万札の顔 第28回 改正掛

文聞亭笑一

大隈の説得に栄一が「やる気満々」で乗りこんだ明治新政府は「全く」と言ってよいほどに行政機構が未整備でした。

徳川幕府は地方自治が原則で、国家予算というべきものは幕府の天領から上がる租税しかありません。

勿論、主要な街道筋は幕府直轄ですから、関所を含め、宿場などからの租税収入はありますが「国家予算枠」としては矮小です。

ましてや貨幣の統一すらできず、明治政府発行の太政官札もあれば、各藩の藩札もあり、その相場商いで三井などの両替商がボロ儲けをしているという実態でした。

改正掛で大暴れ

栄一が租税正として赴任した大蔵省は、一言でいえば「雑踏」でした。

幕府の勘定書を踏襲した、旧天領から上がる租税の管理事務があります。

それ以上に大変なのは各藩からの問い合わせ対応で「○○は従来通りで良いのか?」「△△をこう変えたいが、許可してもらえるか?」など雑多な問い合わせに忙殺されていました。

しかも、判断の指針となるべき行政の基本方針すらありませんから、都度、都度、上へ下への大騒ぎです。ものすごく忙しいのですが、仕事は全く前に進みません。

「こりゃぁダメだ」

栄一の建白魂に火が付きます。

ドラマでは登庁初日に太政官(閣議)に乗りこんで一席ぶったことになっていますが、実際は伊藤博文を通じて大隈重信に「課題提起」と「改正掛設立」の提案をしています。

即刻提案を採用、全員が兼務での合議体になります。現在の企業体でいえば「経営戦略室」ですし、「国家制度検討プロジェクトチーム」とかいうことになるでしょうね。

プロジェクトメンバには大蔵卿(大臣)の伊達宗城を始め、大隈や伊藤、それに前島密や杉浦譲といった栄一の盟友たちも加えます。

検討課題は

貨幣制度をどうするか

税制をどうするか、

基本から考え直す

全国測量、度量衡の改正、駅逓(郵便)制度改革、鉄道敷設・・・などなど、多岐にわたります。

とりわけ鉄道などは、太政官や世論の反対が強く、議論が紛糾します。

   不要不急の土木工事である

沿道の宿駅の生業を奪い、失業者を生む

外国から資金を借りるのは売国行為である

  ・・・などなど

大久保の薩摩藩などは、三田から品川にかけての薩摩屋敷を通さないと居座ります。

仕方なく、新橋・横浜間の、いわゆる「汽笛一声」は海上を埋め立てて建設することになりました。

現在の品川駅の場所は、当時・海上の浮島でした。八山橋から陸地に戻ります。

当時の職制では「係」でなく「掛」の文字を使っていますね。現在では鉄道用語に残ります。

殿様、奥様

栄一は湯島の旗本屋敷を買い取って、静岡から千代と歌を呼び寄せました。

広くてもプライバシーがなかった静岡の家に比べて団欒を持つことができます。

この当時、旗本たちは江戸の屋敷を捨て、静岡に移住していました。二束三文の値段でしょうね。

当時の栄一の給料ですが、上司の伊藤博文の月給が250両です。米価で換算すると180万円くらいです。

栄一はその下の高級官僚ですから月給は100万~150万といったところでしょう。結構な高給取りです。

江戸住まいと近くなったので、実家の血洗島から父親の市郎右衛門が出てきます。

生糸の商売で横浜に行くついで・・・と云う名目ですが、出世した息子の姿を見てみたかったのでしょう。

江戸時代の農民である市郎右衛門にとって「租税正」という役職は小藩の大名レベルに想えたでしょう。

「正」は「かみ」で「守」と同格です、従五位下です。血洗島を支配する岡部藩2万石の殿様・安部信発と同列です。

そうなると・・・栄一は殿様になり、千代は奥方になり、うたは姫様になってしまいます。

息子だからと言って家族づきあいはできぬ…そういう百姓としての矜持、頑固さを持っていました。

「おまえはお国の大事な任務のある人だ。家族への情に曳かれてはならぬ」

そういうメッセージを届けたかったのかもしれません。

同様な人は随所にいたようで、私の住む町にも屋号が「丁髷(ちょんまげ)さん」というお宅があります。当主が明治の後年になっても、死ぬまで髷を切らなかったことに由来します。

薩長綱引きの狭間

鉄道網と並んで、情報通信分野のインフラ整備が必要と改正掛は郵便制度の新設を建議しますが、世の中の仕組みが分かっていない岩倉などの公家たちは「政府が飛脚屋から仕事を奪うとは・・・」などと反対します。

反対があっても構わずやってしまうのが栄一たちです。

郵便制度設計のため、前島密は訪英します。

ともかく、大隈、伊東、栄一のトリオは強引とも言えるやり方で改革を進めます。

これを面白く思わぬ岩倉、大久保などの政権トップは、大隈を罷免してしまいました。

そして、大蔵卿には大久保利通自身が就任して栄一たちの動きを牽制します。

仕事はやりにくくなりましたが、大久保は太政官での政治、政務の方が忙しく大蔵省にはほとんど顔を出しません。

「鬼のいぬ間に…」栄一たちは次々と改正を進めます。

明治初年の新政府は薩長の綱引きが続いています。薩摩派の親玉が大久保利通、長州派の親分が木戸孝允(桂小五郎)です。

栄一は大隈(佐賀)、伊藤や井上と近いので長州派とみられています。

この両派の確執で大蔵省は民部省と大蔵省に分割され、大蔵省は財務だけに縮小されますが、木戸が工部省を立ち上げて民部省から製鉄、鉱山、鉄道、電信といった分野を分離させます。

軍部も陸軍は長州、海軍は薩摩といった塩梅でしたね。与党と野党という関係ではないのですが、主流派と非主流派といった感じの政権運営になっていました。

淳忠、喜作

改正掛では当時の最大の輸出商品・生糸のことまで手掛けます。

薩長人材箱の分野に弱く、武家育ちに養蚕は分かりません。政府内では栄一が最も詳しい・・・と任されますが、片手まではできません。

そんなところに千代の兄・淳忠が現れます。

「兄い、頼む」   後に、尾高淳忠は官営・富岡製糸場の初代工場長になります。