雪花の如く 第2編 越後の国
文聞亭笑一氏作”雪花の如く”を連載します。NHK大河ドラマ「天地人」をより面白くみるために是非ご愛読下さい。
けいはんな都市クラブトップページ
投書欄
「雪花の如く」紹介ページ
各編と配布月日
第28編:07月23日号
第27編:07月16日号
第26編:07月09日号
第25編:07月02日号
第24編:06月25日号
第23編:06月18日号
第22編:06月11日号
第21編:06月04日号
第20編:05月28日号
第19編:05月21日号
第18編:05月14日号
第17編:05月07日号
第16編:04月30日号
第15編:04月23日号
第14編:04月16日号
番外編 :04月09日号
第13編:04月01日号
第12編:03月21日号
第11編:03月21日号
第10編:03月12日号
第09編:03月04日号
第08編:02月25日号
第07編:02月18日号
第06編:02月11日号
第05編:02月04日号
第04編:01月27日号
第03編:01月21日号
第02編:01月14日号
第01編:01月07日号

雪花の如く

第2編 越後の国

文聞亭笑一作

上杉景勝、直江兼続のコンビが生まれ、育ち、活躍した舞台は越後です。 新潟県とその周辺ですが、新潟県という場所は太平洋側の、都会育ちの皆さんにはなじみの薄い土地柄ではないでしょうか。

「日本のどのあたりか?」教養ある皆さんには愚問ですが、関西以西の都市で街角アンケートなどを取ったら、果たして正解率は何%になるでしょうか?

以前、佐賀北高校が甲子園で優勝した時のアンケートで、佐賀県の正確な位置を3割以上の人が答えられませんでしたからね。

私が会社に入った時にも・・・

「どこの生まれだ?」「長野県です」「そうか東北か」と言われましたからねぇ(笑)

もしかすると新潟県も…と思ったりします。

天気予報の地図を勝手にコピーしてきました。この原稿をいつ書いたかがばれてしまいますねぇ(笑)見にくい地図ですが、このくらい縮小しないと全県が枠の中に収まりません。

越後は日本海に沿って長い、長い海岸線を持つ国です。ちょうど雲のかかっているあたりが現在の県の中心、新潟、長岡辺りですが、この物語の中心になる春日山城は地図の左下になります。上杉軍団の本拠地は随分と南西に偏っていました。これが、実は、この物語の展開に大きく影響します。謙信という重石が外れたとたんに地域性が顔を出し、領内の騒動を引き起こします。御館の乱、新発田(しばた)の反乱…いずれも越後国内の勢力争いです。

景勝・兼続コンビは後に中央政界に進出し、一方の旗頭として活躍しますが、政界再編に乗り遅れてしまったのはこの国内の不統一に足を引っ張られたことにもよります。

越後の国は大きく分けて上越、中越、下越の三地方に分かれます。京都に近い方から上中下に命名されるのは奈良時代以来の伝統です。越後という名前からして越前(福井)、越中(富山)越後の順番ですからね。福井から新潟までの長い、長い海岸線を古代人たちは 「越の国」とまとめて呼び、異人種が住む鬼の国のように怖れていた風があります。

実際に、奈良から平安時代にかけては越人による人さらいが横行していたらしいのです。古代だけではなく、源平戦乱の時に木曾義仲に従って上洛した越人たちも人さらいの常習犯でしたし、戦国時代も上杉軍の進駐した先々では盛んに人さらい事件が起きていました。

現代にあっては、この地方に被害が多かった北の将軍による人さらい事件が重大な国際問題に発展していますが、戦国の世では日常茶飯事で人さらいと奴隷売買が横行していました。戦利品の最高のものは「奴隷」で、売買の対象として扱われていたようです。

武将たちは土地という恩賞をもらいますが、足軽・野武士たちには恩賞がありません。 彼らに与えられる勝利の特典は「略奪の自由」だったのです。 手当たり次第にかっぱらいます。

戦国の歴史を語るには、武将たちの華やかな活躍の陰で、負けた方の人々の苦しみも、理解しておかなければならないと思っています。 脱線しました。

越後と越中の国境は「親知らず」の難所です。日本アルプスがそのまんま日本海にのめりこんだような地形で、荒波に洗われた断崖絶壁が海からそそり立ちます。人が行き来できるのは干潮のときに現れる砂浜だけです。無理をして潮の引く前や、潮の満ちだしたときにこの浜を通ろうとすれば波にさらわれてしまいます。年老いた親の面倒などみていられない、足手まといの子供の面倒などみている余裕がない…親知らず、子知らず…

越中から越後に入ると、そこに糸魚川の扇状地が広がります。信濃から流れ下った姫川が日本海にそそぎこみます。この姫川をさかのぼる道が、太古の昔から信濃への主要交通路でした。縄文時代は諏訪に産する黒曜石(石器、武器)を全国に流通させます。姫川から採集されたヒスイは古代の数少ない宝石として都へと献上されていきます。

上杉謙信が宿敵・武田信玄に塩を送ったという塩の道は、この糸魚川を起点に白馬、信濃大町、安曇野、松本を経て塩尻まで続きます。塩尻とは越後の塩の終着駅の意味です。

長い長い海岸線を持つ越後の国ですが遠浅の海岸はわずかで断崖絶壁の海岸線が続きます。 糸魚川から山越えして次の扇状地に出たところが、この物語のメイン舞台の頚城(くびき)平野です。

古代からの港町・直江津があります。「津」というのは港町のことですから全国にある「津」の付く街はすべて港町と思ったらいいでしょう。近江の津は大津、今津など琵琶湖の港、 三重県の津はそのまんま伊勢の港です。沼津、焼津、唐津…港町ブルースですねぇ。

そういえば中之島ブルースをペンネームにした中島青洲先生の住む町、石川県の津幡町も「津」が付いていますね。河北潟が近いですから古代は港ではなかったかと勝手に想像します。

こんなことを考えながら旅行するのが観光だと…これは仲間の楽隠居の説です。

直江津には妙高、黒姫などの信越国境から流れ出た関川が注いでいます。この川筋をさかのぼると、海岸から遠くないあたりに春日山城があります。上杉家の中心地でした。上杉が会津から米沢へと追われた後に、この地に入って江戸時代初期の越後百万石の城を作ったのが家康の五男、松平忠輝です。高田城…現在も城跡が残りますが海からはだいぶ内陸に入ります。

現在は信越本線が走りますが関川をさらにさかのぼると妙高をへて信濃の国、柏原に着きます。ここはのちに小林一茶が「これがまぁ 終の住処か 雪五尺」と詠んだ地で近くに野尻湖があります。

野尻湖…「天地人」では喜平次(景勝)の父、長尾政景が暗殺されてしまう場所がここでした。事故死か、暗殺か…いろいろな説がありますが、それは物語の中で紹介しましょう。

越後高田、現在の上越市から道を東にとると、山中の小盆地を縫うようにして兼続や景勝の生まれ故郷、魚沼郡に入ります。魚沼産コシヒカリの産地ですね。遠く北アルプスに発した源流が梓川、犀川、千曲川、信濃川と出世魚のように名を変えつつこのあたりの野を潤します。

さらに、谷川岳など上越の山中から流れ出した魚野川が並行して流れます。 豊かな水に恵まれた肥沃な土地で、しかも信濃川、魚野川の水運によって海につながった流通の町です。三国峠を越えれば上州を経由して関東につながります。陸上交通の要衝でもありますね。

上杉謙信の最盛期は春日山城を発した謙信軍の本隊と新潟、新発田、村上などの軍勢がこの地に集結し、年中行事のように関東に侵略していました。 侵略というと謙信びいきの方には叱られますが、実態はまぎれもなく侵略です。

関東の北条配下の町を攻め、略奪を繰り返しています。もちろん、毘沙門天の旗を掲げる謙信は「義のため」の聖戦を行っているのですが、足軽、雑兵には「義」などはありません。「利」のために手当たり次第に略奪を繰り返します。勝たなければ、戦利品は一切ないどころか自分の命も危ないのですから、越後の足軽兵は強いのです。

特に、下越の兵や、山間部の百姓兵は衣類やぜいたく品を手に入れる絶好の機会なのです。

上杉、越後の名誉のために断っておきますが、こういう略奪行為はどこの兵たちもやっていました。百姓兵や野武士たちを招集した軍隊はいずこも同じです。

ただ、信長が専門職の武士団を持つようになってからこの悪習は減っていきます。組織が近代化して「軍律」が厳しくなっていきます。信長の軍は大量虐殺で恐れられる一方で、略奪行為が少ないという点で庶民からは歓迎されていましたね。

こんなところが、信長による天下統一の機運に影響していたようです。

              

<Y.Kさんからのメッセージを掲載します。写真は右サイドに掲載しています。> 与板への行き返りは、信濃川の土手を走ります。 今日は12月にしては珍しくいいお天気で、 弥彦山と白い雲が、鏡のような信濃川に静かに映っていました。

信濃川、魚野川の流域は長岡を経て新潟の津に至ります。このあたりが中越です。

新潟平野には北からもう一本、大河が注ぎます。会津山中に端を発する阿賀野川ですね。 この流域及びそれより北が下越になります。福島県、山形県に接する地方です。ですから地勢的にいえば東北的な雰囲気がありますね。山形県の海岸線地方を強引に削り取って新潟県にしてしまったような感じですが、やはり、上杉謙信の最盛期の勢力の強さと、その後の上杉家の会津移封、米沢移封という歴史的流れも関係しているのかもしれません。

山形県庄内地方は長いこと上杉家の勢力下にありましたから、上杉の支配する海岸線は山形県の海岸線まで含んでいたことになります。さらには佐渡も支配権に加えます。

これには相当強い海軍力があったと考えられるわけで、「天地人」にもその他文献にも海軍・水軍が出てこないのが不思議です。たぶん、関が原以後に上杉家は米沢の山中に隔離されてしまいましたから、上杉時代の海軍の記録が残っていないか、うずもれてしまっているのでしょう。今回の大河ドラマを契機に古い資料が発見されるといいですね。太平洋戦争の海軍最高司令官・山本五十六元帥は中越・長岡の出身です。海軍的要素のないところから昭和を代表する海軍軍人が生まれるとは思えないのです。

さらに言えば、謙信は親知らずの険を超えて越中、能登まで勢力を広げました。兵糧、武器弾薬の輸送は海路しか考えられません。越中の魚津は上杉軍の前線基地でしたが、ここも「津」です。直江津と魚津の間は上杉軍の「海上輸送路」であったに違いありません。

地図を見ながら物語を読むと発想が広がって面白いものです。 テレビに合わせて、新潟の地図でも傍ら(かたわら)に置いてみたらいかがでしょうか。 物語に面白味が増すと思います。

K.Y氏から頂いた新潟の景色を貼っておきます。イメージを膨らませてください。     

【NHK大河ドラマ「天地人」をより面白く見るために!】
時代に生きる人物・世相を現代にあわせて鋭く分析した時代小説、ここに登場。
新潟地方の地図(天気予報の地図より)
Y・Kさんから頂いた写真を掲載します。
弥彦山と信濃川
本与板城跡
新潟平野のはざき
けいはんな都市クラブホームページ運営事務局
メールアドレスの●は@に置き換えてください。