乱に咲く花 33 尻馬・勝馬

文聞亭笑一

先週は太田・絵堂の戦といわれる、維新史の始まりとされる戦闘場面でしたが…その割には少し物足りなかったですね。江戸期の武士団と庶民の軍団である奇兵隊による内戦です。

戦国時代は公家化した守護、地頭に対して、国人といわれた百姓たちが反乱を起こすところから始まりますが、明治維新は上流武士団に対し、下級武士と農・工・商といった庶民が戦いを起こすことで始まります。

これを革命と呼ぶか、それとも維新、刷新と呼ぶかは学者の間でも意見が分かれますが、ヨーロッパと違って日本では、藩における最高の権威者、責任者である「殿様」を処刑していません。処刑するどころか薩摩の島津久光も、長州の毛利敬親も「俺はいつ将軍になるのか」などと部下に愚問を発しているのですから殿様も革命軍の一員です。江戸期の下層階級が反乱を起こして、徳川幕府を倒したのですが、殿様はそのまま殿様なのです。殿様が殿様でなくなるのは、大久保利通が強引にやってのけた廃藩置県令が出た時で、それでも主だった藩主は「知事」という権力を引き継いでいます。支配階級は温存されているのですから、革命とは呼びにくいですねぇ。

それはともかく、皆さんは太田・絵堂といわれるのは山口県のどの辺りか…ご存知でしょうか。

ドラマではその説明もありませんでしたから、奇兵隊と藩兵の布陣の様子すらわかりませんでしたね。太田も絵堂も現在の美祢市になります。美祢市といってもわかりにくいですね。山口市の西隣で、近くにカルスト台地で有名な秋吉台があります。「秋吉台のちょっと東側の谷」というのが一番わかりやすい説明でしょうか。お城のある萩と山口の中間になります。

奇兵隊は寄せ集め兵で約千人、それに対し藩の正規軍は三千人です。

どう見ても正規軍の方が強そうですが、この正規軍が散り散りになって敗走するというほどの惨敗を喫します。奇兵隊の作戦はゲリラ戦と夜間の奇襲が多かったようですから、戦闘に慣れていない正規軍の兵士は我先に逃げ出した結果だと思われます。正規軍は、身分は武士で戦闘要員ですが、戦闘訓練などはしたこともなく、机上で兵学を習い、竹刀で剣術を習ったような者たちばかりでした。鉄砲は連れていった足軽が撃ちますが、こちらも射撃訓練などはほとんどしていません。

それに対して奇兵隊は下関でフランス軍と戦っています。蛤御門で薩摩・会津の兵と戦った残党もいます。京の町で「人斬り…」などと言われた他藩の攘夷志士もいます。彼らは殺人行為経験者ですから、血を見るのを怖がりませんし、手加減などしません。殺すか殺されるかの修羅場体験をしてきた者たちが多いのです。

現在中東ではイスラム国を名乗るテロ集団が暴れまわっていますが、彼らも人殺し集団です。

それに対する政府軍は腰が引けていますよね。陸上での遭遇戦では勝ち目が薄く、一向に事態が進展していません。この先どうなるのか…、全く予測がつきませんが、武器弾薬、食料を補給する道を閉ざさない限りは埒(らち)が明かないでしょうね。

更に、萩門閥政府軍は決定的な失敗をしています。戦力を分散してしまいました。

太田・絵堂方面から攻めてくる山県狂介の奇兵隊に対する軍を分けて、下関に居る高杉晋作の軍に当たろうとします。そうこうしているうちに高杉の軍艦が沖に現れ、砲撃、といっても空砲をとどろかせると慌てて下関に向かった兵を呼び戻そうとします。

「選択と集中」というのが現代経営の流行語ですが、その逆をやったのが椋梨の長州政府軍でした。右往左往・・・軍を動かしますが、兵隊は疲れるばかりです。

こうなったのは、椋梨が家老職ではないためでもありましたが、合議制で物事を決する癖のついてしまった門閥家老たちが口を出し過ぎるために、情報が入る度に会議、会議で、軍への司令ができません。すべてが手遅れになります。

合議制は危機管理にはタブーです。それをやってしまったのが福島の原発事故です。東電がその愚を犯し、それに菅政権まで口を出して初動対応を誤りました。そういう愚を犯さないために、国土防衛では安保法制を作っておこうというのですが、こういう話は平和愛好家には理解されないでしょうね。「安保法制が通れば徴兵制になる」と思う人が多いようですが、絶対になりませんよ(笑) 憲法を知らない人の屁理屈です。

日本国憲法では28条?か29条?で「苦役の禁止」を謳っています。

「嫌なのに兵役に就かされる」などということは、憲法をどう解釈しても実現できません。

憲法を変えて、徴兵法案が通過して…それからです。徴兵法案が発議されたら95%の国民は反対しますね。私などは先頭に立って反対運動に参加します。

こういう馬鹿な議論をしている野党のセンセイと、反戦憲法学者は長州門閥派です。小田原評定を延々とやっているうちに尻に火が着いて、逃げるしかなくなります。「情」に弱い国民を煽るに事欠いて、「安保法制が通れば徴兵制になる」などと言うのは愚の骨頂だと思いますね。

風が吹けば桶屋が儲かる…という笑い話に国民を引き込もうとしています。そういう煽動には乗らず、日本とその領海における権益を守るにはどうすべきかという、原点に戻った判断が必要な時期でしょう。所詮はエネルギー確保の問題です。70年前の戦争はエネルギーの道を封鎖された日本が、自暴自棄になって始めたことなのです。原発を含めて、エネルギーの問題は扇動家の極論に乗せられることなく、自主的に考えてみるべきテーマだと思いますね。

自軍の10倍にも近い政府軍に包囲された奇兵隊は、全員に死を覚悟させねばならなかった。これは宗教に似ている。宗教に儀式が必要なように、一つの軍隊に死を覚悟させるためには儀式が必要であった。儀式の司祭には演技が必要であるように、軍隊指揮官もそうであり、この場合の山県狂介にとっては特にそれが必要であった。

これは前回放送分の頃に起きたことですが…終戦記念日が近づき、安倍総理の「70年談話」が発表されるので敢えて引用しておきます。マスコミはこぞって「謝罪」の文言を入れるべきか否かでアンケートを取ってみたり、外交上の継続性を云々していますが「国際慣習」に関しては一切論評をしていません。

アメリカは未だかつて一度も広島、長崎に原子爆弾を投下したこと、東京をはじめ無差別爆撃をして多くの日本人を殺したことを謝罪していません。

イギリスも、フランスも、ロシアも…アジアを植民地支配した謝罪をしていません。

戦勝国は謝罪しなくても良いが、敗戦国は謝罪しなくてはならない…そんなルールはありません。あるとすれば、日本が先例を作っているだけです。同じ敗戦国のドイツも、イタリアも植民地支配したことに謝罪などしていません。

謝罪と賠償は、国際慣習ではセットになります。だから…他国はしないのです。

率先垂範もカッコいいですが、喜ぶのは中国と韓国だけでしょうね。「ならば尖閣をよこせ」「竹島をよこせ」と、図に乗ってくるでしょうね。

余談が過ぎました。山県狂介、後の陸軍のドン有朋はこの成功体験で日本陸軍の精神主義を仕込みました。玉砕、特攻・・・は一種の儀式です。

なすすべもなく沈められる・・・とわかっていながら、「戦艦大和、出撃せよ」を打電したのは、私の住む近くの「日吉の丘」の地下壕からでした。現在の慶応大学日吉キャンパスの地下です。これも、山県流儀式の一つだったでしょうね。

反省し、謝罪すべき、はこういう日本式精神主義だと思いますよ。そういう精神主義を、多分にお持ちの野党の先生方が「謝罪しろ」というあたりが「???」ですねぇ。

奇兵隊に御堀耕助という男が居る。彼は兵を集めるために山口周辺の庄屋を説いた。
「これは一揆ではない。百姓一揆は重罪であるが、忠義を旨とする一揆は善の善たるものである。諸君らは百姓一揆ではなく「諸隊」である」
この説得で1200人の兵が集まった。早い話が…百姓一揆である。

奇兵隊の強みは、まさにこの民衆の蜂起でした。毛利藩は関が原の敗戦で120万石から32万石に減俸されています。武士は1/4にリストラしなくてはいけませんが、1/2にしかできませんでした。それでも土地のある半分の武士は百姓に戻っています。

この人たちが250年の時を経て「お家の危機」と立ち上がります。これが…徳川と言う時代の不思議なところです。現代でいえば定年退職した会社が危機に陥った時「身銭きっても…」と駆けつけるようなものですが…そういう感覚、なんとなくわかる気もします。

晋作は、軍事的圧力によって萩の情勢変化に期待していた。
晋作が思うに、戦はどういうことがあっても勝つことであった。勝って、しかも敵の内部変化を待てばよい。鎮静会議員という中立派がもう200人に増えて、それが当方から頼みもせぬに当方の意向を体して藩主と藩政府に対して、しきりに働きかけているのである。

中立派…これに、松陰の兄・杉梅太郎が抱き込まれます。藩主に直訴します。

鎮静会というのは毛利藩上士の中で、椋梨派ではない、かと言って高杉の奇兵隊でもないという中途半端な存在で、要するに「勝馬に乗る」という一派です。

―――どうやら奇兵隊が優勢だ…。ならば奇兵隊の尻馬に乗って、椋梨一派を追い出そう。

椋梨一派が下野して、奇兵隊が藩を握っても足軽たちばかりで藩政に参加できる資格のある者は高杉と井上聞多しかいない。…となれば、我々に藩の要職が回ってくる―――

まぁ、火事場泥棒ですかねぇ。イソップ物語の蝙蝠(こうもり)さん。

政治の世界ではよくあるパターンです。政治だけでなく会社でもありますけどね(笑)

だいたい、このタイプが6割ですかね。「2:6:2の法則」とも言いますから…。

今週は美和さんの身の周りのお話が中心かと思いますので、その周辺を書きました。