万札の顔 第32回 夢なかるべからず
文聞亭笑一
前回は、西南戦争から大久保暗殺などの大事件を・・・随分あっさりと流してしまいましたね。
栄一とは関係ない・・・確かにその通りです。とはいえ、私たちが習った近代史というか、政治史で不平士族の乱は試験の問題にもなりました。あっさりし過ぎて・・・やや不満でもありました。
「♪ 雨は降る 降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂」
や、
「晋どん、この辺でよか」
西郷さんの最後の場面などは見たかったですね。もっとも・・・その場面を撮影するには千万近い金が要りますね。N党に叩かれます。
今週号は、前回に放映された部分、ナレーションだけだった部分の説明から入ります。
ハマの火祭り
外国人商社が結託して値崩れを誘発した蚕卵紙事件がありました。
先週、その背景と言うか・・・蚕の卵がなぜ輸出商品になったかの説明はしましたが、伝染病でヨーロッパの養蚕業が壊滅し、その再建のためには日本の蚕種・・・蚕の卵・・・の需要が高まっていたからです。
売れる・・・となれば、我も我もと生産します。生産は簡単です。
繭を出荷せず放置すれば、繭から蛾が孵ります。これに卵を産ませればよいだけで、手間暇かかりません。コストも卵を産ませる紙代だけです。
我も我もと生産しますから、当然のこと、生産過剰・・・、そして値崩れです。
当時の相場は安い相州ものが30銭、上等な信州ものが60銭程度だったのですが、生産過剰と買い控えの相乗効果で信州ものが5銭にまで買いたたかれていました。
この解決を頼まれたのが栄一です。
物が余っていては値崩れが当然です。物を減らすしかありませんが、政府が表に出るわけにはいきません。大隈に交渉して政府資金を第一銀行に預かり、買占めと焼却を始めました。
42日間、45万枚の蚕卵紙を一枚17銭から21銭で買い上げ、焼却してしまいます。
この間、外国商社は蚕卵紙が全く仕入れできません。闇の仕入れ値は鰻上りに高まり、ついには不平等取引条件の改定となりました。
渋沢喜作が大将となり、栄一が参謀として作戦を伝授して、外国相手に始めた経済戦争の第一戦は大勝利を納めました。
横浜で行った火祭りの場所は現在の横浜公園、横浜スタジアムの辺りです。
西郷札
戦争には金が要ります。それも半端な数字ではありません。これは西郷軍も政府軍も同様です。
政府は当初、薩摩の反乱を楽観していました。
「西郷は参加するまい」「参加してもハネカエリの説得をするだろう」「岩倉や三条などが説得すれば・・・場合によっては明治天皇の勅書を出せば手を引くだろう」と、陸軍は軍費20万円の予算を申請していました。
勝組の薩長土肥でも、栄達組と冷や飯組では天と地ほどの差が出ました。格差問題ですよね。
いつの世でもハイリスク・ハイリターンは当たり前で、リスクをとった者たちは中央政権で栄達します。安全第一と日和見をしていた者たちは「武士」と言う地位を奪われて貧しくなります。
今回の衆議院選で、野党連合は「格差是正」を旗印にしましたが、所詮はヒガミ、ヤッカミです。世の中が変革している時代には「安全第一 =ジリ貧」は当然、覚悟しなくてはなりません。
政府は20万円の戦費の予想が崩れ、結局は4000万円の戦費を使うことになります。
当時の国家予算が年間5000万円ですから、とんでもない出費です。この戦費は・・・紙幣の大増刷で賄うしかありません。
それを運用したのが三井、三菱・・・とりわけ三菱・岩崎弥太郎はこの戦争を利用して海運業の独占的地位を確立します。兵員、軍需物資の輸送を全面的に引き受け、金策に苦労する大隈大蔵卿を手のうちに抱え込んでしまいました。
台湾進攻、西南戦争と続く軍事輸送で三菱・弥太郎は物流を独占し、巨万の富を築きました。
一方の西郷さんも、鹿児島兵1.5万人、さらに膨らんで3万人の軍勢を率いて北上するには金が要ります。
こちらも紙幣を刷りました。「西郷札」と呼ばれる私設紙幣・・・藩札のようなものです。当初は「1円は1円」の値打ちがありましたが・・・戦況の推移と共に次第に相場が下落し、田原坂の頃は紙きれ同然だったようです。金がないと・・・戦は勝てません。
大久保暗殺
この頃、明治政府を差配していたのは大久保利通です。維新物語では「悪役」のイメージで登場しますし、今回も栄一を虐める「悪役」ですね。
この人を主役にした小説を書く作家がいないのか・・・、どちらかと言えば戦国の「信長+家康」のイメージです。面白い題材です。
大久保利通と岩倉具視が「天皇」と言う切り札を使って政敵を次々と消し去り、「日本」と言う統一国家を作っていったのが維新の後半でしょう。
維新物語では、大久保を暗殺した犯人が誰かを伝える記述がありません。
井伊直弼暗殺の桜田門外の変などは、いきさつが克明に説明されているのに比べたら・・・ちょっと不思議です。
井伊直弼も当時の国家首班であり、大久保利通も同じ立場でした。どちらも「首相暗殺事件」です。
史料には、「暗殺者は石川県士族」と書いてあります。要するに前田百万石の不平士族です。
加賀・前田百万石は維新物語には全く登場しません。戦国の信長・秀吉・家康との「安全・安心関係」を基本方針に、組織を守ってきた伝統で明治政府にも消極的に協力してきました。
廃藩置県、これは前田藩には堪えたと思いますね。加賀百万石と言いますが、領地は加賀、能登、越中など広範囲です。領地が細分化され、前田家の中心部は加賀だけになりました。半分以下ですね。
政府、それを主導している大久保への恨みは、暗殺計画へと進みます。
007かゴルゴ13か、実に見事な暗殺だったようですね。馬車を停める役、暗殺を実行する役、アッと言う間の出来事で騒ぎも絶叫もなかったようです。
商工会議所
当時の政府は・・・ともかく金がありません。借金漬けです。そのうえに財政、財務の分かる人材が不足していました。いや、人材はいても、登用できていませんでした。
大久保亡き後の政府では、大隈重信が首相的な地位に就きます。それをサポートするのが伊藤博文です。大隈の念願は「不平等条約の解消」と、不当な関税率の改正です。
得意の外交で打開を図るのですが「民意の裏付けがない」と拒絶され、欧米の「チェンバーofコマース」要するに商工会議所がないと、まともな国家として認められないと知ります。
大隈と三菱・岩崎弥太郎との縁は切っても切れないほどに癒着していますが、弥太郎に欧米型組織導入の才覚はありません。大隈は栄一を頼ります。