北ではね返されています。

一方の北条も、上州では真田に吾妻郡、利根郡を抑えられ、なおかつ、下野との境界でも佐野、宇都宮の連合軍に村単位では支配権を奪われています。

要するに「手柄がない」のですから、文句を言う筋合いではありません。

さらに、真田が徳川の与力大名になったのは秀吉の命令です。その徳川に、昔の責任を果たせと要求することは、秀吉に対して徳川との約束を重視せよという主張になります。

何となく、尖閣諸島や竹島に関する中韓の主張のようで、見ていて腹立たしくなります (笑)

2、三方一両損というが真田は損をしていないではないか?

 #22での説明が不十分でした。

上州全域を要求した北条は吾妻郡と利根郡の一部を失いましたから明らかに損です。

徳川は信州伊那・箕輪領1,4万石を真田に割譲していますから損です。

真田は・・・沼田と同じ石高の箕輪をもらいましたから損はしていないように見えます

ただ、これは机上の計算で、もらった箕輪領は飯島氏の支配地です。徳川家の実質支配地ではありません。飯島氏は徳川の与力大名の一人で、領地の支配権は持っています。

徳川直参から「真田に出向せよ」と言われた出向社員と同じ立場です。真田の言うことを聞く立場になりますが、去就は情勢次第で、形だけの主従関係です。ですから・・・真田も損です。

得をしたのは飯島かもしれませんね。徳川支配下よりは真田の方が縛りは緩くなります。自由度が増した、独立した・・・に近い環境になります。

ただ、それが得だったかどうかは分かりません。徳川の天下になって、信濃出身の小笠原、木曽、保科などは大名になり、老中どころか保科などは秀忠の子を養子にもらい受けて大老にまでなっていますが、江戸期に飯島という大名家は存在しません。

損得は・・・・・・、どういう時間軸で判断するかということになります。

(次号に続く)