敬天愛人 31 土佐の怪物
文聞亭笑一
維新の時期、年号がよく変わります。和暦で書かれた小説などを読んでいると、時の前後が分からなくなって、西暦に直して時間経過を辿ったりします。
良くないことが起きると・・・年号を変えて水に流そうとする・・・それが公家文化でしょうね。
西郷どんの生きた時代も、それでした。
西郷どんが生まれたのは文政10年(1827)です。
藩校で学んでいたのは天保年間、天保14年(1843)に弟・従道が生まれます。
弘化という年号が3年ほどあって、嘉永になります。
太平の 眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も寝られず ペリーが浦賀に来たのが嘉永6年(1853)です。
そして安政になります。安政の大獄が始まったのが1858年です。西郷どん、島流しです。
万延という年号がちょっとだけあって、文久になります。生麦事件や薩英戦争(1862)があって、すぐに元治です。西郷どんと糸さぁが結婚します(1865)
そして慶応になり、明治になって…それから年号が落ち着きました。西郷どんは産まれてから死ぬまで(1877)の49年間に10の年号を経験していますね。平均5年?
我々の場合は、来年新しい年号になるようですが昭和、平成、<??>の三つです。
それでも換算するのが実に面倒で、高齢者の書類を扱う時には「満年齢・西暦早見表」が手放せません。和暦は日本の伝統文化ではありますが…実用的には厄介この上ないですね。企業などではすでに和暦を捨てていますが、こだわる人はこだわります。昭和16年を「紀元2600年」と主張した人もいましたが、ヤッパリ世界標準に合わせて西暦に統一するのが常識的でしょうね。
坂本龍馬と万国公法
世界標準、グローバルスタンダードという概念を日本に最初に持ち込んだのは佐久間象山のようですね。その知識を咸臨丸での航海で確認し、政治利用し始めたのが勝海舟で、さらに、その考え方を、商売を通じて日本国内に広めていったのが坂本龍馬でしょうか。
佐久間→勝→龍馬 という流れは、日本が国際デビューをして行く上で実に重要な役割を果たしています。
万国公法、グローバルスタンダードというものがある…と、始めて知ったのが佐久間。
それを、自ら渡米して、現地で確認してきたのが勝海舟。
勝から教わった新知識を、自分なりに解釈して、日本風に応用してしまったのが坂本龍馬。
常識にとらわれないこの三人がいて、明治維新の思想的骨組みができたようにも思われます。
この三人、面白いですねぇ。佐久間は信州真田藩の山猿、勝はチャキチャキの江戸っ子、龍馬は土佐の海坊主…、まるで異質の育ち方をした三人が子弟関係を通じて「維新」という大変革を起す骨組みを作り上げていきます。
明治維新の最初の憲法、五か条の御誓文は、坂本龍馬の「船中八策」を下敷きにしています。
その八策は、龍馬が勝から聞いた共和政治の骨組みをキャッチフレーズ化したものです。
そして、勝に万国公法の存在を教えたのが佐久間象山です。
思想的な流れはこの三人を軸にしますが、政治は複雑です。尊王佐幕、攘夷開国、色々な思想が入り乱れ、そこに私利私欲が絡んで混乱を極めます。
「ところで、わしはいつ将軍になるのだ」
と西郷に質問したのが島津久光という話もあり、・・・と、木戸孝允に質問したのが毛利の殿様という話もあります。どれが本当か良く分かりませんが、殿様、実務者、庶民で受け止め方は随分違ったと思います。
殿様や高級武士にとって、明治維新は自分たちの権利をはく奪し、財産をすべて巻き上げるとんでもない革命です。とりわけ、江戸の旗本たちにとっては地獄に突き落とされたような大災害です。・・・にも拘わらず反乱を起こさない・・・それが日本文化でしょうか。
坂本龍馬が組織した「海援隊」は「カンパニー」だと本人は言っていました。企業、会社組織ですね。ただ、形だけ真似たもので「企業」とは何たるかはわかっていません。
「他人様から資金を出してもらってよぅ、商売しちゃる」
要するに「他人の褌で相撲を取る」、それが「西洋のカンパニーだ」と、単純明快に理解してしまうところが坂本龍馬の強みです。さらに、龍馬は稀代の営業上手です。まずは資本金を越前の松平春嶽から調達します。ポンと5000両と言いますから春嶽も太っ腹ですねぇ。さらに船、汽船を大洲藩に調達させて、その運用を丸ごと引き受けます。アウトソーシングしてしまいます。
これが「いろは丸」です。
いろは丸事件という海難事故を起こします。その処理に万国公法を使って、相当強引に紀州藩に弁済させます。私などは「これが龍馬暗殺事件の動機である」という説で小説を書きました。
ともかく、龍馬の営業力は凄いですねぇ。グラバー、西郷、桂などを手玉に取って武器の輸入をやります。自己資金ゼロで、現在の価格でいえば「千億円」単位の商売をやってしまうのですから驚きです。
今回のドラマでは龍馬をどう描きますかねぇ。楽しみです。
中岡慎太郎 陸援隊
坂本龍馬が組織したのが「海援隊」 船を使っての貿易で国の形を変えていこうというグループです。
一方、同じ土佐浪人ですが「陸援隊」という結社を作り、武力討幕を進めようというのが中岡慎太郎です。
土佐藩は攘夷運動が盛んでしたが、藩主の山内容堂は佐幕派です。武市半平太以下の土佐の尊王攘夷派には過激派が多く、倒幕の行動を起こしては藩からも、幕府からも弾圧を受けます。
安政の大獄、池田屋事件などで多くの過激派が処分されました。
そんな中を逃げのびて長州に行き、都落ちした三条実美以下の7卿のガードマンをしていたのが、中岡慎太郎が組織した「陸援隊」です。長州から、第一次長州征伐の講和で大宰府に移りましたが、この時期は都に出てきて岩倉具視の屋敷に入り浸っています。
武力討幕を強く主張します。玉松操と倒幕の密勅を用意したり、品川弥次郎と錦の御旗を隠密に製造したりと、まっしぐらです。龍馬や西郷どんの、話し合い路線とは合いません。
坂本と中岡、一緒に暗殺されますが…それがまたミステリー、数多の小説の題材です。