万札の顔 第35回 半値八掛け
文聞亭笑一
先週は休刊してしまい、大変失礼しました。NHKの放映は今週を含めて残り5回ですね。
既に今週の放送予定が#37ですから、「万札」の方は3回サボったことになります。
一昨年は、資料に乏しく途中棄権しましたが、今回は何とか最後まで付き合いたいと思います。
コレラの蔓延
現代世界に流行のコロナウイルスは呼吸器系の伝染病ですが、コレラは消化器系の伝染病です。
病原菌が赤痢菌と同じく腸内で繁殖し「白痢」とも言われる通り猛烈な下痢で体力を奪います。
罹ったら数日で命を失いますからコロリ(虎列痢)、3日コロリなどとも呼ばれます。
日本には幕末から流行しますが、いずれも外国船からもたらされます。
世界的なパンデミックが発生する都度、日本でも流行しており、とりわけ明治の初期では、治外法権を盾に日本の検疫を無視するヨーロッパ列強の船舶が蔓延を拡大しました。
このことが「不平等条約改変」に向けての世論を盛り上げていく原動力にもなります。
さらに、当時政府が推奨した「手洗いの励行」が全く無視されたことや、上水道が未整備な地域が多かったこともあり、用水を通じての伝染が流行を加速したようです。
千代さんの場合は、東京養育院などで福祉事業に携わっていた関係から、コレラ患者に接触してしまった可能性がありました。
それもあって、栄一は上水道の整備を千代さんへの供養として精力的に進めます。
大正に入ってからのことですが、栄一が安全性と耐久性を重視して、水道管に輸入物を選んだことで国内業者の恨みを買い、襲撃される事件に繋がったこともあります。
ともかく、コレラ禍で日本の上水道は革命的変化を遂げます。
江戸の玉川上水、川崎のニカ領用水などの開放型上水道から、水道管方式の地中埋設型に切り替わっていきます。
日本全国の主要都市に上水道が整備されたのは大正10年ころですが、その年を境に日本人の寿命が飛躍的に伸び始まました。「人生50年」が一気に10年ほど伸びました。
理由は単純です。乳幼児の死亡率が激減しました。平均寿命とは・・・言葉通り平均です。
ある村で、今年、100歳の老人と0歳の乳児が死んだ場合、平均寿命は(100+0)÷2=50歳です。
乳幼児の生存率が上がるというのは、平均寿命の延びに最も効きます。
その意味では現代、若者の自殺や、事故死の減ることが平均寿命には最も効きますね。
弥太郎・栄一の海運戦争
明治初期の海運を巡る争いは、薩長土肥の政治的対立も絡んで、熾烈になりました。
シェア100%を誇る肥前大隈・土佐岩崎連合の三菱海運と、薩長系政府資金を投入して、その切り崩しを計る長州伊藤・幕臣渋沢連合の共同運輸の争いです。経済戦争ではありますが・・・まさに「仁義なき戦い」でした。
岩崎三菱は空舟を運航して渋沢舟の後を追跡します。「つけ舟」と言うやり方で、船が港に入るや、荷主との間に割りこみ、運賃の値引き合戦を展開します。
三菱の得意文句は「うちら共同さん値のよぅ、半値8掛け2割引きじゃけんのぅ・・・」といった強引さでしたから、共同運輸の運賃を100とすれば、
100×0、5×0、8×0、8=32 つまり・・・本来価格の1/3です。
花菱アチャコなら「無茶苦茶デゴザリマスルガナ」と嘆き節でしょうね。
とどのつまりが・・・、当時の物流の大動脈である「神戸―横浜」は「無料」にまでなってしまいました。
こうなると商売ではありませんね。意地の張り合いです。栄一をここまで追い込んだのは、ヤッパリ・・・千代さんの死でしょうね。冷静さを欠きます。
私にも経験があります。母が突然・・・無差別殺人事件に遭遇して亡くなってしまった後、注意力散漫と、なんとなく意地になるところがあって、事業上の失敗をしてしまいました。
心の中と言うか、思考回路に空洞ができて「意地」が蠢きます。発想の自由を失い、暴走を始めます。意地を張って物事を行うと碌なことがありません。
智に働けば角が立ち 情に掉させば流される 意地を通せば窮屈だ
夏目漱石の「草枕」冒頭の1節ですが、まさにその通り、意地を張ると世間が、狭く、狭くなっていきます。意地など張りたくないのに・・・時々鎌首をもたげてくるのも「意地」ですよね。
とりわけ「男の意地」などと・・・バカバカしいことにこだわります。
栄一の再婚・伊藤兼子
千代さんの没後、間もなくして栄一は再婚します。
「喪も明けぬうちにケシカラン」と現代女性に叱られる行動ですが、財閥を率いる立場の栄一にしてみれば家庭を宰領してくれる「家宰」がなくては仕事に集中できません。
ましてや弥太郎三菱との間で、生きるか死ぬかの大博奕の真っただ中です。
その意味で千代さんが果たしていた役割は絶大でしたね。「内助の功」と簡単に言いますが、内助の功なくして偉人や大事業などありえません。
後顧の憂いなく仕事に邁進できてこその「男」で、それを演出する「女」の方が偉大なのですが・・・結婚したこともない、男女共同作業をしたこともない屁理屈屋さんが「女権拡大」を叫びます。
それを宣伝するマスコミも馬鹿ですね。だからマスゴミなのです。
栄一が選んだのは、芸者として馴染みだった伊藤兼子です。
栄一は戦後のキリスト教で洗脳された現代人とは違って、女性関係は派手でした。
一夫一婦制が強調されるようになったのは戦後で、鎌倉以来の武家社会では「優秀な後継者を得るため」に女狩りをするのは有力武将の必須条件でした。
秀吉が色狂いとバカにされますが、信長も、家康も大奥には数多の女性を侍らせていました。関東では有名な太田道灌の山吹伝説ですが
七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだに無きぞ悲しき
夕立に逢って雨具を借りようとした、「みの=蓑」というのが普通の解釈ですが、プロポーズ・一夜の宿を求めて「みの=身の」と・・・「結婚しています」「おなかに赤子がいます」と断られたという解釈もあります。
それはともかく、兼子さんは栄一の浮気相手の一人でした。
水戸藩御用達の大商人・伊藤八兵衛のお嬢様でしたが、水戸藩が天狗党事件や、その後の事件続きで衰退していくのに見切りをつけ、八兵衛は外国商売に打って出ます。
・・・が大失敗。兼子は花柳界に身を売ります。
教養もあり、度胸もある兼子さんでしたが、血洗島以来の渋沢家の伝統と、人脈がある千代さんの後継ぎとなるには苦労の連続でした。