敬天愛人 32 草枕

文聞亭笑一

「智に働けば角が立ち、情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ」

夏目漱石が小説「草枕」の冒頭に掲げた日本人社会の苦悩・・・というか、お悩み事ですが、百年の時を隔てた現代でも、全くその通り・・・健在です。

ましてや、漱石よりも前の、維新前夜にあって

「意地」というものがどれほど強烈に人の心を支配していたのか・・・、想像すらできませんが、少なくとも現代の我々が、たまに突っ張って発揮する「意地」とは程度が違ったでしょうね。

江戸時代というのは、個人が個人ではいられない時代です。西郷どんにしても

一匹の男・・・である前に、西郷家の跡取りです。

現在の地位はそれなりに有効ではありますが、下級の鹿児島・島津藩士です。

その枠、縛りを意識しつつ「日本」や「外交」を考えます。

薩長同盟・・・薩摩の意地と長州の意地がぶつかり合います。

薩摩は優位な立場から、長州に「…してあげた」という立場を意識します。礼を期待します。

長州は「その態度が我慢ならん」のです。

「武士は食わねど高楊枝」「腐っても鯛」・・・この誇りは捨てるわけにはいきません。

薩摩とは対等な同盟なら受けますが、「施し(ほどこし)」は受けない…これが基本的態度です。

お互いの意地の張り合いですねぇ。

そのあたりが前回、今回の西郷と桂、その触媒としての龍馬のやり取りを面白くさせていますね。

・・・変な絵を添付しました。

先週末から武蔵小杉で我が夢見絵画会の作品展をしていまして、出展する作品数が足りないので、3年前の作品を持ちだしました。冒頭に使ったのは漱石の「草枕」ですが、この絵は「吾輩は猫である」の第7編目、吾輩(猫)が銭湯を覗きに行き、「人間とは実に未完成な動物である。毛が生えていない。それに名誉ある尻尾すらない」と、散々に人間をバカにする場面です。

漱石の原作は男湯を覗いて、倶利伽羅紋々(くりからもんもん)のお兄ちゃんが偉そうなことを言う場面を描きますが、刺青(いれずみ)の兄さんを描くのは面倒なので、女湯にしてしまいました(笑)

明治新政府は・・・至る所で意地の張り合いをして…衝突を繰り返します。要らぬ血を流します。漱石の吾輩猫が言う通り・・・人間とは実に愚かな生き物で、「意地」という訳の分からぬ怪物のために妥協ができません。アメリカのトランプさん…意地だけの人に見えますねぇ。

その意地っ張りに「意地」で対抗する中国の習近平さん、どっちが西郷で、どっちが桂か知りませんが

「ええころかげんにしときなはれやぁー、大事なんは平和と経済安定とチャイまっかぁー」

日本の晋三さんが「龍馬」なら、米中の摩擦に水をかけるのが仕事でしょうね。

トランプと習近平に本気の喧嘩をさせてはいけません。落としどころのアドバイスがしたい。

モリカケなんぞの、つまらんことを仕掛けてくる枝野一派は・・・さしずめテロ集団の新選組でしょうね。世間が見えていません。まぁ、無視するに限ります。

第二次長州征伐

 一方、策士・慶喜は孝明天皇を人質のように使い、幕府の温存、中央集権体制への復帰に動きます。そのためにはまず、「攘夷」で凝り固まっている長州を潰し、その長州にシンパシーを感じている京大阪の民衆に鉄槌を下したいところです。

 今度こそ…と、自らが陣頭に立ち1万5千の幕府軍(旗本)を大阪に送り、幕府海軍にその他の藩の軍艦も召集して、大阪湾に集結します。いわゆる「連合艦隊」のハシリですね。

兵の数、装備・・・どう見ても幕府軍が優勢です。1:10・・・、いやそれ以上の兵力差です。

が、この幕府軍が連戦連敗します。

圧倒的優勢の軍がなぜ負けるのか?

野球の野村監督は「勝に不思議な勝あり、敗けに不思議な敗けなし」と明言を残しましたが、慶喜にとっては「不思議な敗け」だったのではないでしょうか。

 山陰道・石州口の戦で大村益次郎が率いる長州奇兵隊に惨敗します。コテンパン

山陽道から攻め込もうとした主力部隊は、ゲリラ戦を警戒して遅々として進軍できません。

最強の幕府海軍が攻め来んだ大島口では、初戦は完勝しましたが、高杉晋作率いる奇襲部隊の夜間攻撃に同士討ちを怖れて広島まで撤退してしまいます。

更に、関門海峡を越えて下関に攻め込むはずの幕府・九州部隊は、攻め込む前に山県狂介率いる奇兵隊に先制攻撃を仕掛けられ、小倉城を捨てて逃げ去るという失態を演じました。

幕府軍の敗けた原因を、司馬遼太郎などの歴史作家は「志気」の問題にします。ようするに・・・「やる気」の問題です。確かに…やる気がなければ、まず御身大切を考えます。攻めるより逃げます。幕府の命令で「ショウガネェ」と国許から出てきて、殺されては仕方がありません。「従軍した、戦ったが…武運我に味方せず破れた」のなら国に帰れます。エエカッコはできませんが、それはそれで土産話は創作できます。

・・・が、実はそれだけではないのです。諸藩には金がない。

幕府軍と言いますが、幕府の命令で出兵した諸藩は、遠征費用はすべて自腹です。幕府からの援助はありません。維新の前は「地球寒冷化」の影響で飢饉が続き、各藩の財政は火の車です。中には、今回の出兵費用で集めた税金のために「一揆」「打ち壊し」が起こっている藩もあります。

各藩は遠征軍の組織で苦労しましたね。上級の藩士ほど戦争に行きたくないので、本人は隠居して、娘に下級武士の家から婿を取り、これを遠征軍に出します。婚礼は無事帰還してから…、として娘を傷物にしません。そういう婿さんたちは、やる気満々です。手柄を立てれば、足軽の息子が百石単位の上士になれます。こういう連中は士気が高いのです。

例えばわが故郷の松本藩。遠征軍の首脳は経費削減が最重要課題です。一方、部隊長クラスは安全第一、そして実戦部隊はやる気満々、抜け駆けすらしかねません。要するに士気の向く方向がバラバラです。

私の好きな言葉に勝海舟の

「ことをなすは人にあり 人を動かすは勢いにあり 勢いを作るは、また人にあり」

があります。

勢いの元を作り、育て、その勢いの出しどころを誤らない・・・これができたらとんでもないことをやってのけますね。金足農業高校の甲子園準優勝…、おめでとうございます。