万札の顔 第36回 放蕩息子

文聞亭笑一

千代さんが亡くなって以後、ここ数回はホームドラマ風に、渋沢家の家庭事情についての物語が続きます。仕事最優先で家に戻らない父親と、継母としっくりいかないままに成長する息子・・・ましてや第二次反抗期の真っ只中とあっては、暴走しても仕方ないのかもしれません。 栄一自身も、最初の江戸遊学の時、更には喜作と京に向かう前にも吉原で豪遊していますから血統的にも「その道」が好きなのかもしれません。栄一自身にも強く叱れない弱み、つまり女癖の悪さがあったようですね。「この親にして、この子あり」でしょうか。親父の栄一は勉学と女遊びを並行させましたが、息子の方は・・・豊かさの故にか、遊びに没頭してしまいます。

二代目の辛さ

明治の元勲や創業者たちは、その殆どが初代です。岩崎弥太郎も、五代友厚も、そして渋沢栄一も、裸一貫…何もない所から事業を起こし、発展させ、財を築いてきたスーパーマンです。

その後を継ぐ2代目は・・・辛い立場ですよね。

何をするにも先代と比較され、そして・・・当然の結果ですが、比較項目のほとんどすべてで「ダメ出し」されます。

「あれもダメ」「これもダメ」…「みんなダメ」と陰口をされたら堪りません。

中学生や高校生の「イジメ」どころの話ではありません。

しかもその評価は「出所不明の陰口」の形で耳に入ります。

さらには自分に盗って代わろうとする「影」も・・・ちらつきます。

同族会社に対して世間の目が冷たいのは、後継者に対する「ヒガミ、ヤッカミ」と、その後に起きるであろう同族間の争いを危惧するからでしょうね。

歴史のその殆どで、帝国も、戦国大名も後継者争いのために幕を閉じていきます。そこまで言わずとも・・・ちょっとした資産家の家も「長者三代」の諺の通り、「売り家と 唐様で書く 三代目」となる例が多いのです。

明治憲法と帝国議会

明治憲法と言うと「戦争犯罪憲法」「非人間的憲法」だったかのように宣伝する人たちがいて、それを読み直すことすら憚られます(笑)。

それほどのお粗末なものか?というと、当時の世界標準から見て、ごく自然な形の、世界標準的憲法でした。

現行「日本国憲法」との大きな違いは三つです。

①主権が天皇にある 国民主権とする現行憲法との大きな違いです。

②人権が「天皇から与えられるものか」「人間本来が持つものか」の違い

③国民の義務が「納税と兵役」から「教育、勤労、納税」へ

天皇が神格化され、全ての決済事項が天皇に集中する形になっていたのが明治憲法、大日本帝国憲法の弱点でした。

この弱点を巧みに利用して、軍部独裁を作ってしまったのが山県有朋の率いた帝国陸軍です。

山県は総理大臣にもならず、常に黒幕としてKing Makerに徹していました。こういう政治形態が未だに続くのが日本政治の面白くないところです。

いや、企業組織でもそうですが、不祥事で引退したはずの実力者が院政を敷くケースが後を断ちませんね。

憲法ができて、国会ができて、内閣が誕生して・・・ようやく近代国家の形ができました。

事あるごとに海外へゆき、現地の仕組みを輸入するのが伊藤博文の得意技でした。

東京養育院の民営化

ドラマでは「福祉とは怠け者を優遇する政策である」と都議会議員が吠えていましたね。

確かにその要素はあります。現在の生活保護法もそうですが、その気になれば、悪意があれば社会の寄生虫となって怠惰に過ごすこともできます。生活保護の需給の条件は

①資産、貯蓄がない 収入がない

②身体的障害、精神的障害があって、就業に耐えない

・・・ということですが、

②のうち精神系の症状は本人にしかわかりません。

また、本人の適性に会う職が見つかるかどうかも、本人次第の要素が強いのです。

だから・・・「その気になれば」受給することができます。

一方で、古びた、耐震基準に適合しない築・数十年の老朽家屋で、年金だけで、爪に火をともして生活している80代のお年寄りがいます。

「人様のお世話になどならぬ!」と納税者の矜持を持ち、意地を張って生きておられます。

その一方で、生活保護を受けながら遊んでいる?(療養している??)50代の壮年・・・

どちらの気持ちも理解しつつ・・・なんか変だと思いつつも、それが現実なのでどちらにも福祉の目・・・いや、お節介かもしれない目を配ります。

そういえばイソップ物語の「アリとキリギリス」のお話があります。

我々の世代は「野垂れ死んだキリギリスのようにならないように、しっかり働こう」と教わりました。

日本の高度成長を支えた「アリ族」の世代です。

ところが現在小学校では「過去のことはともかく、キリギリスが可哀想だから助けてあげましょう」と教えているそうです。

現行憲法にも「教育」「勤労」「納税」の義務が謳われています。

義務を果たすべき時に、義務を果たさなかった人に、どこまで福祉の手を差し伸べるのか? 

「やらずぼったくり」を認める世の中であってはいけないのではないかと思います。

さて、栄一と千代が運営してきた東京養育院は、手を引いた官から引き取り民営化して寄付金による運営に切り替えます。

栄一は鹿鳴館での政財界パーティーの度に寄付を募ります。

酒を酌みながら栄一が「よろしく」と声をかけると、多くの人は気楽に「協力しましょう」と社交辞令の生返事をします。

が、パーティーがお開きになる頃には、栄一が玄関に机を出して、待ち構えています。「寄付しないと帰さない」という姿勢ですね(笑)

「渋沢さんには参った」 多くの政財界人が回顧録に「苦笑いの詞」を残しています。

日清戦争(1894-95)

明治27年、日清戦争が始まります。

発端は朝鮮国の内乱(東学党の乱)ですが、これに宗主国・清と新興国・日本が介入します。

日本は太古の昔から朝鮮への進出と防衛を繰り返します。神話の時代にもスサノウとか、神功皇后とかが「三韓征伐」などをやります。朝鮮産の「鉄」の輸入のための戦争ですね。

有史時代に入っても天智天皇は同盟国・百済救援に向かいますが、白村江の海戦に敗れ逃げ帰り、太宰府に防人を集めて防衛線を張り、戦の支度をします。

更に、鎌倉期に入ると元寇がありました。元の主力だったのは朝鮮兵です。

そして「秀吉の唐入り」があって・・・、日清戦争も清国との間で朝鮮の利権を争います。